第21話

 書庫で黒髪が書いた日記を見つけてからというもの、優子は色々な書物に手を出した。

 昔、村に住んでいた人や村長が書いたものもあったが、それらを読むことはせず、黒髪が書いたものを探した。

 結果、もう一冊似たような本があった。

 こちらは一冊目よりも惚気はない。

 発見した二冊目に登場する白蛇は冷たい男のようで、無視をされたり返事がないことはよくあることらしい。一言も話さない日もあるようで、楽しい生活とは思えないが黒髪本人は嬉々として書いたのだと伝わってくる。

 一冊目に登場する白蛇は優しい男だが、二冊目は冷たい男だ。本当に同一人物なのかと疑いたくなるほどだ。


「はぁ、どういうことだと思う?」

「…」


 白威に相談してみるも、言えないことなのか返事はない。

 分かっていたが、ずっと黙っている白威に苛立つ。


「そもそも黒髪ってなんなの?」

「…」

「まさか白蛇の呪い?」

「…」

「好きな女が誕生したら黒髪にして嫁がせるように仕向けてるの?」

「…」

「白蛇は女好きの変態野郎ってことね」

「違う」

「じゃあ何よ」

「…」


 優子は少しずつ分かってきた。優子の話がてんで間違っている時は「違う」と白威は言う。さほど外れていない時は返事をしない。

 白威は素直だった。


「もしかして、村人が言う白蛇様は一人じゃなくて複数存在するの?」

「…」


 書庫にある二冊の日記に登場する白蛇は、別人のようだ。

 もしかして白蛇は複数存在するのではないか。黒髪は、それぞれの白蛇に嫁いだ。誰一人として同じ白蛇に嫁いでいない。優子はそう仮説を立ててみた。

 白威の反応を見るに、あながち間違いでもないようだ。

 だからといって、どうなるわけでもないけれど。

 白蛇が数体いるかだ、何だというのだ。


「結婚かぁ…」

「…嫌?」

「極端な二択なら、そりゃあ嫌だけど」


 嫌だとか、好きだとか、そういう問題ではない。

 嫁ぐのはもう前提だ。


「もし、私が嫁ぐとしてあんたはどうなの?」

「…どう?」

「あんたはいなくなるの?もう会いに来ないの?」


 我ながら、素直に言えた。

 ドキドキと鼓動を高鳴らせながら返答を待つ。

 白蛇と結婚した後、白威に会えなくなるのは嫌だ。

 ずっと傍にいてほしい。夢の中だけでいいから、会いたい。

 そこまで素直に口にすることはできない。

 白威の顔色を窺うように、ちらっと見上げる。


「…何よ、その顔は」


 目をぱちくりとさせて、不意を突かれたような顔で優子をじっと見下ろしていた。

 珍しいものを見るかのように凝視され、優子は居心地が悪かった。


「…優子は、僕に、会いたい?」


 視線を逸らそうとする優子の頬に手を添え、こてんと首を傾げる。

 その仕草に胸がきゅんと鳴る。

 会いたい。もちろん、会いたい。

 結婚相手が白威であればいいのに。そうしたら毎日一緒に居られる。そう思うくらいには、優子の中を白威が占めていた。


「あ、あ、あ…」


 生まれたての赤子みたいに、「会いたい」の「あ」だけが喉の奥から出る。

 会いたい、と言えば白威はどんな反応をするだろう。

 もしかして僕のこと好きなの?と、聞かれるだろうか。そして、そうだよと答えた先に、何が待っているだろう。

 気まずそうに、視線を逸らされるだろうか。もう夢の中に来ないで、と拒絶されるのか。

それとも、頬を赤らめながら僕もだよと言うのか。後者であったとしても、優子は嫁ぐ身である。両想いだからといって、結ばれる未来はない。

 どちらに転がっても、その先は明るくない。


「…あんたはどうなのよ。人に聞く前に、自分のことを教えなさいよ」


 会いたいと思ってくれるなら、こんなに嬉しいことはない。

 ただ、それは優子に好意を抱き、会いたいと思っているのではない。主人の妻になる女として、会いたいのだ。

 自分で出した結論に肩を落とす。


「会いたい。ずっと、ずっと、会いたいし、一緒に居たい」

「...そ、そう」

「優子は、会いたい?」


 両頬を包まれ、互いの鼻がくっ付きそうなほどの至近距離。

 白威の朱い瞳に、自分が映っている。優子一人だけ、映っている。

 ずっとそうだ。この白い世界に来てから、白威は優子だけを見て、優子だけに話しかけている。この世界では、二人きり。優子と白威だけの空間。

 他に誰もいない。

 会いたい、と言われて涙が出そうになった。


「あ、いたい…」

「僕も」

「…うん」

「ずっと一緒に居たい?」

「…うん」

「絶対?」

「…うん」

「僕と、ずっと一緒に居たい?」


 何故だろう。涙がこぼれた。

 蓋をしていた。

 白蛇に嫁ぐ身だから。

 白威を好きになったとしても、どうにもならないから。

 どうせ白威とは、離れることになるだろうから。

 見ないふり、知らないふり、聞こえないふり。

 何年もそうしてきたというのに、白威に一緒に居たいと言われて、崩壊してしまった。

 どうして夢に出てきてくれるの。

 どうして何も教えてくれないの。

 どうしてこんなに胸が高鳴るの。

 どうしてこんなに会いたいの。

 どうしてこんなに、好きなんだろう。

 優子の心は白威に握られた。取り戻そうとは思わない。このまま、ずっと握っていてほしい。そして、もし、もしもできるなら、自分も白威の心を握りたい。


「…一緒に居たい。ずっと一緒がいい」


 素直になる恥ずかしさ。

 拒否されるかもしれない恐怖。

 やっと言えた本音。

 顔も心もぐちゃぐちゃになり、今までで一番不細工になっている自覚はある。

 それでも白威は嬉しそうに微笑む。

 涙を拭われ、優子は咄嗟に目を瞑った。

 額に、温かくて柔らかい感触がした。



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