My Knight

チャーコ

My Knight

「貴女がエレオノーラ・ヒューティア公爵ご令嬢? ヴィルヘルム王太子様と婚約を交わしていらっしゃるという方ですの?」


 エレオノーラは出し抜けに問いかけられて青い目を瞬いた。隣国のアリッサムからの貴賓であるソフィア王女は豪奢な椅子に座り、扇で口元を隠しながらエレオノーラを見つめている。


 自国訪問に対して挨拶を述べようとした矢先であった。エレオノーラの発言を遮るようなソフィアの質問に内心首を傾げつつ、それでも貴族として礼を尽くす。


「王女殿下のおっしゃるとおり、エレオノーラ・ヒューティアと申します。以後お見知り置きのほど、お願いいたします」


 キュトラ王国の公爵令嬢として丁寧にお辞儀をする。そんなエレオノーラに対し、ソフィアは軽やかに笑った。その笑いが嘲り混じりに感じて、エレオノーラは戸惑いを深める。


「どうして貴女は黒髪なの? この国でも私の国でも、黒い髪の方は見たことがないわ」


 ソフィアはエレオノーラの礼に応えず、さらに問いを重ねる。確かにソフィアの言うとおり、この周辺の国々では黒髪が珍しいことは事実であった。

 エレオノーラが口を開く前に、隣で姿勢よく立っていた青年が一歩前に出た。


「ソフィア王女殿下」


 涼やかな声は広間によく響き、ソフィアはたちまち相好を崩す。


「何かしら? ヴィルヘルム王太子様」


 エレオノーラの婚約者であるヴィルヘルムはにっこりとソフィアへ微笑みかけた。綺麗な銀髪がさらりと揺れて、ヴィルヘルムの美貌を際立たせる。


「エレオノーラの黒髪は隔世遺伝です。初代公爵の髪が黒色だったと伝えられております」

「そうなのですか」


 ソフィアはあまり納得がいっていない様子の相槌を打つ。婚約者に庇われた形のエレオノーラはそっと瞳を伏せた。

 控えめなエレオノーラの態度は、ソフィアの目には地味で面白味のない風情に映ったようだ。ソフィアはヴィルヘルムに視線を移し、甘えるような声を出す。


「ヴィルヘルム王太子様。今宵のパーティーでは私をエスコートしていただけますか?」


 パーティーのエスコート役は、婚約者や伴侶、または親族と決まっている。ヴィルへルムがエレオノーラの婚約者と知っていて要望を口にするソフィアの狙いは一目瞭然だった。


(ソフィア王女殿下は私に代わってヴィルヘルム様の婚約者になりたいのね)


 エレオノーラの内心は、その場にいた侍女や護衛も同じように感じたのであろう。気取られぬように視線を交わし合う彼らを一瞥もせず、ヴィルヘルムは完璧な笑みを浮かべた。


「もちろんです、ソフィア王女殿下。なかなか隣国の貴女とパーティーへ出席する機会はないですからね」


 そう言って、すっとソフィアに手を差し伸べる。


「王女殿下のために、南向きの客間にお茶を用意しているのです。よろしければそちらに参りませんか?」

「まあ! 王太子様のお誘いでしたら喜んで」


 ソフィアはヴィルヘルムに手を取られ、エレオノーラに勝ち誇った笑顔を向けつつ広間から立ち去った。ヴィルヘルムは一度もエレオノーラを見なかった。

 エレオノーラは小さく溜息をつく。ヴィルヘルムの完璧な笑みを思い返して憂鬱な気分になりながら、自身も与えられた私室へ下がっていった。


 ◆ ◆ ◆


 父親のエスコートでパーティーに参加したエレオノーラは、王太子婚約者として国王と王妃のご機嫌伺いに顔を見せる。ドレスの裾を軽く持ち上げて深く頭を下げると、国王と王妃はにこやかにエレオノーラを迎え入れた。


