二章 鏡面逃避
0-自作自演
シャルル・アンリ・サンソンが、死体回収人ジル・ド・レェと技師フランソワ・プレラーティを処刑してから数日後。
彼の処刑人が休暇をもらい、比較的穏やかな日々を過ごしていた頃。セイラムでは対照的に、その事実が度々話題に上がり、不安が高まるようになっていた。
もちろん、國の全住民が噂する訳では無い。
処刑人や告発人ならば日常的すぎて意味のない話であるし、心を無にして畑仕事をするような者などにも関係ない。
だが、日々処刑が横行していることや殺される可能性というものを、普段からそれなりに気にしている者ならば……
当然その事実に戦慄し、物陰でヒソヒソと噂話をすることになる。
「な、なぁ……フランソワちゃんが処刑されたって本当か?」
現在も2人の男性が、集落の陰で人目を避けるようにしてその出来事について噂話をしていた。
彼は別に外の世界に興味を持った訳でも、國の秩序を乱している訳でも、処刑人協会に反抗的な考えを持っている訳でもない。
しかし、彼の目から見るとプレラーティ技師だって、別に外の世界に興味を持った訳でも、秩序を乱した訳でも、反逆心を持っていた訳でもないのだ。
実際のところはどうであれ、無実だと思える者で特に協会に利益をもたらしていた技術者の処刑。
これは彼が不安になるのも当然というものだった。
彼と一緒に建物の陰に隠れ、コソコソと噂話をしている男性も同様である。既に事実として受け止めている様子ではあるが、自分も巻き込まれるのではと不安そうに言葉を紡ぐ。
「あぁ、プレラーティ技師な。処刑人シャルルにスッパリと殺られたらしいぜ。……もしかしてあの人の機械マズいか?」
フランソワ・プレラーティは、錬金術師であり探求者だ。
だが、この國で彼女はそもそも技師であり、修理屋であり、道具屋である。
唯一の科学施設に本拠地を構えていただけあって、國にもたらしていた恩恵は計り知れない。
その男性も彼女からいくつもの機械を手に入れていたようで、それが原因で処刑対象になるのでは……と危惧しているようだった。
もちろん、そのことで処刑対象になるかどうかがわかるのは、処刑人協会の上層部だけだろう。
罪は彼らの独断によって決められ、裁かれるのだから。
であれば、彼の疑念を聞いた男性に答えられるはずもない。真剣な表情をしながらも、曖昧な言葉を返すにとどまる。
「俺が知るもんかよ。ただ、本当に殺られたんだな……
あれだけ貢献してたのにさ」
「そうだ。だからすげぇ不安なんじゃねぇか。
噂によると、最近処刑されてた中には無駄に立派なガレージを持ってるやつが多かったとか。うちにはねぇけど、機械とか便利すぎる物を持ってる事自体がアウトだったりして……」
「おいおい、量に限らずアウトなら俺もヤバいぞ‥」
「こんにちはっ、何がヤバいってお話しているのかしら?」
「ッ……!?」
物陰に隠れた彼らの話がヒートアップしてしまっていると、ちょうど運悪く通りかかった人物が声をかけてくる。
内容的に、普通ならたとえ聞こえてきても、首を突っ込もうとは考えない。
それなのに、その煌びやかなドレスを着ている綺麗な少女――アビゲイル・ウィリアムズは、魅惑的な笑みを浮かべながらきな臭い会話に割って入っていた。
「アビゲイルちゃんか……いや、なんでもねぇよ。
俺達は何も企んでない。なぁ?」
「あぁ、ちょっと世間話をしていただけさ」
声をかけられた瞬間はビクリと肩を跳ねさせていた男達は、その声の主がアビゲイルだとわかると、息を揃えて誤魔化しにかかる。
彼女は他の処刑人と比べれば友好的で、よく相談にも乗ってくれる好人物ではあるが、それでも処刑人協会の者に変わりはない。
流石に処刑対象になるかもしれないという話題を大っぴらに相談出来はしないようだ。
「あらら? 機械をたくさん買っちゃったから、処刑対象にならないか心配だな〜ってお話じゃないの?」
しかし、普段から協会本部でシャルルにちょっかいをかけているように、アビゲイルはその反応を意に介さない。
見るからに会話に入らないでほしそうな彼らに近づいていくと、遠慮なく先程の話題を口にする。
彼女の言葉を聞いた男達は、大慌てとまではいかないものの、やや戸惑った様子で口を開いた。
「い、いや、君が気にするようなことはないよ。
問題があるのなら俺達はすぐに捨てるから」
「そ、そうだぜ。何も後ろめたいことはない。
君に迷惑をかけるようなことは一切ないからよ」
「えー? いいじゃない、フランソワの機械。とっても便利なんだから、捨てるなんてもったいないわ。それに、たしかあなた達に彼女の道具を勧めたのはあたしよね?
