今はまだ(撫子視点)


*時系列は貴弘と撫子が付き合う前のお話。



 グロリア・フロス栄光なる花


 この聖深学院において、その名を冠する者は最も優秀でなければならない。何故なら、全生徒の模範となり教え導く存在であるからだ。


 その選考基準は、まずアイリス・ローズ・リリィー・ジェンシャン、自身が所属する学舎の監督生プリフェクトであること。更に年に一度、その監督生の中から最もグロリア・フロスの称号に相応しいと、全生徒からの投票により選ばれること。


 その二つを得られて初めて、「グロリア・フロス」の担い手になれるのだ。いや、なれる、のではない。ならなくてはならない、が正しい。例え当人が、それを望んでなくても、選ばれてしまえばならざるを得ない。


 ―――そう、この私のように。



  ***



「髙野宮様、お加減が優れないのでしょうか?」


 渡り廊下で立ち止まり、ぼんやりとバラ園を眺めていると後ろから声をかけられた。振り向くと名も知らぬ女子生徒が心配そうに私の表情を伺っている。


 いけない、少し気が緩んでしまっていたみたいね。


「……いいえ、大丈夫です」


 髪を払って、気分を入れ替える。


「少し考え事をしていただけですので。ご心配をお掛け致しました」


  意識して笑顔を浮かべ、そう言ってみせる。


「そうですか。それなら、良かったです!」


「ええ、ありがとうございます。では、ご機嫌よう」


 私は彼女に軽く会釈をしてから、廊下を再び歩き始める。


「ああ、白百合の君だわ」


「出で立ちも凛として、同じ女性として憧れてしまいます」


「……お姉様はいつ見ても本当に綺麗ですね」


「当たり前ですわ。お姉様はこの学院のグロリア・フロスですもの」


 遠巻きにこちらを伺う生徒達からの囁き。強い憧憬、期待、羨望の眼差しを一身に受ける。


 ……いつものことよ。いつもことだけれども、億劫だわ。


 表に出してはならない感情に蓋をして、何事もないかのように歩みを進める。


 髙野宮の家訓は「常に優雅で徹底的に物事を完遂させる人であれ」である。淑やかな微笑みを浮かべながらも、決して隙を見せず冷静でなくてはならない。そう自分に言い聞かせる。ため息をつくことさえ、私には許されない。そう望まれているからだ。



 ***



 ホームルーム終了の鐘がなる。


 窓から夕日が差し込み、教室は黄金色に輝いていた。暫くその風景を眺めて、日差しの眩しさに目を細める。懐かしく暖かい色だ。心が落ち着く。


 ペンケースと教科書を鞄に入れ、とんとん、と鞄を軽く机に当て整える。金具を止め、引っ張りきちんとロックされているかを確認する。


「……あ、あの、あのっ、髙野宮さん」


 弱々しい声に釣られて、顔を上げる。

 背中まで伸ばされた明るい茶髪に、保護欲を擽られる童顔の可愛らしい少女が立っていた。


「はい、塚原さん。どうかなさいましたか?」


「えっと、その、私たち、これからカフェでお茶をしようと思ってるんです。も、もしよろしければ、ご一緒にどうでしょうか?」


 彼女、塚原雪枝さんはウサギのように震えていた。精一杯勇気を振り絞ったのだろう。彼女の後ろに視線をやると、溌剌とした雰囲気の城戸八重さん、おっとりとした気風の水野万里子さんが立っている。このクラスで仲良し三人組と言えば彼女達を思い浮かべる。


(……ああ、そうね。人付き合いもこなさないといけないわ)


 人脈を構築することは何より大切だ。クラスという狭いコミュニティーの中で上手に立ち回ろうと思えば、ある程度の交流を図らなければならない。


 そこまで考えて、自身の打算的すぎる思考に辟易してしまう。そういう穿った見方しかできないのかしら。駄目ですね。そっと目を伏せて、戒める。


「……おい、撫子」


 教室の入り口から控えめに名前を呼ばれた。視線を向ける。短く整えられた髪、鋭い目付き、全体的に鋭利で男らしい容貌。それを見ただけで、心が解れた。


「貴弘さん」


「おう、迎えに来たぞ……ん?」


 貴弘さんはそこまで言って、私と塚原さん達を交互に見詰め、理解したように小さく頷いた。


「ふーん。そうか。……撫子、遊んでこいよ」


「えっ?」


「誘われてんだろ?」


「え、ええ。そうですが、良く分かりましたね」


「まあ、雰囲気で何となく」


「お茶に誘って頂いたのよ。だから、どうしようかと」


「決まってんだろ。難しいこと考えないで、遊んでこい」


 貴弘さんは何でもないようにそう言った。そのあっけらかんとした物言いに毒気を抜かる。


 考えすぎ、と言われたら何も言い返せない。否定する余地がないからだ。


 何も考えすぎないで遊んでこい、という貴弘さんの気遣いはありがたいですし、一切を語らずして状況を把握して下さってるのも、以心伝心しているようで嬉しいです。

 ……でも、もっとちゃんと構って欲しいというか。おざなりに放り投げないで欲しいというか。言いたいことが色々ありすぎて、自身の度しがたい程複雑な乙女心がパンクしそうになる。


「なあ、アンタ。あー、いや、そこの君」


「……は、はい! あの、私のことでしょうかっ?」


 びしぃ、と塚原さんを指差す貴弘さん。

 びしぃ、と緊張して背筋を伸ばす塚原さん。


 とても可愛らしいやり取りですね。後、貴弘さん、人に向かって指を差すのはマナー違反だわ。


「おうおう、私だ私。んで、茶ってどこでするつもりなんだ?」


「はい、カフェ・グローリーです!」


「ああ、学内のあのカフェか。ん、了解した」


 うむうむ、と頷いて貴弘さんは私に顔を向ける。


「……じゃあ、俺、田中、いや田下だっか、むむ、田上だったような気がする。まぁ、そんな感じの奴とバスケでもしてくるから、それが終わったら教えろよ」


「あの、まさか貴弘さん、待ってくださるのですか?」


「だからそう言ってんだろ? 心配せんでも先に帰ったりしねぇよ。じゃあ、そんな感じで頼むぞ」


 それだけ言って、貴弘さんは颯爽と出て行ってしまった。


「貴弘さんは本当に……」


(こうも簡単に私の気持ちを掬い上げてくれるのかしら)


 頬が上気する。今の私はどういう表情をしているのだろうか。きちんと優雅に微笑んでいるのだろうか。


(……きっと隙だらけで、冷静さには程遠い顔をしています。分かっているわ。でも、仕方ないの。貴弘さんが全て持っていってしまうから)


 頬に手を添えて、悩ましげなため息をついてしまう。貴弘さんは私に対して「髙野宮」であることも「グロリア・フロス」であることも、望まない。だから、このため息はノーカウントなのです。そう思うと、心が羽が生えたように軽くなる。


「えっと、髙野宮さん。気を悪くさせたら申し訳ありません。その、前からお伺いしたかったのですが、あの方は髙野宮さんの恋人さんなのでしょうか?」


「いいえ、彼は私の幼馴染みです。ふふっ……今はまだ、ですが」


 塚原さんの言葉に、私は飾り気のない笑顔を浮かべた。



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