魔王の影武者、第二の人生 ~魔王の身代わりとして死んだ影武者は、転生した後のんびり暮らすために侵略者を滅ぼす~

新嶋紀陽

第1話 影武者

「―――魔王様。本当に、お気持ちは変わらないので?」


 神々すらも滅ぼし、他の強力な魔族も殺し、世界を破壊せし最恐で、最強な男。

 そんな魔王に対し、顔が同じ影武者―――シャドルは紅茶を淹れながら、先の問いを投げかけていた。

 そして、彼の問いに魔王は「ふん」と鼻を鳴らしながら、言葉を返す。


「くどい。貴様が何を言ったところで、もうこの結末は変えられん」


 魔王の言葉は事実だった。

 現在、世界は戦争の真っ最中だった。否、戦争というのはあまりに正確ではない。より的確にいうのなら、世界と魔王の戦いか。

 最初は神々を滅ぼし、その後、全てを壊すと全世界に宣戦布告をしたのだ。それは人間だけではない。自らの同胞である魔族すらも敵に回した。その結果、今や世界は人間と魔族が協力しあい、魔王を倒そうと一致団結している状態だ。

 無論、世界中を相手にしながらも、魔王はその力によって多くの敵を屠り、己を力と恐怖で示してきた。だが、それでも戦いの形勢は徐々に変化してしまう。


「既に三凶将は全員いなくなった。【死電】のライザックは死に、【絶氷】のエメラルは封印され、【神風】のハロルドは裏切った。一方で勇者は軍勢を揃えて、先程この魔王城に攻めこんできた。数と戦力、そのどちらも我々は凌駕された状態。もはや、この戦いに勝目などない」


 三凶将が既にいない状況で、軍勢を率いる勇者達に攻め入れられればどうなるのか。そんなもの、子供でもすぐに分かることだ。

 確かに、魔王は最強の存在だ。それこそ、国一つ潰すなど、造作もないだろう。なんせ、神々すらも滅ぼし尽くしたのだから。

 だが、それも永遠というわけでなかった。


「長年の戦いによって、我の力も、既にかつてのものではなくなった。今の我は、恐らく勇者と同程度の力しかもたん」


 戦いを始めて既に五百年が経とうとしている。魔族の寿命は長いが、それだけの月日を戦い続ければ、流石に魔王とて力が衰えるのも自然の摂理といえよう。

 そして、今や勇者と魔王はほぼ互角の状態。

 戦えば敗北、よくて相討ちだろう。

 だとするのなら、魔王の結末はもはや死あるのみ。

 いや、そもそも、だ。

 魔王は最初から勇者に勝つつもりなどなかったのだ。


「これでようやく、魔王様の願いが成就する、というわけですか」


 淹れた紅茶を魔王に渡しながら、シャドルは続ける。


「五百年前、貴方は世界を相手に戦争を起こした。神々を殺し尽くし、人間も魔族も、全てを蹂躙すると。だが、その背景には、人間と魔族に共通の敵を作り、手を取り合わるという真の目的があった。そうすれば、二つの種族間にあった蟠りが無くなる。今よりもマシな世の中になる。そう信じて、今まで戦ってきた。その果てに……自分が死ぬと分かっていても」

「……、」


 魔王は答えず、無言で紅茶を口にする。

 その様子を見ながら、シャドルは苦笑した。


「それにしても、ここまでくるのに五百年もかかるとは。私の考えでは、もう少し早くなると思っていたのですが」

「致し方なかろう。旧来より人間と魔族は相反する存在。それが手を取り合うには、時間がかかるのは当然のことだ。むしろ、五百年でよくまとまったと思うくらいだ」

「そうですねー……まぁ、逆に私達に関してはよく五百年も組織として維持できたのか、不思議なくらいですけど」

「それは……否定はせん」


 確かに、魔王の軍勢は強かった。しかし、そのトップである三凶将は、それ以上に癖が強い連中だったのだ。一つ間違えば謀反はもちろん、共倒れしかねない程に。実際、三凶将の一人であるハロルドは自分達を裏切ったが、魔王達からしてみれば、その程度で済んでよかったとさえ思っている。

