ストーカー
@sea-78
ストーカー
白い家具を基調とした、広いリビング。その隅に縄でぐるぐる巻きにされ、座り込む茶髪の女性がいた。
柔和な雰囲気を滲ませて、こちらへ微笑むその女性に困惑しながら俺は隣の水那萌(みなも)に聞いた。
「……何あれ?」
「電話で伝えただろう。ストーカーだ」
何をいまさら、とでも言わんばかり顔で言った彼女に俺はなんと返していいかわからなかった。
水那萌から電話がかかってきたのは、俺が午前の講義を終えてそのまま自宅に帰ろうとした時だった。
彼女とは中学時代からの友人だった。高校、大学とたまたま進学先が被って、付き合いが長くなるに連れ、仲が深まっていった。親友というほど熱い仲でもないが、ただの友人よりは半歩ほど深い関係だと思う。
高二の夏休みに、水那萌は芸能事務所にスカウトされてアイドルデビューをしたため、最近は以前のように一緒に出掛けるようなことはなくなったが、休日に何でもないメッセージのやり取りをしたり、課題に行き詰ったときは互いに連絡を飛ばしあったりしていた。
そんな彼女から平日、それもお昼時に電話がかかってくるというのはここ二、三年では結構珍しくて、どうしたのだろうと首をかしげながら俺は電話に出た。
電話の内容はいたってシンプルで、難解なものだった。
『ストーカーを捕まえた。私の部屋で拘束してるからどうにかしてくれ』
それだけ告げられて電話が切れ、俺は疑問符を浮かべて講堂の前で立ち尽くすことになり、とりあえず彼女の部屋へ向かった。そしてそこそこセキュリティの高いマンションの部屋で俺を待ち受けていたのは前述の光景だった。
水那萌の言う、ストーカーは軽くウェーブ掛かった茶髪の女性で、その体はヤクザ映画で見る敵組織に捕まった構成員のように縄でキツく縛られている。
とりあえず状況を説明してほしい、と水那萌に目をやると彼女は冷ややかな目で女性を眺めた。
「最近、外を歩いているとやけに視線を感じてな。今日は講義が休みだったから買い物に行くついでに、変な奴が付いてきてないか後ろを気にしながらスーパーに向かってたんだ。それで曲がり角を曲がるように見せかけて待ち伏せしたら、そいつが私のことを尾行してたから、とっ捕まえた」
簡単に言っているが、自分を尾行してくるような危険人物を捕まえようとするその行動力に、若干の異常性を感じる。俺だったらまず走って逃げる。
改めて、ストーカーの女性を見た。白いブラウスにベージュのロングスカート。床に座って、リビングの入り口に立っている俺たちをおとなしく見つめるその顔は、端的に言って美人だった。
大きくクリリと丸い目に、薄く微笑む口元。パッと見、俺や水那萌と同い年ぐらいの年齢に見えるが、どこか愁いを帯びているその表情は大人っぽくて、目を惹かれる。
こんな人が水那萌のストーカー? と疑問に思うと同時に、少し納得する自分もいた。
水那萌はアイドルにスカウトされるだけあって、目の前の女性と同じか、それ以上に整った顔立ちをしているが、言動も含めてかなりクールな女性だ。吊り上がり気味の目に、長く艶やかでまっすぐに伸びた黒髪。身長も女性にしては高い方で、どちらかというと同性のファンが多いアイドルだと思う。
そんな水那萌のことだから、女性ファンのストーカーが出てきてもおかしくないのかもしれない。
ゆっくりと、ストーカーさんに近づいて彼女の前でしゃがんだ。水那萌にどうにかしてくれと言われたわけだが、ストーカーの対応方法なんてもちろん知らないし、警察に連絡するにしても、本当にストーカー行為をしたのか話を聞いてからにしようと思った。
「えっと、こんにちは」
「こんにちは」
なんて声を掛けるか悩んで、とりあえず挨拶をした俺に女性は柔らかい声と表情で挨拶を返した。
いいところのお嬢さん、というかとても育ちのよさそうな雰囲気の女性を前に少し緊張しながら声を紡ぐ。
「まず確認を……水那萌のこと尾行してたって聞いたんですけど、本当ですか?」
「はい。事実です」
女性は穏やかに頷く。
「お、落ち着いてますね」
「これだけガッチリ拘束されてますし、焦っても状況は変わりませんから」
「……お名前を聞いても?」
「乙木(おとぎ)と言います。乙女の乙に木と書いて乙木です」
「乙木さん……は、何故ストーカーを?」
「不思議なことを聞きますね。愛おしいから、以外に理由がありますか?」
当然のように答える乙木さん。すると、ずっと入り口近くの壁に寄りかかって見ていた水那萌から声が飛んでくる。
「無いな。そんな当然の質問をしてどうする」
「いや、念のためにね。もしかしたら水那萌が乙木さんの恨みを買って付けられてる可能性もあるかなーって」
「お前は私が恨みを買うような人間に見えるのか」
「有名人だし、芸能界ってギスギスしてるイメージあるから水那萌のことをよく思ってない人がいてもおかしくないかも」
水那萌はあらゆる事をそつなくこなすスペックの非常に高い人間だし、無愛想に見えて人付き合いも結構うまい。芸能活動を進めていく中でもきっとその立ち回りの上手さは遺憾なく発揮されてるだろうし、そんな彼女に嫉妬してる人がいてもあまり驚かない。
なんて事を考えていると、乙木さんが俺と水那萌を見て静かに呟いた。
「……ずいぶん仲が良さそうですね」
「え? あ、ああ、まあ、そうですね。結構付き合いが長いので……」
水那萌のストーカーである彼女からしたら、男の俺と仲が良いというのはあまり面白くないのだろう。丸い目が少し細くなって、見定めるような視線を送ってくる。その瞳に、少し体が強張る。
