なり代わり。

朧塚

地蔵の前の男の子。

家から少し離れた場所に、閑散としているお寺がある。

そこは、人気が無く、ほぼ放置されている。


俺は今日、祝日の為に、仕事が休みだった。

特に予定も無いので、家の周辺を散策する事にした。


家賃四万円で住んでいるアパートから少し離れた場所に、お寺がある。そこはいつも住職も、参拝に来る人間などもいない。俺は散歩の途中、お寺の敷地内に入ってみた。お寺は木々に囲まれており、季節は秋。美しい紅葉を見る事が出来た。長閑な時間だ。俺はお寺にある池などを眺める。


賽銭箱を見かけたので、小銭を投げ入れ手を合わせる。

そう言えば、お寺は神社と違い、手を合わせる作法などは無いらしい。

恋人が出来ますようになどと、願いを終え、再び、お寺の中を歩いた。


敷地内には、子供の背丈程もある地蔵を見つけた。

地蔵の前には、何故か、お供えものとして鶏肉が置かれていた。


何者かの名状しがたい気配がする。

地蔵が動いたりしたのだろうか。……確かに人の気配を感じたように思ったのだが……。


そんな事を思っていると、木の葉を踏む音が聞こえた。

小学生くらいの男の子が現れた。

その男の子は、地蔵の近くにくると手を合わせていた。


こんな処に子供が来るんだな、と思った。まあ学校も休みなのだろう。自分の子供の頃を想い出す。そういえば、一人で近くの山や森などに探検するような子だったと思う。探検に行った場所は、今、思えば小さい場所だった。きっと、眼の前にいる男の子も、この閑散とした広いお寺に遊びに来たのは、大きな探検なのかな、と思った。


ふと。背筋に悪寒が走る。

地蔵の方から、気のせいか真っ黒な煙のようなものが見えた。

煙は見る見るうちに、はっきりと濃くなっていく。喫煙所みたいな場所で、大量の煙草の煙が吐き出されるように。はっきりと、煙は俺の眼に映っていた。


男の子の方を見ると、男の子は煙を吸い込んでいた。……というよりも、煙が無理矢理、男の子の口の中に侵入していくといったような印象だった。


俺は何だか、よく分からなかったが、とにかくこの場を去りたかった。

お寺を出る事にした。


だが。しばらく出口を探し続けても、一向にお寺から出られる様子が無い。何故か無人のお寺の中をずっと彷徨っていた。広い場所なわけが無い。そもそも、外にはすぐに住宅街がある筈だ。何故か出られない……。


ふと、何か重苦しい気配のようなものを感じた。

振り返ると、あの男の子が立っていた。

何やら、その男の子の様子がおかしかった。

眼は空ろで、口は半開きだ。何も無い場所を見ている。


そして突然。その男の子はケタケタと笑い始めた。……俺を笑っているのだろうか。少し戸惑い、なんだか馬鹿にされたような気分で嫌な気持ちになったが、すぐに尋常じゃない異質な不気味さを感じて、俺は逃げた。……此処から出られない。もしかすると、お堂の中には住職さんなど人がいるのかもしれない。俺はお堂に向かった。


お堂の中を見ると、お坊さんらしき服を着た人が座禅を組んで座っていた。何か仏像らしきものに手を合わせて、念仏を唱えている。俺は何とか、お寺の敷地内から出たいので、道を聞く事にした。お堂の中へ入る扉は開いていて、俺は中へと入った。


「はい…………。ええ、儀式の為の供物は手に入りました」

お坊さんは、仏像に向かって、そう言った。


「……ですから。どうか我々の事は今回も見逃して貰えないでしょうか…………」

……見逃す? 一体、何を言っているのだろうか。


お坊さんが話しかけている仏像と思われるものをよくよく見てみる。すると、それは人の形をしていなかった。

とぐろを巻いた巨大な蛇。

蛇の胴の真ん中辺りからは、鴉や蝙蝠のような巨大な翼が生えていた。


お坊さんは異形の蛇の像を崇めているみたいだった。


何かが小さな台の上に置かれていた。

それは、眠っている子供のように見えた。

その子供の顔を見る。地蔵の近くにいた男の子だった…………。男の子はまるで、何かお供え物のように、異形の像に捧げられている。


さっきは供物と言ったか……供物とはつまり、生贄の事なのか?


