大事な尻尾

@sea-78

大事な尻尾

 転々と雲の浮かぶよく晴れた土曜日だった。僕は息を切らしながら町の中心にある小さな公園へ向かった。公園には錆びついた滑り台と鉄棒、あとボロボロのベンチがあるだけで休日の昼間でも滅多に人が居ない。雑草も多い茂ってるし、サッカーや野球が出来るほどの広さもないから小学生もここでは遊ばない。

 ただ、僕は知っていた。人の寄り付かないこの公園を気に入っている女性がいることを。今日の僕は彼女に用があった。


「居た!」


 公園に入ると、白く長い髪が特徴的な、綺麗な女性がベンチに座って大きな本を読んでいるのを見つけた。タイトルの書かれていないその本は彼女が昔、外国の博物館から盗んだものでとても気に入っているらしい。

 僕は愛おしそうに本に目を落とす彼女にズカズカと近づいた。


「ん?」


 僕の気配に気づいたのか、彼女は顔を上げた。吊り気味の目がほんの少し柔らかくなって彼女は小さく笑みを浮かべた。


「これはこれは。君から私を訪ねてくるなんて珍しい。何の用かな?」

「……返してください」

「返す? 何をだ?」

「しっぽです! コロンのしっぽ返してください!」


 キョトンと首を傾げる妖精さんに僕は大声で言った。


 ◆


 僕の部屋は基本的に扉を開けていて、うちで飼っている猫――コロンはよく部屋に入ってくる。リビングにもちゃんとコロン用のベッドを置いているけど、彼女は僕の部屋にいるほうが落ち着くみたいで、僕がいようがいまいが勝手に入ってくつろいでいるのだ。

 今朝、目が覚めていつものように部屋に入ってにゃーと僕を起こしにきたコロンの姿を見ると、彼女にはゆらゆらと揺れてるはずの尻尾がなかった。どこかに挟んで千切れたのかと思って僕は焦って彼女を抱えて、お尻を見た。

 けれど不思議なことにお尻どころか全身どこも傷がなかったのだ。

 最初から尻尾なんて無かったかのような姿に僕は盗まれたのだと確信した。そう――目の前の彼女に。


「なるほど……それで私のところに」

「返してください。コロンは尻尾が自慢でよく僕に見せつけてくるんですよ。きっと彼女のアイデンティティなんです。あれがなきゃコロンが可哀想です!」

「難しい言葉を知ってるな。……残念だが、尻尾を返すことはできない。何故なら犯人は私じゃないからだ」

「絶対嘘」

「酷い言いがかりだ。私が犯人である証拠でもあるのかな?」

「コロンの尻尾は綺麗に無くなってました。切られたとか千切れたとかじゃなくて、最初から無かったみたいにパッと無くなってたんです。そんな事出来るのは妖精さんだけです」


 僕の考えを聞いて、妖精さんはふむ、と頷く。


「確かに私なら尻尾くらい消すように奪えるが、今回は私じゃない。猫の尻尾なんてコレクションに加えるほどの魅力は感じないし、盗む面白さも無いじゃないか」


 平然と妖精さんは答える。面白ささえあったら猫の尻尾も盗るのか。そして盗れちゃうのか。やっぱりこの人おかしい。人じゃないけど。


「じゃあ、妖精さんじゃなかったら一体誰が? 妖精さん以外にも尻尾盗めるような変なのがいるんですか?」

「さらっと私を変なの扱いしている事は置いといて……この町では見たことないな。他の妖精も、それに準ずるような輩も」


 困った。妖精さん以外に心当たりはひとつもない。手がかりもない。このままじゃ迷宮入りだ。

 肩を落とす僕を見かねたのか、妖精さんが大きな本をパタンと閉じた。


「……仕方ない。私以外に容疑者がいないという理由で犯人にされてしまっては困る。私も犯人探しを手伝ってやろう」

「え。い、いいんですか?」

「ああ、ジュースくらいは奢ってくれよ」

「小学生にせびらないでくださいよ……。でも、ありがとうございます!」


 妖精さんは色んなことを知っているし、頭もいい。彼女が手伝ってくれるなら犯人はきっとすぐに見つかるはずだ。


 ◆


 オレンジ色に染まった空の下。僕と妖精さんは路地を歩いていた。肩を落とす僕の隣を、小脇に大きな本を抱えた妖精さんが歩く。


「見つからない……」


 数時間、町中を探しても犯人どころか手がかりも見つからなかった。コロンのいつもの散歩コースや猫の集会所も周ってみたけど、変わった点はひとつもなくて僕の足が限界を迎えたところで捜査は切り上げとなった。