「い、一応、言っておきますけど、別に俺たち付き合ってるとかじゃないですよ。ただの友人です」
「それは知っています。恋人がいたら由々しき事態です」
「アイドルだし恋人なんていたら事務所が大騒ぎになりますしね」
「アイ、ドル……? ただの一般大学生ではないのですか?」
キョトンと首を傾げる乙木さんに、俺は違和感を覚えた。
「……いや、最近は結構テレビとかにも出てて、人気アイドルの部類に入ると思うんですけど……え、知らなかったんですか?」
「初耳です。そちらの女性がアイドルなのは知ってましたけど、貴方もだったとは」
「…………ん?」
何かおかしい。どうも話が噛み合っていない。
それは乙木さんも感じたようで、どういう事だ、と互いの顔を見合わせていると水那萌が衝撃の言葉を口にした。
「……何か勘違いしているようだから言っておく。そいつはお前のストーカーだぞ」
「…………は?」
思わずパッと振り返って水那萌の顔を見た。相変わらずクールな表情で、嘘を言ってからかっているようには見えなかった。
ポカンと口を開けて唖然とする俺に乙木さんが納得したようにああ……、と声を出した。
「なるほど。どおりで話が食い違っていたのですね。そちらのアイドルさんが言うように、私は貴方のストーカーですよ」
「仮に私のストーカーだったとして、何で真っ先にお前に連絡する必要があるんだ。普通に考えれば、事務所か警察に電話するだろ」
「いや、それは俺も思ったけど……一般人の俺にストーカーなんていると思わないじゃん」
もう一度、乙木さんの顔や体をじっくりと眺めた。名前にも見た目にも、全く覚えがない。
「えっと、失礼ですけど……俺たちどこで会いましたっけ?」
「隣町の喫茶店で。シンデレラというお店です」
「……ああ、半年くらい前に行きましたね。本屋に行った帰りに」
「私はあの店の常連なんです。ある日、私がカウンター席に座って本を読んでいた時、貴方がドアベルを鳴らして入ってきたんです。一目見たその時から貴方のことしか考えられなくなってしまって……完全に一目惚れでした。必死に情報を集めて通っている大学やバイト先のファミレスを突き止めて、バレないように影から見つめるようになったんです。あ、盗聴とか盗撮とかはしてないですよ。カメラを仕掛けたりするのって意外と難しそうですし、私にはまだ出来ません」
うっとりと目を蕩けさせながら語る顔は、見惚れるほど綺麗なのにこちらの背筋を凍らせるものがあった。
俺は額に汗を滲ませながら、もう一つ聞いた。
「……水那萌を付けていたのは?」
「そちらの女性と仲が良いのはすぐに分かりました。最初は恋人関係ではないし大目に見てもいいかなと思っていたんですけど、だんだん気にいらなくなって。隙を見て少し怖がらせようかなと……。ちょっと脅すくらいで大怪我させようとか、ましてや殺す、なんてことは考えてなかったですよ? でも、隙をつく前に捕まってしまって……作戦失敗です。しょぼん……」
自分でしょぼんとか言っちゃうんだ、と突っ込む気にはなれなかった。
水那萌が俺のすぐ隣まで来て、聞いた。
「それでどうするんだ? 警察に連れていくのが無難だが」
「う、うーん。まあ、本当に盗聴とか盗撮とかされてないなら今回は執行猶予付きって事で見逃していいんじゃない?」
「甘いな。簡単に反省するようなタイプには見えないぞ」
「だとしてもカメラとか仕掛けられてないなら、警察に連れて行っても証拠不十分だと思うよ。被害者である俺が気づいてなかったし」
「私がまた狙われたらどうする」
「水那萌ならまたあっさり捕まえるでしょ」
「……お前、美人に好かれてラッキーとか思ってるな?」
「そんな事ないですよ? ……ちょっとトイレ借りるね」
「図星か」
ジトリと湿った目を向ける水那萌を無視して、俺はリビングから出た。
◆
リビングから出ていく陽鉢(ひばち)の後ろ姿を見送って、小さくため息をついた後、私は振り返ってストーカー女を上から見下ろした。
陽鉢を目で追っていた彼女は視線に気づいて、私の顔を見上げる。
現役アイドルの私から見ても整った顔立ちのストーカー女は柔らかな微笑みを私に送ってくる。
二、三秒。視線を結び合った後、私は彼女の後ろに回って縄を解いた。
「あら、解いてくれるんですね。ありがとうございます」
「当の本人がああ言ってるからな。私としてはさっさと警察に突き出せばいいのにと思ってる」
縄を解き終わると、ストーカー女はキツく縛られて縄の跡が残る手首をぐるぐると回しながら、「あの、一つ聞いてもいいですか?」と言った。
「なんだ?」
「何故、私に付けられていると気付いたんでしょうか? 尾行には自信があったんですけど、そんなに分かりやすかったですか?」
「…………」
どう答えたものか、少し考えた。
今はアイツもこの場にいないし、忠告しておくにはちょうどいいかもしれない。
私は自分のスマホを取り出して、写真アプリを開きながら言った。
「……商売敵には敏感なんだ」
「商売敵?」
何を言っているかわからない、という表情を浮かべたストーカー女に私はスマホの画面を見せる。
すると、彼女は大きく目を見開いた。
「これ、は……」
画面に映っていたのは私の秘蔵コレクション。軽く千枚を超えるアイツを隠し撮りした写真や動画がずらりと並ぶアルバムを前に、流石のストーカー女も口をぽかんと開けて唖然としていた。
私は声を低くして、彼女の耳元で囁く。
「これ以上、アイツの周りをうろちょろしないでほしい。私も、事件は起こしたくない」
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