第7話 恋人の丘
汗ばむ額に少し強めの風が心地良い。
すっかり日課となった花壇の手入れをしていると酒場の踊り子ケイトがこちらへ向かって歩いて来ているのが見えた。
「キャロルさま〜!お疲れさま〜」
ケイトが笑顔で手を振っている。
「ケイト!どうしたの?久しぶりね」
私の目の前まで来たケイトはカゴを差し出す。
「コレ差し入れなの。キャロルさま、お昼にどうぞ!!」
ケイトはカゴの上にかけてある布を少しずらして、中身をチラリと見せてくれた。
「うわっ!!もしや、それは、、、」
「そう。キャロルさまの大好物、鯖サンドよー。酒場の女将さんがね、最近、景気が良いのはキャロルさまのお陰だからお礼を言っておいてって」
何よ、女将。
そんな事を言われたら泣きそうになるじゃない。
「ほらほら、キャロルさま。涙目になんてならないで、可愛い顔が台無しよ」
ケイトはスコップと苗で両手が塞がっている私の目元を可愛いハンカチで拭いてくれた。
女将、なんて嬉しいことをしてくれるのだろう。
気付けば、私は号泣していた。
涙腺の崩壊は少し疲れていたからかも知れない。
ケイトは私が落ち着くまで側にいてくれた。
「キャロルさま。あたしね、ここに来るまでは踊り子ってだけで、下に見られて結構酷い目に遭ったりしたのよ。ここは皆、心が温かくて居心地のいい街だわ。私には言えない様な大変な事もキャロル様にはいっぱいあるんでしょう?聞くことは出来なくても、そばにいる事は出来るわ。いつでも遠慮なく呼んで頂戴」
あまりにケイトが素敵な事を言うものだから、また涙が落ちてきそうになる。
でも、必死に堪えた。
「ありがとうケイト。とても嬉しいわ。じっくり噛み締めて味わいますって女将にもお礼を伝えておいてね」
「ええ、伝えるわ!それはそうとキャロルさま、皆が聞けなくて困っているみたいだから、領民を代表して聞くわ。その指輪は彼氏から貰ったの?」
「え、領民代表!?そんなに目立っていた?」
「ええ、目立つわよ。酒場の話題では、ずっと色んな人が候補に上がっては消えているわ」
えええ、そんな事になっているなんて思いもしなかった。
邸でも誰も聞いて来ないから、誰も私に関心がないのねと思っていたのに、、、。
単に聞かなかっただけ?
「一体、候補って誰よ?ケイト」
「概ね騎士団とか。後は木こりのジョーも候補に上がっていたわ」
木こりのジョー?って、誰よ!?
「ブヅッ、フフフ」
「キャロルさま、泣いたり笑ったり忙しいわね」
ケイトも笑い出す。
「これはね、彼氏ではないけれど、とても信頼している人がお守りにくれたのよ。それが誰かなのかは事情があって言えないの。ごめんね」
私は素直に伝えた。
「そうなのね。キャロルさまにもそういう人が居たのね、良かったわ」
ケイトはニコニコしている。
「そんなに私は心配されていたの?」
「ええ、王都の社交界にも殆ど参加しなくて、こんな田舎に引きこもっているんですもの。心配されているわよ」
「それはご心配をおかけしました。ほら、この通り、美しい花壇を作ることに生きがいを見つけたのよ。心配しないでね」
私は自慢げに綺麗に植えられた花たちを指差す。
「花壇に生き甲斐、、、かなり心配だわ。たまには酒場にでも遊び来て!息抜きした方がいいわよ」
「ええ、そうね。ご心配ありがとう。酒場にも近々お邪魔するわ」
「いつでもどうぞ。じゃあ、そろそろあたしは酒場に戻るわ。キャロルさま、またね」
「またね、気をつけて帰ってね」
私はケイトが見えなくなるまで、手を振った。
ケイトも私の方へと振り返っては手を振ってくれた。
昼下がり、酒場のケイトへ会いに来た青年は俯いたままフードも取らず、彼女の話を真剣に聞いていた。
「ケイト、君がキャロルに最後に会った時の話は分かった。他に何か心当たりは?」
「特に思い当たる様なことは無いわ。あっ!そう言えば貴方って、もしかしてキャロルさまに指輪を、、、」
おれはフードを少しズラして彼女に顔を見せ、口の前に人差し指を立てた。
