第4話 Karte4~待つのも苦手です
「先生、このカルテなんですか?」
受付に置かれていたカルテを手に三嶌に尋ねたのは歯科衛生士の
「水曜?午後に患者さん受け入れたんですか?旭先生が来てたんじゃなかったでしたっけ?」
「うん、来てたよー。その患者は夕方RAで来院して来てね……帰せないでしょ?」
「……」
「なに?」
「いえ、別に」
ご機嫌に見える三嶌を横目に香苗は言いたいことを飲み込んだ。三嶌は基本的に患者様第一精神である。ドクターとしての腕もいいし愛想もいい、最大に顔もいい。開業されて三年足らずのクリニックだが評判もすこぶるよく、患者数も年々増加中である。オープニングスタッフである香苗は三嶌のことを誰よりも知っていた。
三嶌が実は顔からは想像つかないほど粘着質で執着心強めのヤンデレタイプだということを。
「可愛かったんですか?」
香苗の質問に三嶌は平然と答える。
「とても」
その言葉の真意がいまいち掴めないが、三嶌が気に入っているのを確信した。同時にヤバいと思った。
「先生?初診の患者様ですよ?」
香苗の問いかけにゆっくりと顔を向けた。どこを見ても整っているその顔が妖艶に微笑んでいてときめくより身震いがした。
「患者には手は出さないが身上じゃなかったでしたっけ?」
「谷くん」
名前を呼ばれただけなのに背筋が伸びた。威圧感はないのにそれ以上言うなと言われているような圧がある。香苗は口を噤んで三嶌の言葉を待った。
「今日アポとれてるから予約表にいれておいて?TBIからお願いするよ」
「……はい、わかりました」
すべて飲み込んだ香苗は優秀なスタッフだと三嶌は思う。開院から傍で育ててきて実に自分好みに育ったと内心ほくそ笑む。だからこそ、本音も本当は言いたい。
「会えばわかるよ」
三嶌の言葉に香苗は目を剝いた。瞬間これは確信に繋がった。
「おはようございまぁす」
「おはよう、
「はぁい、了解しました~」
ニコッと笑って三嶌は院長室へ消えていった。それを黙って見送る香苗の様子に受付アシスタントの桃瀬が異変に気付く。
「先輩?どうしましたぁ?なんかありました?」
「やばいよ、桃ちゃん。この患者やばいよ」
桃瀬にカルテを渡して香苗は少し興奮気味になっている。その姿に桃瀬は若干引きつつもカルテに目を通した。
「笹岡百合……これいつのAO患者ですか?水曜……?え、先生勝手に診察しちゃったんですか?ゲルトどうなってるんだろう、今日であげていいんですかね」
「そんなことより!!やばいって!!この子捕獲されるって!」
「まさかぁ、先生が患者様とは一線引いてるのは……「そうだけど!!」
「え、マジですか?」
夕方になるにつれクリニック内はどこか浮足立っていた。17時半予約の笹岡百合を早く見たくてたまらない、香苗と桃瀬は今日それだけを楽しみに仕事に勤しんでいた。三嶌が一度会っただけでえらく執着しているらしいその相手に興味しかない。
休診日の翌日は混みやすく、予約なく来院する患者も多い。基本は予約優先だが三嶌はどんな患者も笑顔で受け入れるので桃瀬も笑顔で受け入れるようにしている。17時15分が過ぎた。もうすぐ例の患者がやってくる、そのワクワクを抑えられずいつも以上の笑顔で患者に対応していた。
―ピンポン
扉が開いた音に予約表を確認していた視線を入り口に向けて桃瀬はハッとする。
(うっそーー)
一瞬固まった桃瀬だが瞬間で笑顔に切り替えた。
「……こんばんはぁ、
「急にごめんなさいねぇ、さっきワイヤーが外れたのか歯茎に触れちゃってぇ」
「それは大変ですね。ちょっと混みあってくるので少しお待ちいただくかと思いますけど……なるべく早く対応させていただきますね!お待ちくださいっ!」
桃瀬は対応そこそこに慌てて香苗のもとへ走った。
「先輩!やばいっす!黛様がAOです!」
「え?!今?」
香苗も驚いて時計を見る。17時20分、タイミング的に最悪だった。
「何で来たの?先生には伝えた?!」
「ワイヤーが外れたかもって。先生今ほかの患者様と一番チェアーでお話し中だからまだ伝えていません」
二人で顔を見合わせた。その瞬間ピンポンと音がして二人が同時に察した。
「「!!」」
二人でバタバタと受付に走った。初めて見る患者に何も言わずとも双方顔を見合わせて頷く。
〈この子に違いない!!〉
桃瀬がまずは先陣を切って得意の受付嬢スマイルで迎え入れた。
「こんばんはぁ!診察券お持ちですかぁ?」
「……こんばんは、あの、先日は休診のところご無理を言いまして……」
そう言い差し出してきた診察券を受け取り名前を確認して香苗にアイコンタクトを送る。
笹岡百合が来院した。時刻は予約時間5分前、理想的時間配分をしている患者だ。予約時間を守らない患者は多い。それだけで香苗と桃瀬的には好感度が上がってしまう。
「いいえ!こちらこそドクターだけの対応になって申し訳ありませんでした。その後お変わりなかったですか?」
「えっと……まだ少し……痛みがあります」
言葉の通り右下のえらのあたりがふっくらと腫れているかもしれない。桃瀬はじっと百合の顔を見つめていた。
(ぜんっぜん思ってたのと違うんだけどぉー?若いっていうより幼い感じ?何歳だ?二十三?