蛇の像の眼が真っ黒に光る。そして、口元から黒い霧とも煙とも付かないものを吐いていた。そして眠っている子供の口に煙が入り込んでいく。子供は一体、何を口に入れさせられたのだろうか……。


突然。視界が暗転する。

お坊さんの姿も、異形の蛇の像の姿も無く、お堂の中はガラガラだった。


……今のは幻覚だったのだろうか?

俺は完全に混乱しながら、お堂の外に出て、再び寺の敷地内から何とか抜け出そうとした。十数分程して、何とか俺はお寺の外の道路に出る事が出来た。車が走っている。俺はまるで、何日も彷徨っていた遭難者のような気分だった。スマホで時間を見ると、お寺の中に入って一時間弱しか経っていない。なのに何故か数時間以上は敷地内を遭難していた感覚に陥った。


別の日に、近くの別のお寺で寺関係者の人間に訊ねてみた。

俺より少し年上くらいのお坊さんだった。

幻覚でも何でもなく、生きている。

俺はそのお坊さんとの最初に何気ない雑談をして、安堵の溜め息を付いた。


俺が散歩の途中に入って、敷地内を迷ったあのお寺。

あのお寺は手入れをする人間はいるが、決まった時間帯にしか入らないのだと言う。しかも、お寺の手入れをする人間は、特別な魔除けの道具。いわゆる、数珠などの形をしているものらしいのだが。そういうものを身に付けて、あの寺の敷地内に入るらしい。普段は外部の人間が入れないように、門戸を閉じているのだが。


「俺の時は開いていました」

俺はそう言う。


「…………。そうですか。たまに勝手に門戸が開いている時があると聞きます…………。貴方は招き入れられた可能性があります……」

「招き入れられた? 俺がですか?」

「はい…………」


なんでも、あの人のいないお寺は何十年も前に、住職が異形の化け物と取り引きをしたらしい。自分の子供を差し出す代わりに、異形の蛇の神の魂を子供の身体に入れるのだと。住職は破戒僧で、飲み屋やギャンブルで多額の借金を背負っていたらしい。更に女房とも険悪だった。だから、三人兄弟の一番下の子を異形の化け物に差し出したのだとか。


以来。我が子を生贄に差し出した後、面白いように住職の借金は偶然が重なり無くなっていったそうだ。宝くじがあたる。たまたま眠っていた骨董品が高く売れる、など。……だが、その住職も結局、どうなったか分からないらしい。


あのお寺には、化け物に肉体を奪われ、魂だけになった子供の霊が彷徨っているのだという。寺の敷地内にある地蔵は子供の鎮魂の儀で、定期的に地蔵の前に豚や鳥の肉などのお供え物をする。そして動物の生気をまず地蔵に吸わせた後、魂だけになった子供が地蔵から生気を吸い取っているのだと。


つまり、俺はあの子供の幽霊みたいなのに、生気。つまり、命を吸われそうになっていたみたいだ。


「もっとも。何処まで話が本当か分かりませんけどね。僕も住職から与太話のように聞かされただけですし。あそこは取り壊さずに残っているお寺らしいですけど」

そう言うと、その若いお坊さんはボリボリと首筋を掻くと、お寺の方に戻っていった。

俺は確かに見た。お坊さんの首筋には鱗のような赤いアザがあった。


それから。

月に何度か、俺のアパートの周囲に子供の気配がした。

あの無人のお寺にいた男の子だった。

男の子は俺に目星を付けて、俺の命を吸おうとしているのか……。あるいは、見えていた俺に助けを求めて彷徨っているのか。


何にしても、俺はどうする事も出来ずに。自分の運命も分からないまま、ただただ、あの男の子の気配を無視する事を決め込むしかなかった。


そう言えば、あの男の肉体を得た異形の蛇の化け物は、一体、なんだったのか。俺は夢を見た。俺と会話した若いお坊さん。彼の首筋には鱗のようなアザがあった。


夢を見た。

男の子の肉体を乗っ取った異形の蛇は、成人した後、嫁をめとった。

そして、寺をついで子を産ませた。

生まれた子供には、身体中の所々に鱗のようなアザがあった。


そして、今では異形の蛇は何食わぬ顔で、別の寺の住職をしており、その子は若く、坊主見慣らしをしている。


俺は冷や汗をかきながら、夜中、眼を覚ました。

窓には、子供の手形がびっしりと張り付いていた。

手形はたすけて、という文字に見えた。


俺は何もどうする事も出来ないまま、天に向かって祈りを捧げた。


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なり代わり。 朧塚 @oboroduka

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