 だが、それでも。


「それでも……我は、彼奴らと戦えたことを誇りに思う」


 魔王の言葉に、シャドルは笑みを浮かべながら「そうですね」と答えた。


「それを聞けば、彼らも喜ぶでしょう……まぁ五百年間戦い続けたおかげで、良かったこともありましたし。特に魔王様には、素敵な出会いがありましたし」

「ぶふっ―――な、突然何を言っている!?」

「事実でしょう? とはいえ、出会い方は少々、というかかなり問題がありましたけど。今では良い関係になりましたが、気に入ったから誘拐してきた、なんてことしたら普通最悪な印象しか与えないんですよ? そこんとこ、ちゃんとわかってますか?」

「ええいっ、その話はもういいだろ!! 反省していると何度も言ってるだろうが!! というか、あれは誘拐ではなく、ただ行き場がないというから連れてきたのであってだな……!!」

「言い訳無用。あれは、誰がどう見ても誘拐です。しかも、連れてきてから一ヶ月も会話しないとか、どんだけ奥手なんですか。あの時、私が色々フォローしなかったら絶対に進展してませんでしたよ? 彼女が優しく、度量ある性格のおかげでなんとかなりましたけど。本当、最恐にして最強の魔王とか言われているくせに、女性関係には疎いんですから」

「喧しいっ!! 大きなお世話だっ!! 貴様は我の母親かっ!?」


 最後の最後だというのに、結局いつものような感じになってしまった。

 しかし、と魔王は思う。これで良かったのかもしれない。いつも通りの状態で別れる。これが、自分達の関係なのだから、と。

 そしてだからこそ。

 ここが本当の別れの時なのだと理解する。


「……なぁ、シャドルよ。……もしも、もう一度生まれるとするのなら、貴様は何をしたい?」

「無論、貴方の部下としてお側に仕えます」


 唐突な問いに、シャドルは即答した。

 その言葉に、魔王は顔を崩し、笑みを浮かべる。


「嬉しいことを言ってくれる。だが、それ以外に何かないのか? なりたいものや、やってみたいことなど、何か」


 言われて、シャドルは唸りながら、一つの答えを口にする。


「そうですね……できることなら、平和になった世の中に生まれ変わりたいですね。そこで普通の村人として過ごせれば、それだけでいい」

「普通の村人としてか? それはまた、奇妙だな。【真影】と言われた貴様なら、もっと多くの魔法を覚えることも可能だというのに」

「ええ、確かに。ですが……そういう平和な世の中にするために、いいえ平和ではなくとも、今よりもマシな世界にするために私達は戦ってきた。ならば、その平和を感受してみたいと思うのは当然のことでしょう?」


 幼い頃からシャドルは魔王の影武者として育てられてきた。

 魔王に使え、魔王を守り、時には魔王の代理として戦ったこともある。それが自分の役割だと教えられ、そして自分自身で選んだ上で彼は今まで影武者として生きてきた。

 そのことに悔いはないし、誇りに思っている。

 ただ……もしも、だ。もしも影武者として生きる以外の道と問われれば、平和になった世の中で普通の村人として生きてみたい。

 そんなありふれた、どこにでもありそうな願いだからこそ、彼にとっては重要だったのだ。


「……そうか」


 魔王は思い返す。目の前にいる自分の影武者が自分にしてくれたことの数々を。本当に感謝しきれないし、今も尚そう想っている。

 だが、最早それを全て言葉にする時間はない。

 だから、彼は今の自分の想いを乗せて、一つの提案を口にしようとする。


「……シャドルよ。今からでも遅くはない。貴様だけでも、逃げ―――」


 しかし、魔王の言葉は最後まで続かなかった。

 突如、身体に異変が起こる。最初は上手く口が動かせず、次に指先も動かなくなっていることに気付く。いいや、それだけではない。魔王の全身が、まとも動かなくなっているのだ。


