22-恐怖の回収人

立ち尽くすシャルルの前で、手足だけを触手に変えたジル・ド・レェは何本にも分裂したそれらを蠢かせる。


通路からの光もあり、暗がりでのた打ち回る触手はテラテラと気味悪く輝いていた。


もはやナイフは、腰にすら届かない。

一本一本が人の腕よりも太くなった触手は、腐った水の匂いを漂わせながら天井近くまで彼を持ち上げていた。


「おいおい、マジかよ。フランソワのやつはこんなことにはならなかったぞ……? 何だこの魔法みてーな技は」


驚きは二重に。油断なくナイフを構えているシャルルに襲い掛かる。1つはフランソワとは違ったジルの戦法に、もう1つは単純に手強い形態になったことに対する驚きだ。


そもそも、不気味な軟体動物を使役していること自体が驚くべきことであり、どういうわけかそれが合体してしまったのだから無理もない。


どう考えてもナイフ数本で立ち向かうべき相手でもないので、異常ながら正常な反応だと言えた。


「……あー、また全部切れば良いのかこれ? というか、触手切ったとして本体に捌かれ……いや、手がないのか。よし」


今まで基本的に自分から動かなかったジルは、今回も自分から動きはしない。シャルルがどう動くか考えている間、特に何もせずに触手を蠢かせていた。


もちろん、そもそもの範囲が広いのである程度は攻撃のように迫ってくることもある。だが、狙ったわけではない流れ弾などシャルルの敵ではない。


たまに飛んでくる触手は、来る度にナイフに切り飛ばされてまた再生というループを繰り返していた。


「切っても再生すんなら、切って体勢崩してすぐ本体だな」


離れていて聞こえないが、ジルは高いところでまだブツブツと何かをつぶやいているようだ。もう既に処刑人の姿も見えていない様子であり、分析も容易い。


シャルルはすぐに作戦を決めると、軽い調子で白衣の怪物に向かっていく。とはいえ、ジル自身が触手を生やしているというのは、それだけで十分に厄介だ。


身長差ももちろん圧倒的で、手足の両方共が触手として増殖しており、手数も圧倒的である。


フランソワは動く死体やツギハギの怪物も含め、そのすべてを使役するという戦い方だったが、彼の場合は軟体動物だけなのでこうなっているのかもしれない。


行動を開始したことで、ちゃんと意思を持って攻撃してくるようになった触手を捌きながら、シャルルは進む。

一度に何本も伸びてくる触手は、その匂いの影響もあって海流か何かのようだった。


「ギャハハハ!! 一方的に上から手数押し付けてくる割には大したことねぇなァ!? ここは海水浴場かァ!?」

「マンホール達の鳴き声。砂漠の残響。

カマキリの点呼を聞く、私はカブトムシ」

「その音を、響かせてんじゃねぇよ!!」


濁流のように差し向けられる触手を、処刑人は苛立ちをぶつけるようにまとめて弾く。どうせ再生されるので、切るのではなく弾いて防ぐ。


弾かれた触手は大きくしなって後方に飛び、目の前に確かな道を開いていた。


「俺が届く方法は2つ。足の触手を切って引きずり下ろすか、俺自身がぶっ飛んで近づく。まずはお手軽な後者だ!!」


あくまでも触手体の……ではあるが、懐近くにまで潜り込んだシャルルは、軽くジャンプして振り返る。すると、向かってくるのはさっき弾いたばかりの触手の群れだ。


ただ受け流されただけのそれらは、敵が至近距離にまで来たことを察してなのか、凄まじいスピードで戻ってきていた。


「向きはこっちで調整してやる。飛ばせ、本体まで!!」


飛び上がったシャルルは、ナイフを横向きにして触手を受け止める。当然、向かってくる触手は10本以上あるので、全部は止められない。


しかし、2本のナイフを別々に壁にすることでできるだけ広い面積で受け止め、足りなければ身を捩って避けていた。


触手が動く力の方向は真横。飛ばされるのは本来足だった部分のはずだが、ナイフの向きの調整に加えて最終的に下方向へ弾いたことで、体は逆に上へと飛んでいく。


一応はジルも、攻撃を受けそうになれば反撃するので、まだ近くに残っている腕の触手などを向けて防壁にしている。だが、一度飛んでしまえばもう足場にしかならない。


邪魔な触手は切り飛ばし、隙間が使えるならば差し込み軌道調整をし、ぐんぐんジル本体の元まで飛んでいった。


「ギャハハハ!! テメェのぼんやりした反撃なんざ、この俺に効くもんかよ!! んな壁じゃあ足場になるだけだぜ!!」


触手の守りを突き破り、シャルルはジルの眼前に現れる。

コートの裾をはためかせながら、煌めくナイフを構えながら、やはり向かってくる触手を足場に切りかかっていく。


手足が触手となっている白衣の怪物だが、動き自体は意表を突かれなければわかりやすい方だ。

次々に切り飛ばされるか足場にされるかして、あっという間に懐まで潜り込まれていた。


「魂の形代。端末の幽霊。私は闇に溶けゆくカブトムシ」

「テメェはとっとと沈んでろ、カブトムシ野郎!!」


