第62話:水着を買いに行こう その1

 ――部屋を出てから二十分後。


 俺と光は水着を買うために、二人で近所のショッピングモールへとやってきた。


 やってきたのはいいんだけど……。


「そこまでしなくても流石に大丈夫なんじゃないの……?」


 到着するや否や、光はカバンの中から取り出した装備品を身に着けだした。


 ワンポイントのロゴが入った白のキャップに、顔の上半分を隠すようなオーバーサイズのサングラス。


 更に顎まで覆うグレーのウレタンマスクも合わせて、顔面の殆どを隠してしまっている。


 その姿は美少女よりも不審者の方に若干寄ってしまっている気がしないでもない。


「でも今はバレたら本当に大変なことになりそうだし、万全を期すに越したことはないでしょ?」

「まあ、それはそうなんだけど……」


 昼のワイドショーで特集されたことによって、『朝日光』の顔と名前は今や老若男女を問わずに日本中へと広まった。


 いつも光と行くPCショップのある大型モール程ではないが、ここも夏休みの真昼ということでかなり賑わっている。


 身バレすれば、どれだけの騒ぎになるのかは火を見るよりも明らかだ。


「なので黎也くんには悪いけど、しばらく外に出る時はこの格好で行くことにする」


 それを理由に挙げられれば反論のしようもなく、理解を示すしかなかった。


 そのままモールの入口を通ってエスカレーターで二階へと上がり、通路を歩いて女性向けのアパレル店が並んだ一角へと辿り着く。


 七月の下旬という夏真っ盛りのシーズンを迎えて、多くの店が店頭で自社ブランドの水着を大々的に売り出している。


 ティーン向けのポップものからシックな少し大人の女性向けのものまで。


 これまでは存在を意識したことがなかったが、改めて見ると女性向けのファッションは男性のそれよりもかなり大きな業界なのがよく分かる。


「黎也くーん! こっちこっちー!」


 既に目当ての店に当たりを付けていたのか、光はすぐにその中の一つへと歩き出す。


「わー! かわいー!」


 店頭に並んだカラフルな水着を眺めながら、光が初めて俺のライブラリを見た時と同じくらいに色めき立っている。


「ねえねえ、どれがいいと思う?」

「え、ええっと……そうだなぁ……」


 当然のように為された質問に、色とりどりの水着の前でフリーズする。


 光と出会うまでは……いや、出会ってからですら俺は未だにファッションのファの字も分かっていない。


 ましてや水着に対する評価軸なんて、『なんとなく可愛い』と『エロい』程度しか持っていない。


 しかも、単色極小のビキニタイプばかりが氾濫しているインターネット世界と違って、現実の水着売り場は非常に多種多様だ。


 そんな状態で、モデルもやっている彼女の水着を選ぶなんて大役を一体どう熟せようか。


 生半可なものを選べば、全国の朝日光ファンに申し訳が立たない。


「こ、これなんかどうかな……? 爽やかな感じが光っぽいというか……」


 しかし、男にはやらねばならない時があると意を決して手近にあった一つを示す。


 光のイメージにも合いそうなスポーティなタンクトップ型の水着。


 上下が別れたセパレート水着だけど、下もビキニ型ではなくショートパンツになっている。


 いきなり露出の多いものを選ぶのは危ないと思った末の、無難オブ無難な選択。


「なるほど~……そうきたかぁ……ふむふむ……」


 光がそれを手に取って、美術鑑定士のような視線で眺めている。


 さ、流石に無難すぎたか……?