何かあっても、あたしだけは味方だから大丈夫よっ!」
アビゲイル・ウィリアムズは処刑人協会の人間だ。
しかし、処刑されたフランソワが作った機械を所持しているというのは罪ではないのか、2人の言葉を聞いてもむしろ推奨するようなことを言っていた。
それを聞いた男性達は、拍子抜けしたように、処刑対象にならないことで安心したように表情を緩める。
セイラムに蔓延している不安や罪の一部は、こうして闇に葬られていく。
彼らの不安を解消したアビゲイルは、その後も相談を受けたり雑談をしてから、含みのある微笑を浮かべて立ち去った。男達がこの場で捕まることも、告発されることもない。
だが、セイラムよ。容易く気を抜くことなかれ。
彼女は決して、罪にならないとは言っていない。味方だからといって、いざという時に何かするとは言っていない。
親しみやすく、可愛らしい見た目をしていたとしても。
シャルル・アンリ・サンソンとは違ったタイプではあるが、アビゲイル・ウィリアムズも歴とした処刑人なのだから。
~~~~~~~~~~
男性達の罪はいずれ来る日に向け、闇に葬られた。
より正確に言えば、確実に罪人となるべく灯火を消させず、いつでも開ける隠し扉の奥に隠された。
だが、今のセイラムには他にも多くの場所で火種が燻っている。その火種というのは、当然反逆の意思などではない。
先程の男性達と同様に、処刑人協会が一方的に断罪するための、罪人だと告発されて業火となるべき油断だ。
彼らと別れたアビゲイルは、また別の集落で井戸端会議をしている主婦たちの元へとやって来ていた。
「最近調子はどう? うちの主人ったら、この頃フランソワちゃんが処刑されたってことで気が立っているのよねぇ」
「うちもよ。ガレージを立派にし過ぎだとか何とか……
正直、私達まで不安になるからやめてほしいわ」
「こうやって話す時間も足りないものねぇ。
いっそのこと、全部壊せば不安もなくなるのかも」
目の前で繰り広げられているのは、この頃の噂話を反映しているどこか不穏な会話だ。アビゲイルはそれを見つけると、軽やかに可憐にドレスを揺らしながら近づいていく。
「こんにちは、お姉さん達。何のお話をしているの?」
「あら、アビゲイルちゃん」
「えっとね、最近処刑されたっていうフランソワちゃん……」
彼女が同性だからか、単純に彼女が人を処刑したという話を聞かないからか、はたまた普段から相談相手になってくれているからか。
集まっていた女性達は、にっこり笑いかけてくるアビゲイルを特に警戒することなく、今していた話を彼女に教える。内容自体はさっき聞いてきたものとそう変わりない。
フランソワという有能な技師の処刑と、彼女が売っていた数々の品についての不安などだ。
しばらく人当たり良くふんふんと話を聞いていたアビゲイルは、一通り聞き終わってからにこやかに提案する。
「じゃあ、こういうのはどうかしら?
あまり人目につかない夜にでも、たまに誰かの家で集まってお話をするっていうのは。きっと、お泊り会みたいで楽しいと思うわ! 話す時間も確保できて気も晴れるしねっ!」
「え……? それって、いいの?」
「夜は処刑人の時間でしょ? 処刑対象になるんじゃ……」
「あたし、不安を解消できないのってとっても辛いことだと思うの。毎日のように人も死んでいるのだから、少しくらい気晴らしがないとねっ! 大丈夫! 何かあっても、あたしは絶対にあなた達の味方になるから!」
最初はあまり乗り気でなく、不安そうにしていた女性達だが、他ならぬアビゲイルが提案し、さらに味方になるとまで言われてしまっては、正しい判断をするなど不可能だ。
この國に生きるという不安を分かち合える、もっと長く話す時間が取れるという甘言に、いとも容易く流されてしまう。
もちろん、彼女達に悪意などない。
しかし、アビゲイルにもまた悪意などなかった。
女性達の主催で、集会が開催されることは決定する。
この集会には、男女問わずこの國の状況に疲れている者達が――つまりは、否定的な意見を少なからず持つ者が集まることだろう。
セイラムに蔓延している不安や罪の前兆は、表舞台から姿を消す。アビゲイル・ウィリアムズによって人目につかない影へと押し込められ、サバトという証拠を作り出す。
この世界の歯車は、醜悪な意思により着実に狂い始めていた。
虚の天秤 榛原朔 @say-11
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