察しのいい彼女は口を噤む。
キャロルの行方が分からなくなったと王都に連絡が入ったのは昨日の朝だった。
直ぐにジャスティンを彼らの父親である第二騎士団副団長の元へ向かわせた。
国境に駐在している母親の第三騎士団長にもそろそろ一報が届く頃だろう。
おれは部下に指示を出し、そのまま早馬で駆けてきた。
こんな事になるなら、キャロルを領地へ帰さなければ良かった。
精霊が上手く居場所を伝達してくれるといいのだが、、、。
「ケイト、色々教えてくれてありがとう。おれはキャロルの邸に向かう」
「分かったわ。旅の方、お気をつけて」
ケイトにお礼を告げ、酒場を後にする。
今の時点でキャロルの足取りは全く掴めていない。
リューデンハイム邸に到着すると、スージー女史らしき人物がおれに駆け寄って来た。
「キャロルお嬢様を捜索して下さる騎士様ですか?」
旅装を見て彼女はそう判断したらしい。
王太子が動いたとはまだ発表していない今、おれの身分はまだ隠して於いた方が動きやすいかも知れない。
「王都で陛下の命を受けて参りました。おれは第一騎士団の騎士アークです。キャロル嬢が居なくなった経緯を聞かせて下さい」
「はい、わたくしはこちらで経理担当をしております。スージーと申します。アーク様、こちらへどうぞ」
そのまま、執務室へと案内された。
部屋に一歩入り、中を見回す。
ここでキャロルはいつも領地の事を考えて仕事をしていたのか。
レモンイエローのカーテンに白い机、明るい雰囲気の室内は彼女らしい空間だった。
もっとしっかり相談に乗ってやれば良かったと後悔しかない。
「ここで、キャロル様は書類整理をしていて、突然用事を思い出したと言って、お部屋を出られたのです。何か残されている書類から分かることがあるかも知れないと思い、ご案内しました」
「彼女が邸外に出た形跡は?」
「それが、誰も見ていないので分からないのです。そもそも、使用人が少なく警備も手薄でした」
まさか国内屈指の武闘派貴族の邸に押し入ろうとする者など居るはずがない思っていたのが、仇となったか。
「書類を少し見せて貰っても?」
「はい、構いません」
スージー女史は飲み物を持って参りますと出て行った。
おれはキャロルの椅子に座り、机に散らばった書類に目を通し始める。
領地の業績、医療体制の確認、『恋人の丘』売上リスト、、、。
ふと『天使のカード』購入者リストに目を留めた。
ここ二週間の購入者か、、、。
おれは上から順にページを捲って購入者の名前を確認していく。
「なっ!カレン・コルマンだと!?」
そこにはカレン・コルマン侯爵令嬢の名前が記されていた。
突如、おれの中で最近不自然と感じた記憶が蘇る。
「やはり、あの時、、、」
心臓を貫かれる衝撃を受けた。
王妃主催の茶会の途中で、おれはいつも通り早めに退席することにした。
足早に庭園から、執務室のある王宮の中央棟へ向かう渡り廊下を歩いていたおれの前にカレン・コルマン侯爵令嬢が現れた。
彼女はおれが目の前を通り過ぎる時、何かを呟いた。
何と言ったのか良く聞き取れなかったが、おれの口は無意識にキャロルと呟く。
何でそんな事を呟いてしまったのか、その時は分からず困惑した。
そして、それをカレン嬢が聞いていたのかも分からない。
何故なら、おれは立ち止まらず通り過ぎたからだ。
だがこの状況からすると、聞かれた可能性が高いだろう。
カレン・コルマン侯爵令嬢ならば、キャロルの誘拐くらいしそうだ。
ただこの時点で彼女を犯人と決めつけるのは早過ぎる。
他にも手掛かりは無いかと、机の上の書類を手に取って確かめていく。
下の方に重ねてあったタブロイド紙の見出しに目を留める。
『マクシミリアン王太子殿下の婚約者はすでに内定か?』
キャロルはこれを見たのか?
ああ、彼女は大きな勘違いしてしまっているかもしれない。
おれはどうしたらいいのか分からず、机の上に突っ伏した。
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