意味と、理由

蛸田 蕩潰

意味と、理由

忘れられない、ひとがいるのです。

少女時代の私は、親の仕事の都合で、頻繁に引越しや転校をしていまして、しかしある時、ひとつの場所にしばらく落ち着いていたことがありました。

その時、彼女と出会ったのです。

彼女は私と違って優秀でした。

器用で、聡く、柔和で、その躰は華奢でありながらも生気をひしと感じて、その瞳は陽に燦々と照らされた黒曜石のようでした。


当時の私は、交友関係が構築されてきては、そこから離れるということを幾度か繰り返していましたので、少し態度が硬くなっていました。

けれど、そんな私に最初に声をかけてくれたのは彼女でした。

私は、そんな彼女に、絆されていきました。


それから私と彼女は親交を深めていきました、一緒に昼食をとったり、勉強をしたり、好きな本の貸し借りなどもしていました。


そうして関係が深くなるうち、何やら彼女に悪い噂が立ち始めたのです、といっても、そんなものは囁かれてはすぐに失せていったのですが、それを知った私の内には段々と、不安が育っていったのです。

私のような者が、本当に彼女と共に居ていいのだろうか、それは彼女にとって、何らかの不都合をもたらすのではないか、現に噂が立っているではないか、これは私のせいではないのか、と。

当時の私の成績などは、お世辞にも良いとは言えないものでしたから、余計にこの不安は大きくなっていきました。


そして、ある時の、ふたりでの勉強会の時、私はこの不安を彼女に打ち明けました。

彼女は、自身に関しての様々な噂の全てを、把握していました。

その上で、今後も私と関係を持っていたいと、そう言ってくれたのです。

お恥ずかしながら、彼女にその言葉をかけられたとき、私は少し、泣いてしまいました。

その言葉が、とても、とても、嬉しかったのです。

涙を流す私を、彼女は優しく抱きしめてくれました。

その時の彼女の優しさ、あたたかさは、今でも克明に思い出すことができます。


かくして私と彼女の関係はさらに深いものになっていきました、というのも、先程の一件の後、私は彼女に尋ねてみたのです。

なぜ私にそうまでしてくれるのか、と。

帰ってきた答えに、私は目を丸くしました。

彼女は、私のことが好きだ、と言ったです。

友愛と、恋愛、ふたつの愛を、彼女は私に向けてくれていました。

確かに彼女と、恋の話などはしたことがありませんでした、けれど、まさか私に、と、驚く私に、今度は彼女が、私に訊いてきました。

あなたは、私じゃ、嫌?と。

嫌な訳がありませんでした。

彼女は素敵な女性です、そんな彼女が、私を愛してくれていたとは、そう驚いていただけ、そう説明すると彼女は、じゃあ、付き合って、くれる?と言いました。

私は照れくさくって、少しどもりながら、それに応じました、はい、と。


恋仲となった私達ですが、極力その関係を級友たちに悟られぬよう注意しました。

この関係が知られてしまえば、面倒なことになるのは目に見えていたからです。


けれども、ふたりきりとなれば話は別でした。

最初は、少し、触れ合うことが増える程度でしたが、初めて彼女と唇を交わしてからは、拍車がかかったように、私と彼女の距離は近くなっていきました。

彼女が少し疲れてしまった時、まるで猫のように私に擦り寄って甘えてきてくれるようになったり。

逆に私に何かあって、しばらく何もしたくない、といった時には、彼女は優しく、私を撫でて、褒めてくれたりしたものです。

本当に、幸せでした。


そうして私達が幸せの絶頂にいた時、私は聞き慣れた、聞きたくない単語を親に告げられました。

また、引越しが決まった、私も転校になる、と。

私は少しの間、立ち尽くしました。


その日の夜、私は彼女に連絡をとって、離れなければいけなくなってしまったことを、伝えました。

それが本当に、辛かったです。


不幸中の幸い、まだ彼女と離れるまでには日がありましたから、一緒にいられるうちに、どこかへ行こうと、落ち着いてきた私と彼女は決めました。

約束の日は、すぐに訪れてしまいました。

その日は彼女の街の観光地や、私達がいつも行っていた図書館、などなど、色んな所を、彼女と見て周りました。

時間が経っていくにつれ、彼女の表情に、少しづつ、陰りが見えていきました。


そうして、その日も夕暮れ時となって、彼女と夕日を見ていた時、私の唇に、何か柔らかいものが触れました。

彼女の、唇でした。

それまでも数度、彼女と唇を交わしたこともありましたが、その時のそれは、今までのものよりも、深く、長いものでした。


数十秒か、数分か、あるいはもっと長かったか、そんな濃厚なひとときが終わって、彼女の唇を離しました。

彼女の目元で、雫が夕日に照らされていました。

離れていても、私達は、一緒、だよね、ずっと、好きだよ、と、震える声で、彼女はそう言いました。

私も震える声で、強く、応じました。


その時には私はもう、帰らなければいけませんでした、けれど、せめて、もう少しでも、と、彼女と手を繋いで、ゆっくりと、遠回りで緩く帰路を描きました。


そして、数個目の、横断歩道を、渡っている時、何か大きな音が聞こえました、次の瞬間、私は強く押されていました。


彼女と、車が、強くぶつかって、彼女が、崩れるさまは、なぜか時間が遅くなったように、ゆっくりと私の目にうつっていました。


私には、しばらく、それが飲み込めませんでした。


彼女の身体能力であれば、彼女が車から逃れるくらい、簡単なことだったでしょう、それなのに、私を、生かしたんです。


彼女を、生きる意味を、喪ったというのに、彼女が、生きる理由に、なっているんです。


まったく、ずるい、ひとです。

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