 幼い頃から息子であるヴィルヘルムの婚約者としては控えめすぎるエレオノーラ。公式の場ではその態度で一貫しており、国王も王妃も特に問題としていなかった。

 ──少なくとも今までは。


「なあ、エレオノーラ嬢。ソフィア王女はヴィルヘルムと貴女の関係を知っているのか?」


 遠い目をした国王の視線の先には、はしゃいだ様子のソフィアに完璧な王子スマイルで応じるヴィルヘルムの姿があった。


「婚約者同士ということはご存じのようですけれど」


 淡々とエレオノーラが答えると、今度は王妃が恐ろしげに身を震わせる。


「わたくしはもう少しエレオノーラ様がソフィア王女に、ご自分の立場を強く訴えても良いと思いますの」

「お相手はアリッサムの王女殿下です。一介の公爵の娘が何を主張するのでしょうか」


 アリッサムは有数の金や宝石の生産国である。ソフィアの金髪には数々の宝石をあしらった髪飾りが輝いていた。

 いささか装飾過多とはいえ、ソフィアは一国の王女である。立ち居振る舞いは堂に入っており、華やかな容姿も相まって、パーティーの雰囲気は彼女の明るさに染まっているように見えた。


(まさに絵に描いたようなお姫様と王子様)


 エレオノーラはそんなことを思ってしまう。

 他人事のようにパーティーを眺めていると、上気した顔のソフィアがパーティーの熱気でのぼせたようにヴィルヘルムへ囁きかけていた。


「明日は王太子様と城下へお忍びをしてみたいですわ」

「それは少し危険ではないでしょうか?」

「あら、王太子様が優れた剣の使い手であることは存じておりますのよ。守っていただけるのでしょう?」

「……仕方ないですね」


 五感が鋭いエレオノーラは、パーティーの喧騒の中でも会話が拾える。二人の囁きを聞き取って、それこそ「仕方ない」と首を振った。


 エレオノーラだけが感じ取れる僅かな間にヴィルヘルムが寄越した眼差しを、彼女はあえて気づかないふりをした。


 ◆ ◆ ◆


 翌日の夕闇に紛れて、ソフィアとヴィルヘルムは城下へ向かっていった。お忍びらしく地味な服装に身を包んでいるが、滲み出る高貴な雰囲気は隠しようがない。

 もちろん護衛は至るところに潜んでおり、ヴィルヘルムも不測の事態に備えて帯剣していた。


 キュトラ王国は自然が豊かな国であり、城下町の店先には様々な色彩の花が咲いている。物珍しさに目を輝かせているソフィアとは対照的に、ヴィルヘルムは周辺を警戒していた。


「そろそろ戻りませんか?」

「まだ馬車から降りたばかりではありませんか。もう少し先のお店を見せてくださいませ」


 ヴィルヘルムの忠告を聞かずにソフィアは道を進む。治安が良いと評判のキュトラ王国に安心しているのか、それともヴィルヘルムの剣の腕を信頼しているのか。どちらにせよ王女である自覚に欠けていると言わざるを得ない。


 アリッサムで堅固に守られてばかりのソフィアは浮かれているのだろう。見目麗しい王子を伴い、花や装飾品につられて表通りから外れていく。

 路地の奥で占い師を見つけて、ソフィアは近寄った。占い用と思しき水晶玉の隣には、ソフィアが目にしたことがない赤や紫の花が咲き乱れている。


「占っていただいてもよろしいですか?」


 ソフィアの声に占い師が顔を上げた。フードに隠れて占い師の表情はうかがえないが、どうやら小柄な男性のようである。


「これは綺麗なお嬢ちゃんだね。そこの男前な剣士様との恋愛運を占おうか?」

「そんな、恋愛運だなんて……」


 頬を染めつつ、満更でもない様子のソフィアにヴィルヘルムが寄り添う。ヴィルヘルムは珍しい四枚の花びらをちらりと見た。


 占い師が水晶玉に手をかざすと、ソフィアも好奇心旺盛に手元を覗き込む。低い声で占い師が呪文めいたものを唱え始め、その不思議な声色とむせ返るような花の香りにソフィアはだんだん意識を奪われていった。


