少女の目覚め②

「他には何か思いだせそうなことはある?」


 ベッドの横に椅子を持ってきて座ったメルティエさんが、気を遣いながらそっと尋ねてくる。

 思い出せること……。

 私はどこからきて、どうしてここにいるのか。そもそも、何者なのか。

 思い出そうとしても、空っぽの箱の中からは何も取り出せない。

 そんな有様なのに、私自身、そんなに深刻なことだとは受け止めていなかった。

 確かに、自分が何者かが分からないという、足元がふわついた不安感はあるけれど、別に思い出せなくてもいいかな、って。そんな風に思っている私が心の隅に居た。

 だけど、目の前で心配してくれているメルティエさんを安心させるためにも何か思いだせないことは……。

 真っ白な記憶の中を先へ先へと進んで行った先、ようやくもう一つ、落ちているものを見つけることができて。


「あの、少しいいですか?」

「うん。どうしたの?」


 私はベッドから出る。足に上手く力が入らなくて、ふらついたところをメルティエさんが立ち上がってそっと抱きかかえてくれた。

 私よりもひと回り大きな身体で、柔らかくて、温かい感触に包まれる。

 ベッドよりもずっと心地よくて、このまま身体を預けていたくなるくらいだった。


「まだ大人しくしてないと……。」

「いえ。大丈夫です。少しだけですから。」


 そっとメルティエさんから離れる。

 胸に両手を当てて力を込めながら。


「星よ、瞬く光の心霊たちよ。その小さき使徒に力を授けん!」


 唱え終えると、私を中心に星型の紋様が床に広がった。薄いピンク色に光を放ち、不思議な文字や模様が描かれている。

 風も無いのに、ふわふわと髪や服が浮かび上がる。魔法陣が白とピンクが混ざった色を放って強く輝きだすと同時に、身体が光りに包まれて着ていた服も消えてなくなる。

 身体を包んだ光が、次第に形を変えていく。

 まずは指先から二の腕までをすっぽりと覆う純白のグローブに。

 身体に纏った光は、ピンクと白を基調とした、身体のラインに張り付くようなノースリーブのワンピースに。腰から裾まではプリーツになってふわふわと靡く。

 太腿からは白いニーハイがすぅっと伸びて、足には白いフリルで飾られたピンクのパンプスに。

 首元で結ばれた白いマントは、お尻まで伸びて裾の辺りでピンクのグラデーションを帯びる。

 青い瞳は赤くなり、白の味気ないセミロングの髪も、衣装と同じ薄めのピンク色に染め上がって、ボリュームのあるツインテールに変わった。

 ゆっくりと光が消えていく。元居た部屋の景色が戻ってきて、床に広がった魔法陣も消え去った。

 『力の解放』を終えた私。

 その様子の一部始終を見ていたメルティエさんは、ぽっかりと口を開けていた。


「驚かせてすみません。私、こういう力を持っているのは思い出せたのですけど……。何か心当たりはありませんか?」


 メルティエさんは、私の問いかけには答えてくれず、ほえ~、と声を漏らして私を見ているだけ。


「あの、メルティエさん……?」

「すごいっ!すごいよフィルカちゃん!」


 突然、私に近寄ってきて手を取った。グローブ越しにも、さっき感じたメルティエさんの温かさが伝わってくる。


「えっ、えっと……。」

「これ、どんな魔法?あ、でも、魔法じゃないのかな。こんな魔法、聞いたことが無いし。でも、魔法陣はあったよね。私達が使うのとは少し形は違うけど。う~ん、もしかして……。いや、でもそんなこと……。」


 姿がまるっきり変わってしまった私のことを頭のてっぺんから足の先まで舐めるように見回しながら何度も唸るメルティエさん。

 そうやってまじまじと見られるのは恥ずかしくて……。


「あ、あの、どうですか?」

「うん……。これだけじゃちょっと分からないかも……。」


 メルティエさんは、少し歯切れの悪い感じで答えた。


「そう、ですか。」

「ごめんね?力になれなくて。」

「いえ。こちらこそいきなりこんなこと聞いてしまったので。」

「ううん。ちょっと驚いたけど。それにしても本当にすごいよ。衣装もとってもかわいいし。でも、これってどんな力なのか思い出せる?」

「戦うための力だったような気がします。ただ、どうしてこんな力があるのかは――。」


 突然、視界がぐらついた。

 頭の奥の方がぐわんぐわん鳴って、目に映るものの輪郭があいまいになる。

 身体が重くなって、同時に力も入らなくなって、膝からカクンと崩れ落ちた。


「フィルカちゃん!?」


 その温かさと柔らかさで、またメルティエさんに受け止められたのが分かった。


「ご、ごめんなさい。ちょっと眩暈めまいが……。」

「大丈夫?」

「この姿になったら、なんだかとても疲れてしまって……。」

「魔法を使ったから、ってことだよね、たぶん。それなら……、上手く行くかは分からないけど。」


 意識がもうろうしている中、私の足が地面から離れたのが分かった。

 メルティエさんに抱えられている……?

 そのまま柔らかい何かに座らされて、背中からもふにふにした感触と程よい熱が伝わってくる。もちっ、とした腕が私の前に回されて、ぎゅっと引きとせられた。

 私を支えてくれた時のものよりもずっと近くにメルティエさんを感じる。

 それと同時に、メルティエさんと触れ合うあらゆるところから何かが流れ込んできた。私の渇ききった身体を潤いで満たしていく。

 もっと満たして欲しい……。

 その一心でメルティエさんに全てを預けてしまう。

 眩暈めまいが次第に遠のいて行って、心地の良い浮遊感に置き換わっていく。

 メルティエさんに全て上書きされてしまうのかな……?

 ほんのちょっぴり怖くて、でもそれをすべて押し流してしまう潤いの波。そのおかげで、ぼやけた視界もはっきりとしてくる。

 そこでようやく、自分がメルティエさんの膝の上に座らされていることに気が付いた。

 だけど、相変わらず力が入らなくて。立ち上がろうと思えばできるはず。そのくらいまでは回復してきている自覚はあるのに、身体は全く動かなかった。


「フィルカちゃん、どう?」


 耳元でささやいたメルティエさんの声が、耳の一番奥まで届いてくすぐってくる。


「だ、だいぶ良くなってきました。」

「良かった。きっと、魔力が枯渇してたせいだと思ったから。私のを分けてあげてるんだけど、もうしばらく、このままでもいいかな?」

「は、はい……。」


 こんな心地の良い時間がまだまだ続く。

 自分からは振り払えそうになかった。あまり続けられてしまうとおかしくなっちゃいそう……。

 身体が溶けてしまいそうな感覚に浸りきっていた、その時だった。


「お~い。拾ってきた女の子はどんな感じ……、か、い……?」


 扉を開けて部屋の中に入って来たのは、また違う女の子だった。

 ばっちりと目が合う。白いモコモコの生地の服を着た、赤茶色の髪の女の子は、琥珀色こはくいろの瞳をきゅっと細めて。


「……なにしてんの?」


 何も悪いことはしていない、はず。

 なのに、謝らないといけないような気がした。

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