第107話:大人の誕生日 その4

 時計を確認すると、いつの間にかちょうど良い時刻になっていた。


 夢中になっている彼女の邪魔をしないように立ち上がり、キッチンへと向かう。


 バレないように間仕切りを閉じてからエプロンを装備する。


 この日のために俺はあらゆる情報筋から今、光が何を求めているのかをリサーチした。


 その結果、光が今一番求めているのは『俺の手料理』だというのが判明した。


 多分、先週の海で俺が聞きかじりの調理技術を披露したのが原因だろう。


 しかし、俺には小手先の技術と知識があるだけでゼロから料理を作り上げた経験なんてほとんどない。


 そこでバイト終わりに衣千流さんに相談したところ、『光ちゃんのためなら』と快く協力してくれた。


 普段は優しい衣千流さんだけど、料理の事となるとその指導はまさに鬼だった。


 何度も何度も怒られ、突き返され、そしてまた作り直す。


 そんな数日間にも及んだ地獄の特訓の成果が、今は俺のレパートリーとして刻まれている。


 包丁よし! まな板よし! 鍋よし! その他諸々よし!


 スマホにレシピを表示させ、冷蔵庫から準備していた食材を取り出す。


 まずは衣千流さん直伝のビーフシチューから……。


 ニンジン、玉ねぎ、マッシュルーム――具材を適度な大きさに切り分ける。


 続いて、牛バラ肉を満足感のある少し大きめのサイズで切る。


 塩コショウを軽く振って、ラップで巻いて軽く揉む。


 鍋にサラダ油を敷いて中火で熱し、温まってきたら肉を入れる。


 軽く焼色がついたら、そこに今度は玉ねぎを投入。


 全体的にしんなりとしてきたら調理用の赤ワインを入れて、落し蓋をして煮詰める。


 半量くらいになったところで、水守亭秘伝のルウを投下!!


 水とウスターソース、香味野菜を続けざまに入れて煮立てていく。


 煮立ったら火力を落として蓋をして、後は一時間ほどじっくり煮込む。


 その間に他の料理の準備もして…………出来たー!!