 どのくらいソフィアはぼんやりしていただろうか。気づけばソフィアとヴィルヘルムはフードをかぶった不審者に取り囲まれていた。

 ヴィルヘルムはソフィアを庇うように剣を鞘から抜き放つ。しかし、それよりも速く占い師がナイフで斬りかかってきた。


「きゃあ!」


 ソフィアが悲鳴を上げてぎゅっと目を瞑る。刃物が勢いよく振り下ろされる風切り音、次いで硬いものがぶつかり合い、弾き飛ばされたような耳障りな響きがソフィアの鼓膜を震わせた。

 鳴り渡る剣戟音の恐ろしさにソフィアはしゃがみ込んでしまう。怯えきった彼女は、突然柔らかい何かに抱きしめられ、驚いて振り仰いだ。ソフィアの見開いた視界いっぱいに艶やかな黒髪が広がる。


「エ、エレオノーラ、様……?」


 呆然と呟くと、黒髪をなびかせたエレオノーラが紅い唇を笑みの形にする。

 緊迫した状況にかかわらず、ソフィアはエレオノーラの魅惑的な微笑みに見惚れてしまっていた。


(こんなに美しい女性だったかしら?)


 内心の疑問は伝わっていたのだろう。悪戯っぽくきらめくサファイアブルーの瞳が猫のように細められた。その瞳に囚われたまま、ソフィアはエレオノーラに身を委ねる。

 エレオノーラはソフィアを横抱きにし、滑るように城下町を駆け抜けていく。

 行く手には何人ものフードをかぶった不審者が現れたが、エレオノーラが視線を向けるだけで、ことごとく昏倒していった。


 馬車までたどり着くとエレオノーラはソフィアを車内に横たえ、御者台にふわりと飛び乗る。エレオノーラが操る馬車は地面から離れて、揺れひとつなく城まで滑空していった。


 ◆ ◆ ◆


「このたびは助けていただいてありがとうございました」


 すべてが落ち着いてから、ソフィアは深々とエレオノーラに頭を下げた。

 軽装から控えめなドレスに戻ったエレオノーラは、それでも艶やかな笑みを湛える。


「いいのですよ。私のことを何も説明しなかったヴィルヘルム様に責任があります」

「それは、だって」

「言い訳は結構です」


 ぴしゃりと言葉を封じられたヴィルヘルムは苦笑する。

 ヴィルヘルムも華麗な剣捌きを披露していたのだが、ソフィアの目には入っていなかった。


「エレオノーラ様は聖女様の末裔、だったのですね」


 初代公爵は異世界から渡ってきた黒髪の聖女だったという。ありとあらゆる魔法を駆使しながらキュトラ王国を安寧に導いた伝説の聖女。彼女が花や樹木を愛していたことから、この国では自然を大切にするようになった。


「それにしても、ソフィア王女殿下の襲撃までは予想していたのですが、取り締まり対象の花の栽培まで突き止められるとは思いもしませんでした」


 いくら草花や樹木を大切にする国とはいえ、中毒や幻覚を生む悪魔のような花は法で取り締まりが定められている。エレオノーラは心配そうにソフィアの顔を覗き込んだ。


「申し訳ございません。想定外の事態が発生したとはいえ、ソフィア王女殿下を危険にさらしてしまいました。お加減はいかがでしょうか?」

「ありがとうございます。まったく異常はありませんし、お医者様にも問題はないと診断をいただきました。エレオノーラ様が助けてくださったお陰です」


 自業自得の部分もありますし、と恥ずかしげに付け足すソフィアは、すっかりエレオノーラに惚れ込んでいた。自身の危機に駆けつけてくれた救世主に紅潮した顔を向ける。


「あの、エレオノーラ様を、お姉様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「は?」

「お姉様、お礼の品を受け取ってください!」


 さすがに困惑の声を上げたエレオノーラに迫るソフィアを見ながら、ヴィルヘルムはこっそり「だからイヤだったんだ」と唇を尖らせた。


 ◆ ◆ ◆


 初代聖女が愛したと言われる王宮の花園。王族以外は立ち入り禁止である花園の四阿で、ヴィルヘルムとエレオノーラはくつろいでいた。今日は「お姉様ー!」と追いかけ回す、お騒がせ王女の姿もない。


