第10話 御簾を開ける
山をナイフで切り取ったような平地に崖と木々に囲まれた一軒の古民家のような家があった。
かつては小さい畑だった場所には草が生い茂り、見事な枝振りだったであろう松などは伸び放題になっている。そして背後の崖にはレンガが積まれ窯があった。
ここはかつて名人と称えられた陶芸家の窯跡である。
この山奥の窯で数々の名品が生み出されていたが、ここ一帯の過疎化が進み、名人も高齢となったことで廃棄された。その際に陶芸家は長年世話になった土地に感謝を込めて、己の最高傑作を残してきたと噂される。
その陶芸家の作品は俺も幾つか見てきたが、どれも素晴らしかった。その陶芸家の最高傑作があるとなれば見ないわけにはいかないじゃないか。俺は仕事の合間を縫っては情報を集め、今回の休暇を利用してやって来たわけである。
なんか姫さんに会ったりしたがそれは予期せぬ僥倖で本来の目的の一つはここだ。
神のような白蛇に出会い、巨熊に襲われたり色々あって無我夢中で走れば、理性より欲望に従ってしまうものは必定。
ふう~。来てしまったものはしょうが無い。来た以上は目的を果たそう。
家の漆喰はひび割れ戸も所々腐りかけている。やがてこの家も土に帰るのだろう。それが自然の摂理だが、個人の意思を尊重して美が見す見す土に返るのを黙ってみているほど人間出来ちゃいない。
「おじゃましま~す」
俺は腐りかけた戸を開けて家の中に入る。
入ると黴臭い匂いと土間が広がっていた。広がる土間の壁際には何も無い棚、埃が積もった分厚い机や轆轤などが残されている。一級品の品だろうに山奥から持ち運ぶのが困難で残したのか、それともいつかは戻ってくるつもりだったのか。俺には分からないが、おかげで陶芸家の作業場の空気は感じることが出来た。
ここで数々の名品が生まれたのか、俺は少し感慨に耽った。
土間を抜けるとそのまま部屋に通じるようだが、壊れた戸から見える居間には箪笥などの家具が残され、その箪笥の引き出しは開けられ、明らかに部屋の中が荒らされた形跡がある。
俺同様名人の最高傑作を狙ってきた者の仕業だろう。下手をすれば持ち去られた後かも知れないが、裏マーケットにも表のマーケットにも名人の最高傑作が流れた形跡は無かった。
つまり、名品は俺が見付けてくれるのを待っている。名品だってこんな地で誰にも賞賛されずに腐りたいとは思ってない。
美に期待されてはしょうが無い。
ふっふ、このナイスガイが見付け出してやろうじゃ無いか。
「さて」
家の中を改めて見渡すが、予想通り運命を感じない。
やはりこの家には無いな。
俺は一礼をして家を出た。
俺だって漫然と情報を集めていたわけじゃ無い、手に入れた見取り図や作者の逸話などから最高傑作を隠した場所を推測していた。
作業場を見たのは名品が生まれた場所を一目見ておきたかっただけのこと。
名人と称されし陶芸家 浦原 烈山
気難しい性格で晩年は一人山に籠もり創作活動に没頭していた。
止むに止まれぬ事情で山を下りたが、晩年最高傑作を山に捧げたと知人に漏らしていた。
そのまま解釈すれば家では無く、山のどこかに奉納したってことだろう。だとすれば九頭山山頂の神社が候補に挙がるが、果てしてそうだろうか?