先程は彼の掌に捕まってしまったシャルルだが、今回は触手になっているし向きもわかりやすい。

忙しなく視線を飛ばしながら、的確に叩き落としてジルの首めがけてナイフを振るう。


「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ

うがふなぐる ふたぐん」

「ぬあッ……!?」


しかし、その一撃はまたしても触手に阻まれてしまう。

手足の触手は常に警戒していたし、ちゃんとすべて弾いてもいた。


だというのに、ジルの背後に現れたモヤモヤした空間からは無数の触手が伸びてきて、問答無用で処刑人の体を押し返していたのだ。


切り飛ばして突破することができなかった通り、その本数も手足の触手などとは比較にならない。

怖気立つくらいに隙間なく蠢き、壁を作っている触手の群れは、本能的な恐怖を覚える津波のようである。


もちろん、少しでも準備ができていれば突破も不可能ではなかったかもしれない。だが、空中で急に押し寄せてくれば、流石のシャルルも無抵抗に押し流されるだけだった。


コートの上から全身を弄られるようにして、されるがままに遠くへ運ばれていく。


「うえぇ、気持ち悪い……コート着ててよかった。

ほんと、直接弄られたりしたら死ねる」


部屋の入り口付近まで来てようやく解放されたシャルルは、心の底から嫌そうな目をしながら、心なしか震えている体を抱きしめる。


直前まではかなりハイになっていたが、流石に気色悪い触手に全身を包まれるというのは許容範囲外だったようだ。

引き潮のように去っていく触手の群れを見ながら、嫌悪感を隠しもせずに睨んでいた。


もちろん、そのコートはフランソワ特製の品なので、防水加工はバッチリだ。中に浸みていないし、すぐ落ちるだろう。


とはいえ、やはりそういう問題ではないらしく、シャルルはしばらくしてから立ち上がって粘液を落とし始める。


「あ、運良くギロチンの近くじゃねぇか」


粘液を落とし終わったシャルルが見つけたのは、同じように入り口付近に投げ飛ばされていたギロチンだ。

ギロチンを飛ばしたのは軟体動物であり、ジルもあまり気にしてなさそうだったので、そのまま放置されていた。


瞳に凶暴な光を宿すと、処刑人は軽い足取りでそれの元まで歩いていって回収する。


「細かな動きならナイフだけのが楽だけど、あれだけ量あるとこっちも威力で押し通さねぇとだよなァ」


目の前にいるのは、相変わらず部屋の奥を向いてブツブツと呟き続けるジル・ド・レェだ。手足は触手のままだが、モヤモヤした空間から現れた触手は消えていた。


しかし、おそらくは追い詰めたらまたそこら中の空間がモヤモヤとし始め、触手の濁流を生み出すことだろう。

彼をちゃんと殺すためには、手足の触手をどうにかした上で、さらに空間から出てくる触手も潰す必要がある。


もちろん、ジルから手を出してくることはないが……

彼を殺せなかったら自分が処刑対象になる可能性があるので、殺さないという選択肢はない。

絶望的とまではいかないが、かなり厳しい状況だった。


「空間から伸びてくんのはまだ良いとして、問題はその位置だなァ。あの野郎の背後からってのが質悪いぜ。

……つうか、よくあの触手の中にいられんな。趣味悪すぎんだろ」


ギロチンをゴトンと真横に立てたシャルルは、また動かなくなった白衣の怪物を見つめながら頭を悩ませる。

考える時間だけは十分にあったが、触手の中にいる敵を殺すというのはかなりの難問だった。


「そもそも、あのモヤモヤ空間はなんだ? 直接潰せんならそれが最短……だがまぁ、物じゃねぇだろうし無理か。

触手を全部ってのは現実的じゃねぇし、これに仕込んでる物だって触手用の武器なんざ入っちゃいねぇ……よな?」


しばらく考え込んだが、いい方法などそう簡単に思いつかない。行き詰まってしまったシャルルは、ギロチンの隠し扉を確認し始める。


「フランソワならあれ対策のモン入れててもおかしくはねぇけど……チェーンソー、ナイフ、吹き矢、ナイフ、ナイフ……」


隠し扉の中から出てくるのは、さっき使ったチェーンソーの他にはほとんどナイフだ。銃火器や鉄扇、鎌などもあるが、敵の質量には勝てないだろう。

だが、中には見覚えのある薬品なども入っており……


「この薬ぶっかけりゃあ、少しはマシになるかもな。

おまけにこの銃、弾がかなりそれっぽいじゃねぇか。

ナイフも弾丸と錬金して強化できたし、あの空間……

ハハッ、ひとまず方針は決まりだ!! ぶっ飛ぶぜ相棒!!」


作戦を決めた処刑人は、体中に薬品や銃などの武器を仕込みながら、凶暴に笑う。最初に手にするのはギロチンだ。


何はともあれ接近しないことには始まらないので、さっそくそれを放り投げ、軸にすることで走るよりも速く進む。


「鉛筆に告白をするヤモリ。八咫烏は雷を見失い、詩の音に乗って幻想を突き破る。内蔵に刻む実験は佳境? あくまでも技師は宇宙を読む。しからば私は……クトゥルフ」

「今回は反応速ぇし、追加の触手ももう出すんだなァ!?