 確かに考え直してみると、光ならこういう感じという固定観念に囚われすぎてたかもしれない。


 ここは普段より可愛い系でワンピースタイプとか……


 沙汰を下される直前の罪人の心地で待っていると――


「うん! 良さそう! やっぱり、青系は『夏!!』って感じするよね」


 光がサングラスとマスクの下で顔を綻ばせて、そう言ってくれた。


 しかし、それでほっと一息ついたのも束の間――


「じゃあ、これはキープで次! 次は私が決めるけど、その次はまた黎也くんに決めてもらうから考えといて!」


 俺が選んだ水着を右手に持ったまま、光はすぐに次の水着を物色しはじめた光。


 その姿を見て、これが噂に聞く女子の買い物ってやつかと感慨深い気分になった。


 それからも売り場を巡って、様々な水着を見て回った。


 今度は光が自分の好みで選んだり、また俺が選ばされたり。


 最終的には、十着近い数の水着が購入する候補として残された。


「う~ん……流石にこれ全部は買えないよねぇ~……」


 両手に多数の水着を持ちながら光るが困ったように唸っている。


 どれも等しく気に入ってしまっているのか、選びかねてしまっているようだ。


「桜宮さんの誘ってくれたプレオープンのイベントって二日間だっけ?」

「うん、一泊二日って言ってたから一日目と二日目で替えるにしても二着……一日の途中で着替えるにしても四着が限界だよねぇ~……」

「まあ、身体は一つしかないからね」

「だよね~……となると、やっぱり……すいませ~ん!」


 何かを思い立ったのか、光が近くにいた女性の店員さんへと声をかけた。


「なんでしょうか?」

「どれを買うか悩んでるんですけど、試着って出来ますか?」

「はい、アンダーショーツを着けて頂けるのなら出来ますよ。あちらに試着室があるので、どうぞご利用ください」


 店員さんがそう言って、笑顔で店の奥側を手で指し示す。


「ありがとうございます! だって、黎也くん! ちょっと着てみるから今度はそれで判断し――」

「えっ? き、着るって今ここで……!?」

「もちろん。全部買うわけにもいかないなら着て確かめるしかないでしょ?」


 一体何を言ってるんだとでも言いたげな表情で、光がきょとんとしている。


「いや、でも……その、心の準備っていうか……」

「心の準備……? なにそれ。別に黎也くんが着るわけじゃないのに」


 今度はジトッと訝しげな表情で言われる。


 けれど、光は何も分かっていないと言わせて欲しい。


 朝日光は言うまでもなく、千年に一人の美少女だ。


 本人は冗談や誇張表現だと思っているらしいが、それは揺るがしようのない事実。


 そして、そんな美少女の水着はもはや劇薬を通り越して“究極破壊魔法メテオ”の域にある。


 本来なら予定日までじっくりと時間をかけて禅の境地に至るような精神性を得て、なんとか受け入れることができるような代物だ。


 そんなものと何の準備をしていないまま、今この場で対面しなければならない。


 改造ROMランダマイザーで初期ステージにいきなりラスボスが配置されたようなもんだ。


「ほら、行こ」


 しかし、そんな心境を吐露できるわけもなく、手を引っ張られて試着室の前まで連れて行かれる。


「さて、それじゃあ順番に着てみるから黎也くん的にはどれがいいか教えてね」


 靴を脱いで試着室へと入った光が、そう言って入口のカーテンを閉じた。


 少し遅れて、中からはっきりと衣擦れの音が響いてくる。


 その生々しい着替えの音に、思わず生唾を飲み込んでしまう。


 心臓の鼓動が煩いくらいに身体の内側から鼓膜を揺らしている。


 何が出てきても、とにかく平常心だけは保とう。


 心にそう誓いながら、その時が訪れるのをひたすら待ち続ける。


 そうして、永遠のように長く感じた時間があっという間に過ぎ去り――


「開けてもいいよ」


 中から準備完了の言葉が告げられる。


 向こうも緊張しているのか、その声はほんの少しだけ強張っていた。


「わ、分かった……開ける……」


 不審者のように辺りを見回して、自分以外の誰もいないことを確認する。


 平常心、平常心、平常心。


 カーテンに手をかけ、意を決して開いた。


 平常心、平常心、へいじょ――


 1m四方ほどの試着室の中に、水着を纏った光が立っていた。


 肩にストラップがかかり、首元がU字型に空いているタンクトップ型のトップス。


 ボトムスはスカートのようにゆったりとした濃い青色のショートパンツ。


 単純な構成だけでいえば普段彼女が着ているトレーニングウェアに相似しているが、夏を意識した華やかな柄に加えて、ヒラヒラとした裾や袖口が女子的な可憐さを演出している。


 何より付与された『水着』という属性が、それとは一線を画していた。


「ど、どうかな……?」


 少し照れくさそうにしながらも、軽くポーズを取った光が感想を尋ねてくる。


 以上を以て、俺は死んだ。

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