第24話 格上

 烈風と共に駆けるバルドラ。

 その速度は、正しく音速であり、人間の速さを遥かに凌いでいる。

 本来ならば、その疾走に誰もが翻弄され、そして瞬殺されただろう。当然だ。速いというのは、それだけで、大きなアドバンテージを持っているに等しい。例えば、一擊で人体を破壊できる拳を持っていようが、当たらなければ意味がない。逆に速ければ相手の攻撃をかいくぐり、懐に入り、致命傷を与えることが可能だ。

 バルドラの速さは、強さと同義である。故に、彼は四天王最速と呼ばれた男でもあり、彼に追いつける者など誰もいない。

 その、はずだった。


「くっ……」


 音速で駆けながら、しかしバルドラの表情は苦いモノが混じっていた。

 今、彼はアベルを中心として回っている状態だ。そして、ここだと思った瞬間に、爪を、牙を、拳を叩きこんでいる。

 これが普通の人間、否、同胞である四天王が相手でも、それなりの傷を与えることは可能なはずだ。音速と共に叩き込まれる一擊は、それだけの威力がある。

 だというのに。


「はぁっ!!」


 がら空きの背中に、渾身の拳を叩き込む。

 岩を砕き、大地すら割るその一擊。

 けれども、アベルはまるでそこに攻撃が来るのが分かっていたかのように、半回転しながら、拳を弾き、お返しだと言わんばかりに自分の拳を入れた。


「ぐおっ……!」


 腹から伝わる激痛を前にして、思わず口から苦悶の声が漏れる。

 が、それも一瞬のこと。バルドラは奥歯を噛み締めながら、即座に体制を整え、再びアベルの周りを駆け回る。

 まただ。こちらが攻撃しても、それを寸前のところで躱され、弾かれ、そしてカウンターが飛んでくる。まるで、こちらの動きが分かっているかのように。


(否。まるで、ではなく、本当にこちらの動きを読んでいるのか……っ!!」


 有り得ない、と心の中で呟くものの、しかしこの現状から鑑みるに、それしか考えられない。

 そして、そんなバルドラの胸中を読んだかの如く、アベルは言葉を口にする。


「貴方は速い。少なくとも、私と戦った貴方のお仲間の中では、一番の速度と言っていいでしょう。それは認めます。しかし、それはあくまで、貴方がたの中で、の話。かつてのあの時代には、その程度の速さの持ち主は五万といましたよ」


 アベルが魔王の影武者として生きていた頃、人間や魔族の中で音速を超える速さを持つ者はいた。無論、多くはいない。だが、魔王を殺そうとする連中は、大抵そういった、常識から外れた才能を持つ者達ばかりなのだ。

 故に、音速で駆ける相手を前にして、いちいち驚いてはいられない。


「音速で動く相手の攻撃は脅威です。が、読めないわけではない。特に貴方の殺意は分かりやすい。どこにどのような手法で攻撃してくるか。失礼ですが、目を瞑っていてもできるでしょう」

「何を……っ!!」

「仲間を殺されたためか、主を侮辱されたせいか。どちらにしろ、今の貴方は頭に血が上っている。そんな状態で攻撃に緩急をつけることはできず、故に直線的な攻撃しかできない。そして、そういった類のモノは威力がどれだけ強かろうとも、相手に読まれやすくなってしまう。それが音速で移動しながらなら尚更です」


 戦闘において、速さは重要な分類だ。先も言ったように、速いだけで相手の攻撃よりも速く自分の攻撃を叩き込むことができる。

 だが、それはあくまで、『自分の速さを操作できる事』が重要。ただ闇雲に速く動いては意味がない。つまりは緩急。時にはわざと速度を落とし、相手に先の動きを読ませないような工夫は必要なのだ。特に達人と呼ばれる者達はそういう手法を、まるで手足を動かすように手馴れてやってのける。

 恐らく、バルドラも本来ならここまで馬鹿正直な攻撃をすることはないのだろう。だからこそ、戦う前、アベルはわざと相手を挑発させた。今までの傾向から察するに、彼らは自分達の主を貶されることを何よりも嫌う。そこに付け入った結果が、これである。

