第14話 気持ちの正体




「貴弘さんっ!」


 廊下を歩いていると、聞き慣れた声が後ろから聞こえた。どくり、と心臓がざわめく。次の瞬間、消えてしまいたくなる。返事ができずに前を向いたまま立ち止まる。


 思い返すのは、昨日の音楽室での出来事。


 撫子の俺に対する思いを聞いた。その後、居ても立ってもいられなくなり、そのまま逃げるように帰宅してしまったのだ。


 カッ、と顔が赤くなる。こんなこと今までなかった。好かれているとは、思っていた。でもそれはあくまでも友だちの延長線で、それ以下でもそれ以上でもなかった。……なかったはずだったんだ。


 昨日から俺は、何ひとつも変わってないはずなのに、どうしてだろう。自分が自分でないようだ。


「……貴弘さん、昨日何故迎えに来て下さらなかったのですか? 私、ずっと待っていたのですよ? ねぇ、こちらを向いてください」


 応えられない。


 頷くことさえもできない。


 ただ顔を伏せて、自身の感情に蓋をする。これ以上この思いが溢れ出さしてしまったら俺は……俺は、どうなってしまうのだろう? 


 分からないが……いや、分からないからこそ心底恐ろしい。


「貴弘さん。貴弘さんったら!」


 腕を引っ張られる。


 触れているところが、じんわりと火照っていくようだった。


「ねぇ、どうなさったの?」


「……別に何でもない」


「嘘よ。でしたら何故こちらを見てくださらないの? 私、貴弘さんに何かしてしまいましたか?」


「違う。そうじゃないっ」


 自分の感情がコントロールできないだけなんだ。お前が悪い訳じゃない。そう思った。……思ったが、言葉にできなかった。


「貴弘さん、本当にどうなさったのですか?」


「分からない。……俺にも分からない。でも、悪い……暫くほっといてくれ」


「あっ……」


 俺は撫子の手を払って、逃げるように歩き出した。いや、実際俺は逃げているのだ。この疼くような何とも言えない胸の痛みから。それを与える撫子から。


 撫子は追って来なかった。 


 それにどこか安心している自分がいた。そのことを嫌悪する自分も。

 

 撫子に触られた腕を押さえる。与えられた熱を閉じ込める。何故だか俺はこの熱を逃がしたくなかった。



 ―――甘くくすぐったい、この熱を。


 


 ***




「圭一……俺どうなっちまったんだろう?」


 学校帰りに俺は圭一の自宅へ押し掛けていた。圭一は俺の話を面倒くさげに聞いて、深いため息を吐いた。


「深刻そうな顔をして何を言うかとか思えば……。今更かよ。本当に自覚なかったんだな。お前、ガチもんのアホだろ」


「俺は真剣に悩んでるのに、アホとは何だアホとは!」


「いや、アホだろ。もしくは、馬鹿おたんこなすこのヘタレチキン野郎」


「おま……よくすらすらとそんな罵倒が出てくるな。逆に感心したわ」


「言いたくもなるわい」


 圭一はオレンジジュースを一気に飲み干し、ふはぁと息を吐き出した。それから、諭すような瞳を俺に向ける。俺は思わず背筋を伸ばした。


「お前はさ。結局、髙野宮さんのことどう思ってんだよ」


「どうって……撫子は俺の幼馴染みで、友だちで高嶺の花で……」


「……そういうことじゃない。本当は分かってんだろ? どっちにしろ、ずっとこのままの関係じゃいられないって」


 気まずくなり、目を反らす。


 その時、自身が無意識に腕を押さえていたことに気付いた。撫子に触れられた方の腕。俺はその手を離し、掌を開いた。閉じ込められていた熱を感じた。それを逃がしたくなくて、ゆっくり握りしめる。


「俺はただ、撫子とずっとこのままでいたくて……」


「それはどうしてなんだ?」


「どうしてって……」

 

 それが分からないから、こんなにも悩んでいるんだろう。


「お前はさ。良く髙野宮さんのことを高嶺の花だって言うよな。でも、それはお前がそう思っているだけだよ。高野宮さんは、ずっと昔から変わらない。変わっていないんだ。ただ、お前のことを好きでいる。それなのに、お前が勝手に高嶺の花にしてるだけだろう」


 その言葉を聞いて、俺は頭を鈍器で殴られたような気持ちになった。俺が撫子を高嶺の花にしている? 


 反論しようとしたが、できなかった。むしろ、圭一の言葉がストンと心に落ちた。


(そっか……俺がそう思っているから、撫子は自分から堕ちていくって、自分から摘まれにいくってそう言ったんだな)


「うわ、俺、格好悪いな……」


「ただ格好悪いだけじゃない。めちゃくちゃ格好悪い。そんなんじゃ、どこぞのイケメンに髙野宮さんを取られるぞ」


 一瞬その事を想像して、吐きそうになる。


 撫子が他の男に微笑みかけて、寄り添い、それ以上のことも。そんなの――


「――絶対に嫌だっ!」


「……なんだよ。答え出てんじゃん」


 圭一はそう言って、にやりと笑った。  


「分かりやすい表情してるぜ。誰から見ても、好きだって顔にかいてる」


「マジかよ」


 俺は肩を落とす。

 片手で額を押さえて、ため息を吐き出した。


「なぁ、圭一……俺、撫子のこと好きだったんだな」


「……ずっとな。それに気付けなかったのは、タカにとって髙野宮さんの存在が近すぎて、遠かったからだ。いや、遠すぎて、近かったのか? まぁ、そんなことどうだって良いや」


「そうだな。もうそんなことどうだって良い。俺、ちゃんとする。ちゃんとあいつに、好きだって言うよ」


「おう。そうしろそうしろ。……まぁ、駄目だったら慰めてやんよ」


「うるさいな! でも……その、ありがと、な」

 

 どういたしまして、と圭一は弾けるように笑った。その笑みを見て、圭一が親友で良かったと心底思った。


 


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