 最後にコロンの状態を見たいと妖精さんが言うので、送ってもらうついでに家に向かっている。


「何処に行ったんでしょう? というか犯人は何で尻尾なんて盗んだのかな?」

「私のような収集家か、売り捌くか、何かの儀式に使うか。あ。食すというのもあるか」

「う、うえぇ……」

「まあ、そこまで美味しくないし好んで食べるようなヤツがいるとも思えん」

「食べたことあるんだ……」

「大昔に」


 僕の頭の中の辞書に「猫の尻尾は美味しくない」という雑学が追加された。要らない項目だ。明日には消そう。


「犯人、ねえ……」

「何です? 意味ありげに呟いて。何か分りました?」

「いや、ただ気になっただけだ。これだけ探しても手掛かりも出ないとなると盗まれたわけではないのかもな」

「盗まれたわけじゃなかったら、何で無くなったんでしょう?」

「…………」


 妖精さんは答えない。思い当たる節があるようだけど確信には至っていないみたいだ。

 これ以上話しかけると鬱陶しく思われそうだ。僕は黙って足を進めた。


 ◆


「何だ。あるじゃないか」

「…………あれ?」


 家に着いて、僕の部屋に妖精さんと二人で入ると、見覚えのあるフサフサとした毛並みの尻尾がゴミ箱に入っていた。

 思わずベッドで寝転んでいるコロンを見ると、今朝と同じく尻尾が無い。

 ゴミ箱から尻尾を拾って、彼女のお尻に当てるとぴたりとその毛並みやサイズ感があっていた。間違いない。コロンのものだ。


「な、なんでゴミ箱に?」

「今朝からずっとあったのかもな。部屋を調べなかったのか?」

「だ、だって妖精さんが犯人だと思ってすぐに飛び出してきちゃったし……」

「……信用なさすぎないか、私」


 ジトリと妖精さんに睨まれる。申し訳ないと思う反面、普段から泥棒やってるんだし信用なんかあるわけないだろと言い返してやりたい。いや、そんなことはどうでもよくて。


「どういうことなんですか? 突然消えた尻尾が部屋のゴミ箱に捨てられてるなんて」


 僕は思わず妖精さんを見た。何となく彼女は全部分かっている気がした。

 妖精さんは呑気に丸まっているコロンを見つめる。


「彼女が自分で捨てたんだろう」

「コロンが? 何の為に?」

「猫の気持ちなんて私にも分からん。だからあくまで推測になるが……そういう気分だったんだろう。小さな自殺とでもいうのかな。君も思ったことはないかい? 何もかもがどうでも良くなって人生の全てをゴミ箱に捨てようと思ったことが」


 言われて、十年ちょっとの人生をパパッと振り返る。

 友達とゲームをしたり、家族とご飯を食べに行ったり、妖精さんに町でばったり出会ったり。そんな感じの記憶が頭の中を走った。どれもこれもきらきらしていて、彼女の言うようなどうでも良くなった瞬間なんて、僕の人生で一度もなかった気がする。

 

「でも人生や猫生は一度きり。本当に死んでしまうわけにもいくまい。だから自分の大事なものやアイデンティティを捨てて死んだ気になってみるわけだ。そうして生まれ変わって新たな生を歩んだり、今までの幸福を再確認したりする」

「転生ってやつですか。分かるような分からないような」

「君にもいつか来るさ。辛いことがあったわけでも希望を失ったわけでもないのに、無性に死にたくなるような衝動に駆られる時が。もしそうなったら私に言いたまえ。何かを奪うことに関して私の右に出るものはいない。君の大切な物を綺麗に奪って、見事に殺してあげよう」

「嫌ですよ気色悪い」


 胸を張って言う妖精さんに僕はハッキリと言ってやった。

 彼女の魔法の餌食に自分からなってたまるか。それに一体何をどれだけ奪われるのかも分からなくて怖い。

 

「安心したまえ。盗んだものをちゃんと愛でるというのが私の美学だ」


 ニヤリと彼女は猫みたいに目を吊り上げて笑う。確かに妖精さんは盗んだものを自慢したり、紹介する時、いつも楽しそうだった。

 盗まれた僕の何かが彼女のコレクションに加わるところをほんのちょっとだけ想像してみる。

 

「……それでもヤです」

「今ちょっと迷ったな? 可愛いやつめ」


 僕の頭をガシガシと撫でて、妖精さんは部屋から出ていった。尻尾も犯人(?)も見つかったし、もう帰るのだろう。見送らなきゃと思って僕も妖精さんの後を追った。

 

 部屋の貯金箱からジュース代が盗られていることに気づいたのは、それから数日経ってからだった。

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