第12話

「何、それ」


 母が妊娠したと思い、流産を促す薬草を煎じたというのか。

 ここは我が家だ。他人が煎じた茶を母が飲んだのだろうか。それとも、粉末にしたものを母の隙を見て混入させたのか。

 どちらであろうが、流産させようと企んだことには変わりない。


「…お母さん、妊娠してないよね」

「ただの食べ過ぎだよ」

「妊娠してない人が飲んだら、どうなるの?妊娠できない身体になるの?」

「腹痛や眩暈があるくらいだよ。流産させるものと、妊娠できなくなるものはまた別物だからね」

「そ、そっか」


 母は妊娠する年齢を超えているとはいえ、妊娠できないのとしないのは違う。

 もし、もしも母が妊娠していたらどうするつもりだったのだ。あいつ等は責任とれるのか。いいや、責任をとるくらいならこんなことしていないだろう。子が生まれなくて残念だったね、と悲しむ母を嘲笑うつもりだったのだ。

 ふつふつと湧き上がる怒り。

 自分の行いが善かったならこんなことにはならなかったのか。嘘でも村人の良い顔をしていればよかったのか。そうしたら、親の躾が悪いと母を攻撃する人もいなかったのかもしれない。でも、そんなのは関係ない。

 自分と母は違う人間だ。優子に文句があるなら優子に言えばいい。取り返しのつかない悪事を母にするな。

 陰湿な行為に吐き気がする。

 こんな奴等のために、自分は白蛇如きの嫁になるのか。結婚後、忽然と姿を消す黒髪は殺されたから消えたのかもしれないのに。たかが村人のために、自分は殺されるかもしれないのに。

 白蛇様は自分たちを守るのだから、と村人は言う。それが白蛇様の使命なのだと。

 何故村を守るのか不明であるというのに、守ってくれることだけを胸に刻んで威張っている。

 この村の人間たちは、頭がおかしい。

 干ばつや豪雨が、黒髪のせいだと。そして躾を怠った親のせいだと。

 ただの黒髪、ただの髪の毛。そんなものが天候と関係していると、本気で思っているのか。


「…でかけてくる」

「どこに行くんだ?まさかその二人を探しに行くんじゃ…」

「違うよ。散歩」

「こんな時間にか?もう夕方だぞ」

「散歩」

「はぁ。早く帰って来いよ」


 父は母の元へと戻り、体調を確認する。

 優子は白蛇の尾を掴み、神社に向かった。


 十八歳になるまであと三年。あと三年も、この村で耐えなければならない。

 十八歳になったらもしかしたら自分は死ぬのかもしれないけれど、村のために死にたくはない。それに、「黒髪が嫁にいったお陰で、村はまた守られた」なんて思われるのは嫌だ。両親のために仕方なく白蛇の伴侶となってやるのだ。村人のためではない。それでも村人は「黒髪のお陰」だなんて嫌味のように思うのだろう。それが嫌だ。お前たちのためなんかじゃない。微塵も、そんな気はない。

 あと三年。

 その間に、また今日のようなことがあったら次は無事ではないかもしれない。優子が嫁いだ後、両親が村人に嫌がらせを受けて、最悪の場合死んでしまうのでは。

 そんな考えが頭を過る。

 どうにかしなければ。そんな結末は嫌だ。家族三人、村人の思うままに殺されてしまうのは嫌だ。


 境内に入って本殿に足を踏み入れる。

 その辺の床に白蛇を投げ捨て、優子は大の字になって目を瞑る。

 眠れ、眠れ。眠りにつけ。

 ぐっと眉を寄せて必死に夢の中へ入ろうとする。

 頭の中には村人ばかりが浮かび上がり、意識を手放すことができない。

 夢へと旅立つことができず、顔が歪む。

 白威に会いたい。会って、聞きたいことがある。話したいことがある。

 瞳の端から涙が一滴零れ落ちる。

 固く瞼を閉じるが、白威は現れない。

 白蛇はそんな優子に近づき、顔についた涙の跡をちろちろと舐めた。

 慰めるように優子の顔にすり寄る。

 すると優子の身体から徐々に力が抜けていく。

 白蛇が夢の中へと案内するように何度も顔にすり寄ると、優子はいつの間にか寝息を立てていた。


 頻繁に見る景色。何ひとつ変わらない白の世界に優子は立つ。

 そしていつも、振り返れば白威がいる。


「ねえ」


 優子よりも高い位置にある顔を見上げる。

 白威は表情をつくることなく、優子の言葉を待つ。


「白蛇と結婚したら、私に何か良いことがあるの?」


 悲痛な顔でそう言われ、白威は視線を横にやる。

 逸らされた視線により返答を察し、優子は一歩近づいた。


「例えば、私の願いを叶えてくれるとか」

「…」

「村人をいたぶってほしいとか、そういう願いは叶えられるの?」

「…」


 逸らされた視線が戻されることはない。

 答えることができない質問だったからだ。

 何も教えてくれない、何も言ってくれない。

 数年経った。白威と出会い、数年が経過した。その間、二人の仲には友情の欠片くらいは生まれた。少なくとも優子はそう思っている。

 それなのに、この類の話になると無口が加速する。

 主人の命を守っているのか知らないが、数年間親しくしている仲だ。優子に譲歩してくれてもいいはずだ。


「そう、言わないの...なら、舌噛んで死ぬわよ?」


 ぴくっと白威が反応した。

 優子に死なれると困るはずだ。白蛇が何故黒髪を欲するのか、未だに不明だが生きて捧げなくてはならないのだろう。

 それならばと、自らを人質にした。


「いいの?私が死んだら、困るんじゃないの?」

「…」

「教えてくれないのなら、自害する」


 優子が得意な脅迫だ。


「言うの?言わないの?」


 射貫くような視線が突き刺さり、白威は大きく息を吐き、白旗を上げた。

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