「な、んだ……」


 紅茶が入ったカップを落としながら、魔王は呟く。

 停止の魔法などではない。それが麻痺であると気付くのに然程時間はかからなかった。

 だが、魔王が驚いているのは、まさにその点だった。


「これは、麻痺毒……? 馬鹿な……我に、毒など」

「ええ。貴方に普通の毒は効かない。しかし、それは全盛期の貴方ならの話。力が衰えている貴方になら、通用する毒があってもおかしくはない。とはいえ、それでも耐性があることには変わりないので大変でしたよ。世界中のありとあらゆる毒を調合し、最高級の麻痺毒を作り出すのは」


 その言葉で魔王は確信する。

 先程の紅茶。あれに毒が入っていたことを。


「シャドル、貴様、何を……」

「そして、これでも貴方の動きを止められるのはせいぜい五分程度でしょう。ですが、それだけあれば十分です」


 言いながら、シャドルは指を鳴らす。

 同時に、魔王の足元に魔法陣が出現した。


「これは、転移魔法……っ!?」

「今から貴方をこの魔王城から遠く離れた場所に転移させます。そこには彼女もいますので、二人で逃げてください。大丈夫です。逃げる準備は万端ですので。金銭関係も安心してください。一生どころか、人生を三回ほどやり直せる額は用意してあります。あっ、だからといって無駄遣いしないでくださいね。まぁ、そこは彼女がいるので心配はしていませんが……」

「馬鹿者がっ!! そんなことなど聞いておらんっ!! 今すぐ止めろっ!! 我がここからいなくなれば勇者に倒される者がいなくなるっ。誰かが勇者に倒されなければ、この戦争は終わらない……!!」

「そこもご安心を。ほら、ここにとっておきの身代わりがいるではありませんか」


 不敵に笑みを浮かべるシャドルに、魔王は思わず目を丸くさせた。


「ま、さか……貴様……」

「そんなに驚かれることではないでしょうに。影武者が身代わりとなって死ぬなど、よくあることでしょう? 心配は無用です。たとえ、勇者に倒された後も私が身代わりだとバレないよう細心の注意は払ってありますから」

「待て……待て、待てっ!! 誰がそんなことをしろといった!? そんなもの、頼んだ覚えはない!!」

「ええ。命令もされてませんし、頼まれた覚えもありません。これは、完全なる私の意思。貴方に死んで欲しくないと思った私の我儘です」

「ふざけるなっ!!」


 動けないはずの身体で、魔王は一歩前に足を踏み出す。その一歩によって、床は割れ、周りの壁にすらひびが入った。

 しかし、それでも魔法陣は崩れない。

 そんな状態の中、魔王は続けて怒号を口にする。


「ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるなっ!! 我は、多くの命を奪った。多くの屍の上に立っている。そんな男が、そんな外道が、今更のうのうと生き残れるはずがないだろうがっ!!」


 世界がマシになるようにと戦ってきた。その中で、数え切れない程の犠牲を出しながら、魔王はここまでやってきたのだ。

 世界のためだの、平和のためだのと言いながら、血を流したのは変えようながない事実。覆すことのできない、彼の罪だ。

 ならば、それにケジメをつけなければならない。

 そうしなければ、いけないのだ。


「我を信じてくれていた者達はもういなくなった。我の夢のために散っていった。ならば、我は責任をとり、死ななければならないっ。それだけの話だろうがっ!! それを今更覆すことなどできるわけがないだろうがっ!!」

「―――愚か者っ!!」


 だというのに。

 だというのに、目の前にいる影武者は、魔王に対して喝を入れる。

 最恐にして、最恐の、世界を壊す存在と言われた存在に、同じ顔をした男は動じることもせず、言い放つ。


「何故か、などとそんなわかりきったことを口にしないでいただきたい。今の貴方には守るべき存在がいる。それを放置していくなど言語道断っ!! 男なら、自分が好いた相手を最後まで守りきらないでどうするのですっ」