 無論、挑発したのは、相手の動きを鈍らせるだけではない。


「さて、そろそろいいでしょう―――【瞬足(ソニックエッジ)】」


 刹那、バルドラの目前から、アベルがいなくなった。

 と同時に、人狼の背後から蹴りが炸裂した。


「ご……っ!?」


 地面に二度ぶつかりながらも、身を翻しながら、バルドラは地に足を付ける。そして、視線を上げると、そこには拳を握ったアベルが立っていた。


「今のは、まさか……」

「ええ。貴方と同じ要領ですよ。音速の足。言ったでしょう? 貴方のような者を相手にするのは初めてではない、と。動きが先読みできるとはいえ、それでも限界がありますからね。ならばどうするか。答えは一つ。同じ速度になればいい。単純な話です」

「は、はは……単純な、話とは……言ってくれる」


 口の端から血を流しながら、バルドラは苦笑する。

 バルドラは最速の異名を持っていた。速さという点においては、今まで誰にも敗けたことはなく、それが当たり前だと感じていたのだ。故に、今後も自分よりも速い存在など、いるはずがないし、出会うはずもないと思っていた。

 だというのに、目の前の男は、こうもあっさりその前提を覆してしまう。


「全く……狡すぎるだろうに」


 自分が当然だと確信し、そしてそれが全てだと信頼してきたもの。それをたった一瞬で破壊されたかのような、そんな感覚。

 速さだけではない。今の一擊、ダメージは半端ではない。恐らく、人間なら即死の類の代物だ。無論、その痛みはバルドラの身体に蓄積されている。

 速さと力。どちらの点からしても、この男はバルドラよりも格上だ。


(たった一発……それだけで、こうも格の違いを見せ付けられるとは……)


 四天王の仲間は、皆、それぞれの力に突出していた。故に、誰が一番強いか、などというのははっきりとは分かっていない。各々の分野で力をつければ、それが主の役に立つ。そう信じていたから。

 故に、自分達四天王は同格であり、それより上なのは、主であるルタロスのみだった。彼こそ、自分達の上に立つ存在であり、格が違うと心の底から思うことができたのだ。

 けれど、だ。

 この男は、アベルは、その主と同じ様に、別格の力というものをバルドラに刻み込んだのだった。


「お前は……本当に、何者なんだ」

「言ったはずです。前世に魔王の影武者をやっていた、ただの村人だと」

「はっ……本来なら、そんな戯言、信じるに値しないが……しかしなる程。確かにそうなのかもしれんな」


 自分よりも強い相手を前にして、バルドラは不敵に笑った。いいや、笑う以外になかった、というべきか。

 本当なら、自分よりも高い実力を前にして、「ありえんっ!!」と叫ぶ場面なのかもしれないが、事前にアイガイオンやカミラが倒されていると知らされていたために、驚きは少ない。いいや、そもそもその時点で四天王の誇り等といったものは、木っ端微塵にされていたのだろう。

 故に、あるのは納得と確信。

 自分は、この男は決して勝てない、と。


(ああ、分かっていた。分かっていたことだろう)


 たった一擊、不意うちをくらっただけで、情けない、と思う者もいるかもしれない。だが、分かるのだ。理解できてしまうのだ。このままいっても、自分では勝つことなど不可能なのだ、と。

 分かっていた。

 アイガイオンとカミラがやられたと聞き、相手の実力が半端ではないと理解していた。

 分かっていた。

 纏う空気、そしてどこまでも冷静な態度。自分を前にした人間ではありえない代物だった。

 分かっていた。

 音速の攻撃を回避し、返しの攻撃を加え、あまつさえ同じ音速の領域に軽々と入ってきた。

 これだけの材料があれば、相手が自分よりも強い、などというのは馬鹿でもわかってしまうものだ。

 しかし。


「それでも……ただで、やられるわけには……いかんのでな」


 そうだ。ただでやられるわけにはいかない。

 四天王として。主の部下として。

 ここで敗走などできるわけがないし、するつもりもない。

 たとえ、負けたとしても、それだけは断じてできない。

 痛みに耐えながら、バルドラは立ち上がり、牙を、爪を、闘志をむき出しにして、言い放つ。


「悪いが、付き合ってもらうぞ」


 その言葉を聞き、一瞬目を開き、そしてアベルはただ一言。


「ええ構いませんよ」


 それだけの言葉を交わし、彼らは戦いを再開したのだった。

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