桃瀬はどちらかというと派手で自分の身なりに120%ほど気を遣うタイプなので余計にそう感じた。百合は地味だった。同じクラスにいたら完全に陽キャと陰キャに分かれているだろう。そんな容姿イメージを香苗も同じように抱いていた。
(このタイプに可愛いってなったってことはもう完全に中身落ちってことよね……先生のなにをくすぐっちゃったのかしら、この子は……しかし地味ねぇ。髪の毛がまたすんごい猫っ毛なのねぇ、ふわんふわん……小動物タイプって感じ?あー、でもなんか、なんかわかるんだわぁ、先生の加虐心くすぐるような雰囲気あるある~)
そんなことを診察室から盗み見していたら三嶌の声に意識が戻った。
「一番、アウトいいよ」
声をかけられて患者の出ていく指示に香苗が駆け寄った。「お疲れさまでした」と患者のエプロンを取り外して見送った流れで受付状況を伝えようと思ったのに三嶌がサッと受付の方に行ってしまう。
(あ゛ーー!!待って待ってぇ!まだ伝えてないーー!!)
香苗は焦って追いかけようとしたが奥でタイマーが鳴ってしまいそちらに足が向いて受付には行けない。
「桃瀬くん、次の予約なんだけど――」
三嶌の声に香苗と桃瀬が息を止めた。三嶌も受付を見て一旦静止した。待合ソファに並んで座る二人の女性に受付にいる二人は思考を一瞬止めた。
「せんせぇ~~」
やたら甘えた声で腰を上げたその女性に百合は少し身を引いた。その顔は少し怪訝な表情だった。それを三嶌と桃瀬は当然察知する。
「こんばんは、黛さん。どうされました?」
三嶌は目元を穏やかに緩めて、甘い声を出して近寄ってくる患者に声をかけた。予約も電話もせずいきなり訪れたその患者は、大きな声でワイヤーの違和感を感じると訴える。その患者に百合は不審な視線を送り続けていて、それを横目に桃瀬は思考を巡らせていた。
(あの視線はどういうものかな。黛様にいい印象はなさそうだし、それに笑顔で対応している先生に対してもちょっと嫌な感じで見てそう?先生絶対心情穏やかじゃないよね~、だって黛様だもん~~無駄に時間食う人だもん~~内心めちゃくちゃ苛ついてそ~~)
桃瀬のいう時間を食う人=黛様は三嶌に惚れている。今時びっくりするが古典的ラブレターを何通も三嶌に渡している人だ。もちろん手紙の中身は熱烈な愛のメッセージが綴られていて、自分の歯を一生三嶌に委ねるとまで言う。今は部分矯正を開始して定期に通っている患者だった。
その時、同じ空間内にいた百合は体を固くしていた。装飾品が派手でやたら強く巻かれたロングの巻き髪の女性の放った言葉を反芻させていた。
(ワイヤーが外れたってなに?頬を刺している??やっぱりヤブ医者?口の中に凶器を仕込んで時間差で外れるように細工するとか?えぇ?サイコパス?怖すぎるぅぅぅーー)
とんだ妄想をまた始めていた。
ぐるぐると嫌な想像ばかりを膨らませつつ気づくと予約時間はとうに過ぎ、受付のソファで百合は15分ほど待たされてより心痛を深めていたのだった。
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