「この……そんな理由で、生きろと貴様は言うのかっ」

「ええ言いますっ!! 自分の提案が、魔王様の覚悟に泥を塗るような真似であるということは百も承知。しかし、その上で言わせてもらいます。貴方は死ぬべきではない。今の貴方には愛する者がいる。守るべき人がいる。そして……新しい命も授かった。ならば、生きなくてはならない」

「馬鹿者がっ。我には……そんな資格などない。我の手はそれだけ多くの血に染まっている!! 拭いきれない程の罪があるっ!!」

「だとしてもです。ここで死ぬことは許されまん。大切な人のために生きること。それが、貴方が負った義務であり、払うべき責任です」


 多くの血が流れた。多くの死体が積まれた。理由はどうあれ、その事実は覆らない。今更大事な人のために生きる、などというのはおこがましいと言う者もいるだろう。

 魔王なのだから、勇者に倒されろ。

 魔王なのだから、勇者に殺されろ。

 それが世界の理であり、在り方であり、当然の有り様。

 故に、死ね、と。

 そう思う連中が大半であり、それが世の中の声というのは分かっている。この戦争で、人間も魔族も多くの犠牲が出たのだ。魔王にどんな理由や信念があったところで、結果は変わらない。魔王に怒りを持つ者がいることも承知している。

 だが、敢えてシャドルは思う。

 そんな理屈、クソくらえ。

 目の前の、どうしようもなく不器用で愚直な男が、ようやく見つけた普通の幸せ。それを壊すことなどしたくないし、させてたまるものか。

 もしも、誰かの死が必要というのなら、自分が身代わりとなろう。

 部下として。臣下として。そして何より、この人の影武者として、己の命を差し出す。

 たとえ、そのせいで自らの主が苦しむ結果になるとしても。

 何より、これは誰にもできることではない。

 影武者であり、顔が似ており、そして何より『魔王に一番近い男』と呼ばれたシャドルにしかできないことだ。


「では、おさらばです。魔王様。貴方や仲間達と過ごせた時間、とても楽しかったですよ。そして願わくば、どうか彼女とお幸せに」

「このっ、クソッ、やめろっ!! シャドォォォォォォォルッ―――」


 断末魔の如き叫びと共に、シャドルの指なりで魔王は転移した。

 最早自分以外誰もいない王座で、シャドルは一人、苦笑する。


「……やはり、かなり激怒されてましたね」


 予想はしていた。あの分では、恨まれているかもしれない。

 しかし、それでも構わない。

 たとえ激怒されようが、たとえ恨まれようが、それでもこれが、自分がやるときめた、最後の役目なのだから。

 などと思っていた刹那、扉に何かが攻撃している音が響き渡る。

 どうやら、役者は揃ったらしい。

 ならば。さぁ、最後の演目を始めよう。

 その題名は『魔王の最期』。


「―――よくきたな。勇者よ」


 そしてシャドルは、自分に相応しい、そして最高の舞台の幕開けの一言を言い放ったのだった。


 *


 その後、三日三晩の激しい戦闘が続いた。

 無論、その中で自分が影武者だとバレることはなく、また力を存分に示したことで勇者達も自分を魔王だと信じ込んでくれた。

 そして、勇者の剣が自分の身体を貫いたところまでが、シャドルの最期の記憶。

 自分の死の間際、シャドルは願っていた。

 真実はどうであれ、勇者が魔王を倒したというきっかけによって、世界は平和になることを。

 そして、その平和な世界で魔王とその大事な女性とひっそり暮らしていけることを。

 切に、切に願いながら、彼は意識を暗闇に落とした……。

 


 ―――はず、だったのだが。



「……これは一体、どういうことなんでしょうか……」


 見知らぬ天井を見ながら、シャドルはそんなことをつぶやいたのだった。

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