じゃあこっちも、先にその空間を撃つまでよ!!」


投げたギロチンの勢いで空に飛び出し、ワイヤーを引っ張ることで再度それを投げているシャルルに、ジルは珍しく虚ろな目を向ける。


音の羅列を紡ぐことは相変わらずだが、同時に手足の触手は敵へ伸びており、既に背後からもモヤモヤとした空間が現れていた。


それを見た処刑人は片手でギロチンを投げながらも、反対の手で銃を取り出し、白衣の怪物の背後を撃つ。


飛びながらという不安定な中で、すべてを撃ち抜くことはできない。しかし、およそその半分には命中し、予想通りモヤモヤした空間を消し飛ばしていた。


「ギャハハハ、マジで消えたなァあのモヤモヤ!!

本っ当に最高の相棒だったぜ、フランソワ・プレラーティ!! 処刑人じゃなけりゃ会うことすらなかっただろうが、処刑人じゃなけりゃ俺も……!!」


モヤモヤした空間の半分は消えたが、まだ半分残ったところからは数多の触手が伸びてくる。当然手足の触手も動き出すので、処刑人の前には再び蠢く壁が立ち塞がっていた。


ギロチンは床に突き刺さり、シャルルは空中に。

片手では銃しか握ることができないので、いくら勢いがついていても、このままでは壁を突破することは不可能だ。


「殺人者は殺人者らしくけじめを付けるぜ!! あいつを罪人として処刑したからには、テメェもきっちり罪人として処刑する!! 相棒に助けられてんのに、負けられるかよ!!」


迫ってくる触手を前に、シャルルは手に持っていた銃を天井高くまで放り投げる。空いた手で懐から取り出されるのは、錬金術により強化済みのナイフだ。


触手はさっきと同じく壁のようだが、半分ほどにまで減っているので密度はない。ワイヤーに引っ張られながらも、左右に揺らして回転することで、隙なく突き進んでいく。


ドガンッ、と凄まじい音を立てながら着地すると、そのままナイフを手放してギロチンをワイヤーで引き抜いた。


「銃をが効いたなら薬品も効くってなァ!?

瓶を砕いて表面をコーティングしろ、ギロチン!!」


再び引き抜かれたギロチンは、直前に放り投げられた薬品の瓶を砕きながら空を切る。

触手は迫るが、薬品に濡れた凶器は動く死体を薬品ナイフが溶かしたように、触手の群れを溶かしながら突き進む。


モヤモヤした空間から伸びる障害物が触手なら、ジル・ド・レェの手足も触手だ。ギロチンはみるみる触手を破壊して、掲げられた腕もすり抜けて彼の側頭部を打ち付けた。


圧倒的な質量を持つ木の塊が何度も加速した勢いで激突したことで、彼の体は床に叩きつけられ、ボールのように何度も弾んでいく。


「ギャハハハ!! ようやく黙ったなァ、ジル・ド・レェ!!

だが、まだだ!! 死を確認するまで油断しねぇ!!」


ジルの頭を打ち抜いたギロチンは床に突き刺さり、ワイヤーを引くシャルルは再び空を飛ぶ。

視界の先にはまだもぞもぞと動いている白衣の男、手に握られているのは軌道上に落ちてきていた銃だ。


処刑人は空を飛び、ワイヤーに引かれている中でも正確に的を見据え、その手足を数発撃って機動力を奪っていた。


「ギャハハハ!! 今まで何度も死体回収してもらってたが、結局テメェのことは一度も理解できなかったなァ!?

だが、今更もう関係ねぇ!! これで終いだ!!」


勢いよく着地した処刑人は、悪魔のような笑い声を響かせながら、動けない死体回収人に歩み寄る。


フランソワとは違って、彼には情けをかける必要はない。

そもそも言っていることが理解できないので、彼は言い残すことを聞かれることもなく台座に乗せられた。


「コード3……儀式の救援……水鏡に映る他人……」

「……最後まで理解不能だな、ジル・ド・レェ。

もうその戯言を聞かなくていいと思うと、清々するぜ」


千切れ、溶けている触手が部屋中に散らばる中で、ギロチンは怪物たちの親玉に振り下ろされる。

処刑人の刃は、未だ準備段階であった殺人鬼の首を容赦なく切り飛ばし、散らばる蛸足に味付けをしていった。

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