ワルキューレと石腕の従者

登美川ステファニイ

第1話 旅立ち

 月光が窓に差し込む。森に響く虫の声は外壁を超え寝所の中にまで染みわたっていく。

 常ならば人の気配はない。警備と巡回の者を除いては寝静まっている時間であり、それはファティア・ティアゴナにおいても同じだった。

 いつもと同じ一日……そう、同じ一日だった。

 エルドア神殿はワルキューレの修練所として多くの候補生を育成している。槍術、魔術のみならず一般教養や潜入地での生存術など戦士として多岐に渡る修練を受ける。平均的に六年間で課程を修了し、その後は王国各地でワルキューレとして兵役に就く。

 ファティアは入所してから三年目だった。過程を半ばまで修了し、後輩も出来て日々の修練にも充実していた手応えを感じていた。だが、同時に物足りなさがあった。己の夢の為に、もっと早く実戦任務に就きたいと考えていたのだ。

 それを教官が聞けば、未熟者の勇み足と叱責しただろう。ファティアもそれが分かっているから己の夢を他言したことはなかったが、胸に秘める情熱は日々募っていくばかりだった。

 今日もそんな一日だった。昨日よりも今日、叫よりも明日。己の着実な進歩を感じながら、一足飛びに進んではいけないもどかしさを感じ、ファティアは毎日を過ごしていた。

 だがその日、その夜はいつもと違っていた。静まり切ったはずの神殿に、似つかわしくない音が響く。何か燃え、弾ける音。鈍い音が壁の向こうから地鳴りのように響いてくる。

「ん、うぅん……」

 ファティアは体の奥に響く振動で目を覚ました。まだ暗い部屋の天井が目に映り、今がまだ夜なのだと知る。何故目を覚ましたのか? その事を考えるよりも早く、再び遠くで轟音が響いた。ファティアは毛布をはねのけて飛び起きる。

「何? 爆発……火事?」

 抜き打ちで訓練が行なわれることがあり、一瞬そのことが頭によぎる。しかし、すぐに違うと打ち消す。先ほど聞こえたのは本物の音だ。爆発する音。炎の巻き上がる音。訓練では実際に炎を使う代わりに太鼓を使う。それに、窓から差す月明かりの角度からして深夜の時間帯だ。いくら何でもそんな時間に訓練を行うことはない。

 何か今までと違う訓練なのか。いや、違う。

「これって、ひょっとしてマジって事?」

 寝巻を素早く脱ぎ捨てて、ファティアは訓練服に着替える。長い髪をお団子にまとめて鉢金をつけ、アーマープレートを着こむ。壁に立てかけてある槍を手に取り、警戒しながら戸を開けて廊下に出る。

「音は、どこ?」

 廊下に出ると誰の姿もなかった。元々寝所には立ち番はおらず、巡回の者しかこない。他の訓練生が起き出しているかと思ったが、どうやら自分が一番のようだった。あるいは一番最後か。

「かっこわる……!」

 非常事態と思いながら、そんな対面の事が気になってしまった。ファティアは気持ちを切り替え、廊下を疾走し神殿の方へと見当をつけて向かっていく。

 寝所の棟から外に出ると木の向こうに赤い空が見えた。雲が炎の色を反射し染まっている。音は勘違いなどではなく、やはり本物だった。火事か何か、重大な事態が起きている。

 ファティアは途端に自分の心臓の鼓動が早まるのを感じた。実戦……そんな事が頭をよぎったからだ。

 神殿は石造りで普通燃えるようなことはない。それに夜間は火を灯すが、厳重に管理されているので火気の近くに可燃物を置くような真似はしない。火事を起こそうと思っても起きるものではない。

 それが燃えているという事は、可能性は二つだ。

 一つは、食料庫や資材庫、あるいは資料室など可燃物のある施設が燃えている。

 もう一つは……ファティアは走りながら考えた。

 もう一つの可能性とは、何者かに襲撃を受けているという事。爆薬や、火炎系の魔法により攻撃を受けているという事だ。

 間断的に響く破裂するような音。それが段々と近づいてくる。ファティアは槍を握る手に力を込め、息をひそめながら神殿の側面に近づいていく。

「何、あれ……?!」

 神殿脇の通路を抜けると、神殿の正面にでる。ファティアが今いる位置からは神殿正面の広場が見えているが、そこは一面が火の海になっていた。それと何人かのワルキューレ。訓練生ではない。教官たちだった。

「燃えてる……? 何が起きてるの?」

 様子を窺いながらファティアは恐る恐る近づいていく。だが一際大きな爆発が起き、広場は炎に包まれる。ファティアのいる場所まで三〇ターフ五四メートルは離れているが、火の粉が飛んできて、思わずファティアは足を止めてしまう。