 婚約者であり、幼馴染の間柄でもある二人は、人目がなければ砕けた言葉遣いになる。


「いくら自分が頑張ったって、結局はノーラの信奉者が増える結果になるのは納得いかないよなぁ」

「もう、ヴィルったら」


 ヴィルヘルムはエレオノーラより年若いため、つい子どもじみた態度を取ってしまう。エレオノーラはヴィルヘルムの銀髪に細い指を絡めた。触り心地のよい髪を撫でると、そのままヴィルヘルムは横になってエレオノーラの膝に頭をのせる。


「大丈夫よ。ヴィルが私を愛していることはわかっているし」


 ソフィアに対して張りついたような笑顔のヴィルヘルムを思い返すと、王妃ではなくとも身震いしてしまう。愛が重すぎる婚約者は、エレオノーラに惚れそうな人物を排除するためなら手段を選ばないことを、国王を始めとした周囲は十分に知り尽くしているのだ。


「人たらしの聖女様はなんでも自分で解決しちゃうしねえ。少しは守らせてくれたっていいじゃないか。心配してパーティーで様子を見たって無視するしさ」

「ちょっと、言葉が乱れすぎよ。まあ、ここには私たちしかいないけれど」


 拗ねて甘えるヴィルヘルムが可愛らしくて笑いが漏れる。癖のない銀髪を撫でながら、エレオノーラは優しく語りかけた。


「あのね、ヴィルはいつだって私を守ってくれているわ。いくら聖女の末裔っていっても、黒髪というだけで目立ってしまうもの。魔法を使えば、さらに忌避感を抱く人だっているわ。普通と違うだけで奇異な目で見られてしまう」


 優しい声音には微かに悲しみが混ざっていて、思わずヴィルヘルムは身を起こした。

 ヴィルヘルムの菫色の瞳と、憂いを帯びた青い瞳がぶつかる。


「普段は目立たないように振る舞っているけれど、それは少しだけ他人に怯えているからなのよ。でも、ヴィルはいつだって私の味方でいてくれて、たくさんの愛をくれる。私はここにいてもいいんだって自信が持てるのよ。だから」


 ──愛しているわ。


 消え入りそうなエレオノーラの声は、しっかりとヴィルヘルムの耳に届いた。

 ヴィルヘルムが華奢な身体を引き寄せると、素直にエレオノーラは腕の中に収まった。そっと顎を持ち上げられてヴィルヘルムに紅い唇を奪われる。


「聞き飽きているかもしれないけれど、ノーラを愛しているよ。いついかなるときも君を守る」


 ヴィルヘルムは立ち上がって、エレオノーラの手を取った。花園に踏み出すと、白い花を摘んでエレオノーラの黒髪に飾る。


「宝石の飾りより、花の髪飾りのほうがずっと美しいね」


 いつでもヴィルヘルムの愛と称賛は真っ直ぐで、本心だということが胸に響くから、エレオノーラはそのたびに頬を赤く染めてしまう。

 ヴィルヘルムはエレオノーラの手に恭しく口づけた。エレオノーラを守るという誓いのようで、愛情に照れてしまうと同時に、嬉しさで口元が緩んでしまう。


「これからもずっとノーラだけの騎士でいるから。愛されて守られる覚悟をしろよ」


 いっそ挑戦的に感じる強い菫色の眼差しと、作りものでない本来の強気なヴィルヘルムの笑み。


「ありがとう、約束よ。My Knight」


 色鮮やかな花弁が舞い散る花園で、二人は愛を誓いあったのだった。

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