第3話
第2性の中でベータにはヒートが起きない。アルファもオメガのヒートに当てられなければ無作為に相手を襲ったりはしない。確かに、ベータにとってはただ血を抜かれるだけの厄介な検査でしかない。
「真理子はベータだっけ?悪かったね、アルファとオメガが迷惑かけて」
「そうよぉ。でもね、アルファにはアルファの、オメガにはオメガの苦しみがあると思うの。ベータの私にはわからないけど、寄り添うことはできると思う。なにかあったら、迷わず相談してちょうだい」
中村は柔らかい笑顔を裕司に向けた。母と同じか、それより年上に見える真理子は母とは真逆の人間だった。
こんな人が母親だったら良かったのに。
らしくないことを考えて、自分に笑ってしまった。
「あいよ。もう、行っていい?」
「ちゃんと授業出なさいよ?」
見抜かれている。笑って誤魔化して、部屋をあとにした。
屋上に行くとクラスメイトがいた。まだ授業時間中だが、彼らもサボりのようだ。
「話、なんだったん?」
「あー。最近サボりがちだけど何か悩みがあるの?だと」
「カウンセリングの意味ねー」
クラスメイトはゲラゲラと笑っている。一体何が楽しいのか。
日陰に横になり、少し眠ろうと目を閉じる。授業に出ても出なくても、やってることは大体わかる。今までも教科書を流し読みすればほとんどが理解ができた。アルファと確定する前から、その素質があったのだろう。例えばスポーツや音楽も、少し見て習っただけで大方できるようになった。裕司にとって、ただ教科書をなぞるだけの授業は無駄でしかない。
華の第2性はわかったのだろうか。もしもオメガなら発情期が来る前に離れたほうがいい。早く、あの家を出なければ。
「あれ、森之宮の車じゃね?生徒会長、じゃないな、歩いてるの」
裕司は飛び起きた。友人の視線の先に、華が車に乗り込む姿が見える。華が早退をするなんて滅多にない。なにか良くないことが起きたのかもしれない。それがなにかはわからないが、裕司は屋上を飛び出した。
タクシーで自宅に帰ってきた裕司は華の部屋に向かっていた。とっくに帰ってきているはずだ。一体何が起きたのか。華の部屋の前に使用人の女性が立っていた。華についている使用人だ。
「裕司様!」
「華は?中にいるのか?」
「は、はい。奥様がお戻りになるまで、部屋からお出にならないように、と、奥様からの命令で…理由は、わからないのですが」
使用人は恐る恐る答える。彼女は華の見張りのようだ。
「いつ帰ってくる?」
「夜になると、おっしゃっておりました」
夜まで閉じ込めておくつもりか。部屋に鍵はかかっていないようだ。
「エリカ、だよな。ババアに叱られると思うけど、ごめん」
「あの、裕司様っ!」
「華、入るぞ」
使用人が焦った声をだすが、彼女が止めるより早く、華の部屋を開ける。華は驚いた顔でこちらを見ていた。久しぶりに入る華の部屋は昔と変わっていなかった。この前と同じ、甘い匂いが立ち込めている。制服のまま、華は部屋の中に立っていた。
「裕、司?」
「なにがあったんだ?早退なんて、しかもババアの命令なんだろ?」
裕司の問いに、華は首を横に振る。
「わからない。突然先生から帰るように言われて、外に出たらもう、迎えの車が…裕司は、どうして」
「屋上から車が見えて、帰ってきた」
つけ回すような真似をして、嫌だっただろうか。この前振り払われたことをまた思い出す。華は暗い顔でうつむいた。
「心配かけて、ごめんなさい…もしかして、お母さんに、なにかあったんじゃ…」
華の顔はみるみる青ざめていく。確かに、華だけを早退させるなら、華の母親絡みかもしれない。しかし、それなら部屋に閉じ込めたりするだろうか。
甘い匂いが鼻を掠める。さっきよりも匂いが強くなっている気がする。
「お母さんに、なにか、あったら、…」
華は苦しそうに胸を押さえて、呼吸が荒れている。顔が赤らんで立っているのが辛そうだ。
「華…」
「ね、なんの、におい?すごく、あまい、」
華はついに崩れ落ちた。華の匂いが強くなる。裕司の頭が痺れていく。甘くていい匂いがする。もっと嗅ぎたい。もっと近くで、もっと、もっと。
「い、い、にお、い、…くるし、ぃ」
華は喘ぎながら裕司に手を伸ばす。華の目は虚ろで、口の端から唾液が垂れた。裕司は屈んで、倒れた華に顔を寄せる。すぐ眼の前にある首筋にゆっくりと舌を這わせた。とても甘い。舌の動きに合わせて華の体が震える。美味そうな首筋が無ぼうびにさらされている。
かみたい。かじりつきたい。
華の首に歯を立てようとして、裕司は我に返った。
華も自分も、ヒートを起こしている。
裕司はゾッと背筋が冷たくなった。華はやはりオメガだった。もしかしたら今日、華のオメガが確定したのではないか。だから森之宮のアルファに会わせないために部屋に閉じ込めていたのではないだろうか。
『早い子は17歳でヒートが来たりするから』
真理子の言葉を思い出す。うかつに踏み込んでしまった。部屋を出なければ、華を傷つけてしまう。それなのに足が動かない。
「ゆう、ちゃ、…たすけて」
華は泣きながら裕司を求めている。
幼い頃の呼び名で呼ばれ、裕司の理性は消し飛んだ。
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