第24話

 笑えばよかったな。

 今でも思う。


 夢の中に入らなくなってから、随分と時が経った。

 村長や村人は優子が嫁ぐ準備をし始めている。

 十八歳の誕生日は、来週に控えていた。

 結婚が間近に迫っているというのに、優子は未だに書庫通いを強いられていた。

 気が向いた時に例の二冊の日記を手に取るくらいで、あとは白蛇と一日中戯れていた。

 白威と最後に会ったときのことを何度も思い出しては、最後くらい笑顔がよかったな、もう少し素直になればよかったな、最後だから告白すればよかったかな、と後悔をした。

 好きな人には綺麗な姿を覚えておいてほしい。

 なのに、軽口を叩いたり上から目線の態度をとったり、あまり綺麗な姿を残すことができなかったように思う。

 せめて最後くらいは、記憶に残るほどの綺麗な笑みを浮かべたかった。

 後悔先に立たずというが、その通りだ。


「はぁ、もうちょっと白威を目に焼き付けておくんだった」


 こうなることは最初から予想できたはずだ。

 もっともっと、たくさん白威を目に焼き付けておけばよかった。

 そっぽを向いたり、無視したり、恥ずかしがって視線を合わせなかったり。勿体ないことをした。


「今頃何をしてるのかな」


 と、考えて頬を叩く。

 思い出しても白威が現れることはないのだから、無駄なことはするな。

 考えたって仕方がない。


「何よ、その目は」


 白威を思う優子を嬉しそうに眺める白蛇の尾を掴み、引き寄せる。


「言っておくけどね、別に白威が恋しいとかじゃないんだから。これは、そう、友情というか、長年の絆というか」


 頬を紅潮させて言い訳を並べ始めた優子を笑う。

 白蛇のその態度に、むっとした優子は床に投げて叩きつけた。


「何よ、笑って馬鹿にしてんの!?ふんっ、いいわよいいわよ!そうよ、恋しいのよ!自分から会わないって言っておいて恋しいの!会いたいの!悪い!?」


 逆上する優子をまた笑う。

 白蛇の分際で何様よ、と唇を噛む。


「あんたの主人さえいなかったら、私は白威と...!」


 そこまで言って言葉を切る。

 そんな話をしても無意味だ。

 白威への想いを持っていたところで、言ったところで、どうにもならないのだから。

 無意味なことはやめようと、大きく息を吐いて寝転がる。

 過ぎたことだ。

 自分で決めたのだから無理やりにでも納得するしかない。

 そういう運命だったのだ。

 黒髪として生まれた時から、運命はたった一つ決まっていたのだ。


 白威を忘れようと、例の日記を読んでいると書庫の扉が開いた。

 時間になると、見張りが扉を開ける。帰ってもいい、という合図だ。

 もうそんな時間かと起き上がり、欠伸を一つこぼした。


「優子や」


 今まで一度も来ることがなかった村長が、書庫にやってきた。

 柔和な笑みを貼り付けて優子の前で立ち止まる。

 床に座っている優子に目線を合わせるため膝を折る。

 村長の加齢臭が鼻を突き、悟られないようじりじり後退する。


「その本を読んでいたのか。ははは、読めんじゃろう」

「え?」


 日記二冊を持った村長は交互に眺めた。


「古代文字のようじゃが、古代文字でもないようじゃからの。不思議な字体じゃ」


 不思議な字体で読めないと村長は語るが、その二冊は何度も読んだ。黒髪の日記だ。

 自分が読めるのだから、村長も読めるだろう。何を言っているんだ、と怪訝な思いで村長を見上げるが、中身をぱらぱらと捲るだけで読む気はないようだ。


「この字が解読できたらいいんじゃがな」


 まさか本当に読めないのか。

 村長から二冊を受取り、中身を捲るがまったく読めないことはない。

 古臭い文体だなと感じるくらいだ。

 妙だ。

 読める優子と、読めない村長。

 優子は何かしら特別な教育を受けた覚えはない。むしろ、学習する機会なんて与えられなかった。両親に字の読み書きを教わり、世間のことを学んだ。村の子どもたちは村にある学び舎に通い、様々なことを学んでいた。

 優子が読めて、他の人間は読めないなんてこと、あり得ない。

 書庫から出て行く村長の後ろ姿が消え、優子は顎に手を当てる。


「…つまり?」


 優子に読めるだけなのか。

 本を書庫から持ち出さないよう、帰りは見張りに持ち物検査をされる。

 両親に見せようと思ったが本を持ち出せないため、字体を頭に入れる。

 優子の周りをうろうろしていた白蛇に「じゃあね」と軽く手を振り、書庫を出た。

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