第16話 今日も明日も明後日も

 



 河川敷を撫子の手を引いて歩く。


 あの夏の日、ふたりで走ったこの道をなぞるように、ゆっくりと。振り帰ると、撫子は嬉しそうに微笑んだ。


「……貴弘さん」


「おう」


「好きです」


「お、おう、ありがとな」


 このやり取りを後何回繰り返せば良いのだろうか。……まさか自分がこんなバカップルのようなやり取りをする日が来るとは思ってもいなかった。


「……貴弘さんは?」


「俺も、その……あー、好きだ」


「ふふっ、嬉しい」


 撫子は俺の返事を聞いて、顔を輝かせた。その無邪気な笑みを見ると、もう少しこの問答に付き合ってやっても良いかと思もう。我ながら単純である。


「……夢みたいです」


「何がだ?」


「貴弘さんとこうしていられることが、です。10年間、ずっと片思いでしたから」


「撫子……」


「勿論、必ず振り向かせるつもりでしたよ? だって、私は髙野宮家の女ですもの。これと決めた殿方は決して逃がさないですし、誰にも渡さないわ。……それと、貴弘さん。浮気は絶対にしないで下さいね。そんなことをされたら、私何するか分かりませんから」


 その言葉に少しげんなりする。付き合って早々釘を刺された。撫子は穏やかに微笑んでいるが、目が笑っていなかった。マジでこえー。


「……しねえよ」


「ええ、それが賢明ね」


「お前って、時々おっかないよな」 


「あら、貴弘さん、心外だわ。以前お教えしたはずでしょう? 乙女は清らかで、貞淑で、そして何より苛烈なの」


「お前の中の乙女の定義は、ほんとどうなってるんだ……物騒にもほどがあるだろ」


「ふふっ、殿方にはきっと理解できないでしょうね。乙女は強いの。……特に、恋をすると」


 その言葉に何も言えなくなる。撫子は俺を見て目を細めると、繋いだ手を強く握る。俺は恥ずかしくなって、顔を背けるように空を見上げる。


 ああ、なんとも最後まで締まりがない。でも、それが俺たちらしい。俺はこれからもこうやって生きていくんだ。



 ーーーー撫子と一緒に。



 積乱雲が立つ茜色の空をそっと見上げ、俺はそんなことを思った。

 



 ***


 


 次の日、俺はいつも通りの朝を迎えた。


「貴弘、早く朝ごはん食べちゃいなさい」


「……分かってるよ」

 

 お袋に急かされて、寝ぼけ眼で箸を進める。対面には優雅にコーヒーを飲んでいる父さんが座っていた。


 その時、玄関のチャイムがなった。


 こんな朝早くに誰だよ。全く、非常識な奴だな。そんなことをぼんやり考える。


 お袋は、バタバタと玄関に向かって行った。少しして、リビングに戻ってくると、俺の顔を見てにやにやと笑う。

 

「貴弘、撫子ちゃんが迎えに来てくれてるわよ」


「え゛っ……!?」


 思わず、目を剥いた。眠気が吹き飛ぶ。


「撫子ちゃん、どうぞ入って入ってー」


 お袋に促されて、撫子がリビングに入ってくる。上品に礼をした後、しっとりと微笑んだ。


「貴弘さん、おじ様、おはようございます」


「ああ、撫子ちゃん、おはよう。しかし、珍しいね。貴弘を迎えに来てくれたのかい?」


 父さんはコーヒーを机に置いて、撫子に向かって爽やかに問いかける。


「はい。それもそうですが、おじ様、おば様にご報告させて頂きたいことがありまして」


「おい、撫子ちょっと待って」


「貴弘さんは、少し黙っていてくださいね」


「……へい」


 言葉を被せられ、目で牽制される。

 俺はすごすごと引き下がった。だって、怖いんだもの。


 そんな俺を尻目に、撫子はすっと背筋を正す。


「私たち正式にお付き合いさせて頂くことになりました」


「まぁ、本当なの!?」


「はい。……お許し頂けますでしょうか?」


「勿論よ! むしろ、うちの息子で本当に良いの? 撫子ちゃんならもっと良い男捕まえられるでしょう?」


「……いいえ。私にとって、貴弘さん以上の男性なんてこの世界に存在しませんから」


「きゃー、もう撫子ちゃんったら!」

 

 お袋は目に見えて色めき立つ。それとは対照的に、父さん冷静だった。ふむと頷き、コーヒーを一口飲むと、しみじみとした口調で呟いた。


「貴弘……愛されているなぁ」


 事実そうなので、反論も否定もできない。いや、するつもりもないが、改めて言われると恥ずかしい。

 そんな俺の姿を認めてか、お袋は声を張って発破をかけてくる。


「貴弘、アンタ分かってるでしょうね。撫子ちゃんを泣かしたら、母さん許さないからね!」


「分かってるよ。……ちゃんと、大事にする」


 俺は撫子を見る。

 恐ろしく整った容貌に朱が差し、黒曜の瞳が揺れていた。撫子は静かに側に寄ってきて、俺の手を取った。


「はい、貴弘さん。ずっと……ずっと大事にしてくださいね」


 答える代わりに、俺はその手をぎゅっと握った。

 



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