晩年足腰が衰え生活を一人で維持できなくなったことも山を下りた理由の一つだったはず。とても最高傑作を持って山頂まで登れたとも思えないし、気難しく孤高の浦原が己の最後の作品、己の魂とも言えるものを誰かに頼んだとも思えない。
俺は裏手の崖に作られた窯の所に来た。入口は特に封鎖されてなかったので、そのまま錆びて少し重くなった鉄扉を開け中に入る。
天上がアーチ状になった石で囲まれた部屋。ここは片付けたのか伽藍として何も無い。
俺は音叉を取りだし壁を叩いていく。
ピーーン 共振音が部屋内に響き、耳を澄まし僅かな違いを聞き逃さないようにする。
「ここか」
俺はおもむろに石を掴むと引いた。すると石は抜けていく。抜けたその先は空間になっていて布に包まれたものがあった。
「これか」
俺はものを慎重に取り出すと窯から出た。
「さてと」
俺は外に出て落ち着いた場所を見付けると布を美女の服を脱がすかのようにゆっくりと優しく解き放つ。
「美しい」
美しいという言葉で美を表現した。
「この黄金比を表す曲線、そこから生み出される安定感が美に一役買っている。
そしてこの浦原が独自に生み出した釉薬から生み出される燃えさかる緋の模様。白い本体と対比されることでより一層際立っている」
俺はそこらの評論家のように言葉を持って美を表現しようとしていく。
芸術論、神話、歴史学果ては心理学の知識すら駆使して作品を評価する。
だがやはり届かない。
「ここまでか、やはりもどかしい。科学のように数値で表せる世界が羨ましいぜ」
美とは概念である
スピードや強度などのように数値で表せるもので無い
概念である以上、言葉という概念で表現するしかない
だが人が使う言葉は所詮人が生み出したもの
神に近い美ほど言葉で表すには足りなくなっていく
表現しきれない
表現しきれないだけなら良いがそれが美を感じる足枷にすらなる
人は言葉で物事を考えるだけで無く感じるようにすら成っている
不完全な言葉では美を完全に感じることが出来ないのだ
だが希に奇蹟とよばれる例外がある
己の魂を正しく磨き上げ続けたものが、己にとっての神に出会ったとき
人は「言葉を無くすという」
美が言葉を吹き飛ばしてしまい、人は神をあるがままに魂で感じることが出来る。
その体験をした者は、魂が昇華され人生が一変する。
御簾神はその出会いに焦がれる
美を魂で感じたいと願う
だが神に仕える者の様に、奇跡を信じて日々魂を大人しく磨いて待っていられるほどお行儀良くもない。
だから神に出会って言葉を無くすでなく、先に言葉を捨てて神に会う。本末転倒インチキとも言える手段である。
「我言葉を捨て神を隠しし御簾を開ける」
これは御簾神が美を感じるために編み出した呪文である。
この言葉を唱えるとき最新の精神医学の処理と強烈な自己暗示が共振し
御簾神は言葉という概念を忘却していく
現代人が言葉を失うとは思考を捨て去ることと同義
限りなく生まれたての赤児のように真っ白に漂白されていく
言葉を捨て
思考を捨て
魂を剥き出しにして
美に向き合う
一歩間違えば戻って来れず廃人になる。
だがそれほどのリスクを犯さなくては美を魂で感じることは出来ないと
御簾神は美に挑んでいく
言葉が消えていき御簾が上げられていく
そして美と対面する
やがて御簾は降ろされたのか
御簾神の目に理性が戻っていく
「素晴らしかった」
理性が戻ったはずが御簾神の目は何処か夢心地のままだった。
例えるなら繊細な味を味わえる鍛え上げた美食家が記憶を無くし、初めて美食を口にしたかのような鮮烈で新鮮な体験。
「だが魂が昇華され人生が一変したようには感じないな。やはり凡人はコツコツ積み上げていくしか無いか」
美とは神の欠片
美とは神への道標
神の欠片たる美に己の魂を晒すことで魂は磨かれ、神の魂へと近付いていく。
やがて神の魂に限りなく近付けば、完全なる美の世界への御簾が開かれる。
御簾神はそう信じている。
そう信じて心理学、神話学、歴史学、美術学、言語学と学び、人類の上を行く概念を模索する。
御簾神は箱をリュックから出す。箱には最新の衝撃吸収体ジェルで充満されていてその中に花瓶を入れる。そして蓋を閉じる。
これにより爆撃されても花瓶には傷一つ付かない。
御簾神に美を独占する気はない、自分同様多くの人に見て貰い神を識る切っ掛けを得るべきだと思っている。そしてそういった人達と刺激し合うことも、また神への道だと思っている。
だから傷一つ付けること無く然るべき人にこれを渡す。
ただ探求者の道は金が掛かるのでやむにやまれず報酬を貰うだけのこと。
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