 光の誕生日祝いビーフシチューが完成した。


 メインにはビーフシチューときのこのバターライス。


 副菜には生ハムとカブを使ったマリネサラダ。


 更には、ホタテの酒蒸しなんてものも作ってみた。


「……うん、おいしい!」


 味見もして、出来栄えに問題がないことを確認する。


 これで量も質も大満足に違いない。


 時計を見ると、夕食を食べるのにちょうど良い時間になっていた。


 冷蔵庫から最後の武器を取り出して、間仕切りを開ける。


 画面に集中していた光が、ワンテンポ遅れてこっちを見る。


「誕生日おめでとう、光」


 この日のために予約しておいたバースデーケーキを片手に、攻撃呪文を唱えた。


 果たして効果の程はいかに……。


 やや呆けた様子でこっちを見ている光を眺めていると――


 ――ポロッ……。


 その丸々とした大きな目から涙の粒が溢れた。


 最初は見間違いかと思うくらい小さな一滴だったものが次第に大きくなり、何粒もポロポロと零れ落ち始める。


「えっ!? な、何!? どうしたの!? も、もしかして苺のケーキ苦手だった!?」


 ケーキをテーブルに置いて、慌ててその側へと駆け寄る。


「ち、ちが……違うの……」

「じゃあ、なんで……あっ、良いところだったのに邪魔しちゃったから……?」


 何とか理由を見つけて慰めようとするが、その目からは次々と新しい涙が溢れてくる。


 泣いてる姿を間近で見るのが始めてなせいか、どうすればいいのか分からない。


「そうじゃない……そうじゃなくって……」

「だったらなんで……?」

「嬉しすぎて……」


 彼女は声を震わせながら、そう言った。


「先週の海もすっごく楽しかったのに……今日もこんなに幸せでいいんだって思ったら急に涙が出てきちゃって……ごめんね……」

「いや、急に泣き出したからびっくりしただけで謝ることなんて何も……ていうか、光がそんなに喜んでくれたなら俺も嬉しい……」


 光の肩を軽く抱きながら、ホッと安堵の息を吐き出す。


 急に泣き出されて何事かと思ったけど、そういう理由なら良かった。


「うん、私も……今、世界で一番幸せかも……」

「いや、それは違うんじゃないかな」

「なんで?」

「一番は俺だから」

「何それ~……誕生日なんだから一番は私にくれてもよくない?」


 俺の言葉に、光が涙を拭いながらクスクスと笑う。


「どうだろう。こればっかりは譲りたくないかな」

「え~……じゃあ、私は宇宙で一番幸せってことにする」

「じゃあ、俺は人類史上で一番の幸せ者かな」


 至近で見つめ合いながら、そんなことを言い合っていると――


「ん~……れーやくん、好きぃ……毎日毎日、どんどん好きになっちゃう……」


 案の定、になってくる。


 ペタペタと俺の身体に触ってくる手が、少しずつ熱を帯び始めてきた。


 画面上では光の機体が敵に攻撃されているが、全く気にする素振りも見せていない。


 完全にイチャつきたいスイッチが入ってしまっている。


 この様子なら十秒もしない内にキスされて、なし崩し的に何十回もすることになる。


 当然、俺だってそんな二人だけの甘い時間に浸りたい欲求はあるけど――


「りょ、料理が冷める前に食べないと……」


 グッと堪えて、自分の身体に触れている光の手を引き離す。


「え~……冷めても温め直せばよくない?」

「そこは、ほら……せっかくなら一番美味しい状態で食べて欲しいし……」


 そのまま少し不満げにしている光に背を向けて、キッチンから料理を運んでくる。


 不機嫌モードが少し続くかと思ったが、それは杞憂だった。


「わぁ~……!! おいしそ~……!!」


 テーブルの上に並んだ料理を見た光が、目を太陽のように輝かせる。


「美味しく出来てたらいいんだけど……こんなに作るの初めてだから……」

「絶対美味しいって! 見ただけで分かる! え~、どれから食べよっかな~……」

「あっ、食べる前にケーキのロウソクに火を着けて……」

「えっ!? 吹き消しちゃっていいの!?」

「もちろん、今日は光が主役なわけだし」


 ガスマッチを持ってきて、ケーキの上に指したロウソクに一つずつ着火していく。


 中央に立った青いロウソクが一本と、それを囲むように赤いロウソクが七本。


 合計八本のロウソクで、17歳の誕生日を表している。


「それじゃあ改めて……誕生日おめでとう!!」

「ありがと~! 私は世界一の幸せものだ~!」


 俺がクラッカーを鳴らしたのに合わせて、光がロウソクにふ~っと息を吹きかける。


 流石はアスリートというべきなのか、すごい肺活量で一息に全ての火を消し飛ばした。


「じゃあ、ケーキは一旦冷蔵庫に入れてくるから料理は先に食べてて」

「は~い! どれから食べよっかな~……このビーフシチューにしよっと! あむっ……! ん~……!! おいし~……!!」


 ルウと一緒に大きな肉を一口で頬張った光が恍惚の表情を浮かべて言う。


「おいしい?」

「うん! 美味しい! お肉はすっごい柔らかいのに型崩れはしてなくて、味もちゃんと染み込んでて最高!!」


 その笑顔から掛け値なしに最高の賛辞をくれているのが分かった。


 食べてもらう前の大きな不安が、そのまま嬉しさに変換される。


 誰かの為に作った料理で喜んでもらえるのが、こんなに幸福なことだとは思わなかった。


「ルウもコクがあって口の中に入れると、芳醇な風味が……これ、何入れてるの?」

「えっと、肉の臭み消しに調理用の赤ワインを入れて、後はまろやかさを出すための隠し味にバターとかはちみつを……」

「へぇ~……はちみつかぁ……。私も今度自分で作る時に入れてみよ~っと!」


 喋りながらも手を止めることなく、パクパクと器の中のシチューを口に運んでいる。


「足りなさそうだったらおかわりもいっぱいあるから」

「うん! これだけ美味しいと無限に食べられる! でも、おかわりの前に……別のも……これは何?」

「えっと……それはホタテの酒蒸しだね。シチューと合うかはちょっと分からないけど、いいホタテがあるって衣千流さんがくれたやつをシンプルな味付けで」

「へぇ~……ホタテ……じゃあ、試しに一つ……あむっ! うん! これも美味しい!」


 大きめのホタテを一口で食べた光が、頬が落ちないように抑えながら言う。


 その心底幸せそうな顔を見ていると、こっちまで幸せになってくる。


「じゃあ、俺はちょっとキッチンの片付けをしてくるから光は先に――」


 ともすればスキップしてしまいそうな心地で、キッチンへ戻ろうとするが――


「だぁめ~……そんなの後でいいってばぁ……」


 後ろから服の裾を掴まれて引き止められた。


「いや、後回しにすると絶対面倒になって明日まで放置するから今やっておかないと……」

「らいじょうぶらってぇ……わたひもてつらうからぁ~……」


 そう言って、更に強く服を引っ張ってくる光。


 何か妙に舌足らずな口調だな……と思いながら振り返ると――


「ほぉらぁ~……いっしょに食べよ~……? あ~んしてあげるからぁ~……」


 スプーンを差し出す彼女の頬は朱色に染まり、目尻がトロ~ンと蕩けていた。


 よ、酔ってる……!?




◆◆◆お知らせ◆◆◆


書籍発売から一ヶ月が経ちました!

お読み頂いた方々からはかなり好評で色んな形で感想やレビュー等々もいただいて、本当にありがたい限りです!

続刊等について私の方から言えることはまだ無いのですが、どういう結果になってもWeb版の方はまだまだ続けていきたいと思っているので引き続き朝日さんと影山くんへの応援よろしくお願いします!!

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