髙野宮家の花見②
「あー、はははっ、また世界がぐるぐる回ってるなぁ」
「世界ではなくて、あなたの視界が回っているのよ。また飲み過ぎたのね。ふふっ、本当に懲りない人」
撫子の楽しそうな声が聞こえる。
楽しいそうで何より。
うー、吐き気はないけど、ふらふらする。
「あなた、どうぞこちらに。横になれば少しは楽になると良いのだけど」
「おー、サンキュー」
撫子はくすりと笑って、ぽんぽんと自身の膝を叩く。どうやら、膝枕をしてくれるらしい。優しく手を引かれる。俺は抵抗せず導かれるままに横になった。低反発枕みたいな柔らかい感触。それに良い匂い。
「撫子さん、貴弘さんは大丈夫なの?」
「ええ、お母様。ふらつきや眩暈はあっても、吐瀉してしまうような酔い方はされない人ですから」
「そう、良かったわ。……それにしても、撫子さん何だかご機嫌ね」
「ふふっ、だってお母様。この人は酔うと素直でとても可愛いらしいのですよ。普段なら恥ずかしがって、絶対に膝枕なんてさせてくれません。だから、今とても嬉しいの」
頭を優しく撫でられる。
「ご馳走さまです。うふふ……この分では、孫も直ぐ見れそうかしら」
茶目っ気たっぷりにウィンクする桔梗さん。撫子はゆっくり首を横に振った。
「お母様、子どものことはまだ先で良いかと思っているのです」
えっ、そうなのか…… 。
まぁ、ちゃんと家族計画のこと話し合ってなかったけど。結構積極的だから、子どもが欲しいのだと勝手に思ってた。
「あら、どうしてか聞いても?」
「だって……まだ、ふたりで、その、ゆっくり夫婦生活を楽しんでいたいのです。子どもができたら、そう言ってられなくなるでしょう?」
「つまり、まだイチャイチャしていたいと」
「……ま、間違ってないです。ええ、間違ってないですけれど、そう言われてしまうと何だかとても恥ずかしいわ」
かっと、顔が熱くなる。
流石の撫子も桔梗さんには勝てないか。でも大丈夫、安心しろ。俺も絶対に勝てないから。どうすることもできないので、取り敢えず現状維持でいこうと思う。
そんな俺たちを尻目に、圭一と椿は和気藹々と話していた。
「圭一お兄ちゃん。この筑前煮、どうですか?」
椿は重箱から、煮物を小皿によそって圭一に差し出す。圭一はそれを受け取って、一口頬張る。
「うん、うまいよ」
その一言を聞いて、椿は後光が差すような笑みを浮かべた。
「嬉しい! その筑前煮、私が作ったものなのです!」
「へぇ、これを椿ちゃんが?」
「はい。圭一お兄ちゃんが以前、筑前煮が好きだと仰ってらしたので、沢山練習致しました」
「ううっ、椿ちゃん。兄ちゃん、とても嬉しいよ」
感極まって、目を潤ませる圭一。
「お兄ちゃんの好きな食べ物、全て教えて下さいね。私、ちゃんと作れるようになりますから」
「椿ちゃん、ありがとな」
圭一から優しく髪を撫でられて、椿はこくこくと頷いた。頬がほんのり赤く染まる。触れられた髪を確かめるように押さえて、更にもう一度頷く。
「ところで、お兄ちゃん。私、16歳になりました」
「……え? ああ、うん知ってるけど」
「16歳に、なりました!」
今度は語気を強める。
そんな椿を見ながら、圭一は困ったように肩をすくめた。きっと、だからどうしたんだ? とでも思っているのだろう。少なくとも、俺はそう思った。
それから数秒、圭一は沈黙。椿へかける言葉を思案しているようだった。しかし、結局何も浮かばなかったのだろう。圭一は椿に向けて、不恰好な愛想笑いを浮かべた。
「ははっ、そう言われると椿ちゃんも大きくなったな。昔はこんなに小さかったのに」
腰あたりに手をかざす。これぐらいの身長だったと、ジェスチャー。椿は僅かに頬を膨らませた。
「私はそんなに小さくありません。お兄ちゃんの目は節穴です。もっとちゃんと見て、私が何を言いたいのか考えて下さい」
ぱちぱちと瞳を瞬かせ、圭一は椿を見詰める。
「物理的に見てという意味ではありません」
「……新手の謎かけか?」
「違いますっ! お兄ちゃんは、自分のことになると何故こうも鈍感なのですか。……はぁ、もう良いです。今は分からなくとも、必ず分からせてみせますので」
「えーと、お手柔らかにお願いします?」
怪訝そうに首を傾げる圭一。椿はにこりと笑った。でも、目は全く笑っていなかった。何がなんだが分からんが、圭一強く生きろよ。
……にしても、俺もどこかで同じ会話をしたことがあるような。そこまで思って、それ以上考えるのを止めた。まあ、あの二人なら悪いようにならないだろう。
***
ひらひら。
桜が舞っている。
俺は撫子の膝を枕に仰向けに寝転がり、その様子をただ眺めていた。
「……桜、綺麗ね」
撫子はそう言って、桜の木を仰いだ。
そうだな、と頷く。
撫子はそっと俺の髪を撫でた。
「ふふっ、桜の花弁が髪に付いていたわ」
花弁を取って、ほらと見せてくれた。
「また、来年も。再来年もこうして、花見をしましょうね」
「ああ。それまで、お前に愛想つかされないようにしないとな」
「そんなこと万が一にもありえません」
「そうか? 年を取ったら、自然と愛が冷めるかもしれないぞ」
「……馬鹿ね。愛は冷めるものではありません。共に暖めるものなのです。前提がそもそも間違っているわ」
「そういうもんなのか?」
「そういうものなのです」
撫子は重々しく頷いた。
「15年間、私の想いは変わりませんでした。だから、これからも、あなたを……貴弘さんを想う気持ちは変わりません」
自信満々にそう言いはなって、撫子は俺の手を握った。俺も優しく握り返してやる。
「ねぇ――貴弘さん、ずっと一緒に生きて、幸せになりましょう」
桜が舞い散る中で、撫子は日溜まりのように笑った。
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