 ただの火事ではない。間違いなく、襲撃されている。ファティアは愕然としながら、赤々と燃える炎を見つめていた。

「――ティア……ファティア!」

 自分の名を呼ぶ声にファティアは気付いた。狼狽し、呼吸を乱しながら振り返る。すると、そこには教官の一人、ティオイラがいた。

「教官! 一体何が?!」

 駆け寄り問いかけるファティアの肩を掴み、ティオイラが言う。

「落ち着きなさい、ファティア」

「で、でも炎が……?! 何かの訓練ですか?」

 一縷の望みをかけるようにファティアが問いかける。しかし、ティオイラは静かに首を振り、諭すようにいった。

「訓練じゃない。神殿が襲撃を受けている。敵の数は多くはないけれど、手練れの魔法使いがいる」

「わ、私達はどうすれば……?!」

「……来なさい」

 ティオイラは踵を返し神殿の奥に進んでいく。ファティアは訳も分からずそのあとをついていく。途中で振り返るが、広場を包む炎の加勢は強まる一方のようだった。教官たちの姿も見えなくなっている。死角に移動しただけか。それとも……嫌な想像がファティアの頭に浮かび、それを追い出すように頭を振った。無心にティオイラの後を付いていく。

「ここは……?」

 ティオイラが足を止めたのは、神殿の奥にある宝物殿だった。普段は警固のワルキューレがいるはずだったが、今は誰もいない。

「奴らの狙いはここの宝具よ」

 ティオイラはそう言い、扉の錠前を槍で叩き壊す。そして扉を開け、中に入っていく。

「ここは立ち入り禁止では……」

 宝物殿の中に入っていいのは司祭のみで、例えワルキューレであっても立ち入ってはいけない。その原則を堂々と冒しているティオイラに驚きながらも、ファティアはゆっくりと中に入っていく。

 宝物殿の入口からはまっすぐな通路が続き、奥の広間に続いている。中は窓も無く、入口からの光がかすかに届くのみだ。ティオイラはその広間の中心に立ち、中心に納められたものに向かってひざまずいていた

「これがこの神殿に納められた宝具……再生のアクアクリスタルよ」

「アクアクリスタル……?」

 ファティアも屈みこんで宝具、再生のアクアクリスタルに視線を移す。それは闇の中でも光を放つようにぼんやりと光を放っている。触れなくても分かるほど、高い魔力が込められているようだった。

「これを持って逃げなさい、ファティア」

 そう言うと、ティオイラはアクアクリスタルを無造作につかんで雑嚢にいれ、ファティアに手渡した。

「宝具の持ち出しは禁止ですよ? 一体どういうことですか、教官?!」

 突然の言葉にファティアは混乱する。宝具の持ち出しは厳禁……それは当たり前すぎる事だった。だからこそ宝物殿を設け、ワルキューレたちが警護しているのだ。それを持っていくなど考えられない事だった。

「状況が分からないの、ファティア?! 襲撃者は強い。私達だけでは倒せない……宝具を奪われる前に逃げるのよ。王都に行きなさい。そこで事情を話し、宝具を王都のワルキューレたちに渡しなさい!」

「そんな……だったら教官が?!」

「私が追っ手を引き付けます。あなたは森を抜け、メフィル山脈を越えて王都を目指しなさい。それが最短距離です。さあ……!」

 ティオイラがファティアの肩を押し、宝物殿の外へと促す。ファティアはまだ混乱していたが、教官であるティオイラの言葉通りに歩き始める。

 宝物殿を出ると火災は神殿の周囲の森にまで広がっていた。生木の燃える臭いが立ち込め、ファティアは咳込む。

「いい、ファティア。聞きなさい」

 ティオイラはファティアの肩を掴み、優しく微笑みながら言った。

「あなたは優秀な訓練生です。あなたならやり遂げられる。自分を信じなさい」

「教官、私は……!」

「行きなさい! もう時間はない!」

 ティオイラはそう言い残し、神殿の前の広場の方へ、文字通りの鉄火場へと走っていった。

 ファティアは数秒その場で迷ったが、覚悟を決めて走り出した。

 望んでいたはずの実戦がこんな形でかなうとは。頭の片隅で、これは願いがかなったのか、それとも罰が当たったのかと思った。だが走っているうちに雑念は消え去り、ただ使命感だけがその体を突き動かした。

 森を抜け、山を越えて王都へと。生まれて初めての本物の戦いに震えながらも、ファティアは走り出した。

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