03

「ごめんね、ウチの蒼くん、不愛想で」

「いえ、あの、……大丈夫です」


 廊下に出るなり取り成されて、あたしは乾いた笑みを張り付けた。そう答えるしか道はない。


「ねぇ。せっかく可愛い女の子がやってきたんやし、もうちょっと笑顔で迎えてあげたらええのにねぇ」


 お世辞感満載のそれに、あたしは乾いた笑顔を持続させる。嘘でもなんでも気遣ってもらっているのならば、有り難い話だとは思ったので。


「あれ。これ、もしかしてセクハラになるんかな。最近、本部が厳しくて。研修生にセクハラ厳禁。パワハラ、体罰厳禁。さすがにそんなことするところないと思うんやけどなぁ。時代やねぇ」


 半分以上ひとりごとの調子でぼやきがら、桐生さんが三階の廊下の奥を指さした。あたしが本日ドアを叩いた紅屋の事務所は、階段を上がってすぐのところだったので、その奥は未知の領域だ。


「それで、えーと。このフロアはぜんぶウチの事務所で、四階と五階も紅屋の所有。二階には術具屋さんが入っていて、一階が医局ね。ないに越したことはないけど、もし任務で負傷した場合はここで診てもらえるから安心してね」

「は、はい」

「で、地下には訓練場もあります」

「このビル全体が『鬼狩り』ご用達みたいになってるんですねぇ」


 そう思うとすごい規模だ。感嘆の声を上げたあたしに、桐生さんが「まぁ、そうやね」と応じて、ある意味で恐ろしいことを続けた。


「特Aの事務所ってことは、いざって時には本部に次ぐ拠点の扱いになるから。普通のテナントは入りたがらんやろしねぇ。そうなると自然とこうなるというか」

「……そうですか」

「考えようによっては便利やけどね。このビルの内部だけでほとんどの用事は済ませられるから」

「確かに」


 それはそうだな、と納得する。「鬼狩り」として働いていく上で、術具屋さんとのお付き合いは免れない。

 強靭な皮膚を持つ鬼は、一般に流通している刃物や銃器では傷ひとつ負うことはないとされている。だから鬼狩りは、術具師が造る対・鬼用の武器を手に鬼と対峙するのだ。鬼の皮膚よりも固い特殊な金属を加工したそれを持つことができるのは、鬼狩りだけ。

 もちろん、あたしが持つクロスボウも、術具師さんが拵えてくれたものだ。


「おいおいどこも案内するけど、とりあえず二階から行こうか」

「はい!」


 きっと、このビルに入っている術具屋さんなのだから、凄腕の職人さんなのだろうなぁ、と想像を膨らます。そんなあたしを一瞥して、桐生さんが付け足した。


「ヤクザみたいな顔のじいさんやけど、悪人やないから、あんまり顔だけ見て怖がらんといてあげてね」

「はい!」


 さすがにそれは失礼が過ぎる。ついでに言えば、先程の所長の仏頂面のほうがあたしはよほど怖かった。


 ――と、思っていたあたしの浅はかさは、「渡辺術具店」と書かれた暖簾をくぐった瞬間に、……正確に言えば、桐生さんに呼ばれて、工房から店先のカウンターにのそりと姿を現した店主の顔を見た瞬間に、影を潜めることになった。


「ウチは家電修理店じゃねぇと何度言ったらわかるんだ、桃弥」


 ドスの効いた低いしわがれた声に、あたしは心の中で「ひぃ!」と叫んだ。昔気質の職人さんだと言えば聞こえは良いかも知れないけれど、顔だけでなく声も怖い。


「嫌やなぁ。ナベさん。誰もそんなこと言うてないやん」

「じゃあ、そのおまえさんが持っている残骸はなんだ。あのガキ、また性懲りもなく壊しやがったな……と、ん? なんだ、この小っちゃいお嬢ちゃんは」

「え、ええと、あの、その」


 鋭い眼光に射抜かれ、頭をまっしろにさせたあたしの背を軽く桐生さんが押す。一歩前に出るかたちになって、あたしはなんとか笑顔を浮かべた……つもりだ。


「ウチの新人ちゃん。ナベさんにも紹介しておこうと思うて。可愛いやろ? ラッキー☆フジコちゃんこと、藤子奈々ちゃん。フジコちゃん、こちら術具師の渡辺さん」

「よ、よろしくお願いします!」


 せめて挨拶だけでも元気良く。頭を下げたあたしに、「おう、よろしく頼む」と案外、愛想の良い声が返ってきて。

 なんだ、所長よりよっぽど取っ付き易そうないい人じゃないか。単純なあたしはほっと一息ついて顔を上げる。ヤクザの親分もかくやと言った感じの年季の入った渡辺さんの強面には微かな笑みが乗っていて。

 桐生さんの助言を忘れ、見た目だけで線を引いてしまいそうになった自分を恥じる。

 そこで、うん。とあたしはもうひとつ考える。そうだ。所長だって、最初のインパクトが凄すぎた所為で、あたしの中に妙なフィルターがかかっていたのかもしれないし。あんまり怖いと思い込まないようにしよう。

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