とある発達障害者の生き延びた数年

七霧 孝平

生きづらかった過去と立ち直りへの道

彼は『発達障害』であった。

身体もそこまで強くなく、病気も他にいくつか持っていたが、

今回のメインは『発達障害』である。


産まれた時から『発達障害』と判断されていたわけではなかった。

ただ、幼いころから漠然と、自分が他人より劣っているのを感じていた。

小学校時代、中学校時代、高校時代と、

彼は何とか過ごせていたものの、人との関りが上手くいかなかった。


そして大学時代、彼の感情は爆発した。

ギリギリで大学にも行けた彼だったが、

ついに今までの何かが切れてしまったかのように大学に不登校になってしまった。

大学での対人関係がきっかけか、ゼミの教授との相性が合わなかったからか。

それはわからない。


彼はその時、ただ苦しかった。何が苦しいのかもわからなかった。

大学に行かない自分に苦しんだのか、

対人ができない自分に苦しんだのか、

自分の頭が良くないことに苦しんだのか、

小中高時代のいじめの記憶に苦しんだのか。


そうしたことから彼は、家族の協力と、とある縁から、

某メンタルクリニックを受診することになった。

今思うと、彼が今も生きているのは、

家族が優しく、協力してくれたことが大きいだろう。


彼はメンタルクリニックで、今までの感情を吐露し相談した。

そして彼は『うつ病』そして『発達障害』と診断された。


彼はその受診の時、母に聞いたことも含め、

自分が発達障害ということはわりと早く納得していた。


幼稚園の頃から既に、彼の母は幼稚園の担任から、

彼が他の園児より少し発達が遅いとそれとなく言われていたという。


小学校時代は別段気になることはなかったが、

中学校時代から、彼は彼なりに思い出すことが多々あったようだ。

中学高校時代は彼にとって一番つらい時期であったからである。

いじめ……と言えるかはわからないが、傷つく言葉を言われたこともあり、

また物を取られたこともあった。貸したものが返ってこないことも多々あった。


彼はこれらの経験から人間不信であった。

大学時代も友達はほとんど作らずに過ごしていた。

それでもゼミなどで人と関わらないといけないことはある。

彼もそれはどうしようもないと受け入れていた。結果は前述の通りだが……。


それからしばらく大学には行かず、メンタルクリニックに通い、リハビリに努めた。

クリニックのショートケアに参加したり、

日頃の気晴らしなどを多くしたりやれることはいろいろ行っていた。


この時、診断書を書いてもらい、親と一緒に手続きを行い、

彼は精神障害者手帳の3級を手に入れることになった。


それから約一年……。


彼は少しずつ立ち直り、大学を無事に卒業した。

一年の留年があったものの、彼はそこまで気にしていなかった。

むしろ一年の留年だけで無事卒業できたのがすごいと今の彼は言う。。


しかし大学を卒業した彼だが就職先は何も決まっていなかった。

とりあえず当時は卒業だけを考えていたからである。


そこでまず彼はハローワークに通うことにした。

ハローワークには発達障害を含む障害者担当の部門が存在していたからだ。

さらにそこと協力している支援施設もあった。

彼はそこの支援施設でしばらくの間、訓練を積むこととなった。


一般の人にもある職業訓練、とは少し違うかもしれないが、

彼はそこで訓練を行いつつ、ハローワークの方で職を探す日々であった。

ハローワーク障害者部門の担当も優しく真摯に仕事探しを手伝ってくれた。


それから1年ほど経って、彼の就職が決まった。某企業の事務補助であった。

比較的通いやすい立地であり、働いている人数もそこまで多くなく、

彼にとっては良い環境であった。それから約2年半ほど彼はそこで働いた。


何故、2年半だったか。

それは彼のもう一つの問題、体力、持久力のなさのせいであった。


その某企業の事務補助仕事は決して悪くはなかった。

だが、働き続けキャリアアップのために就業時間を伸ばしたところで

問題が起きた。

就業当初、彼は一般的な就業時間より少ない時間で働いていた。

それを1年2年と働いたことにより、就業時間を増やす話が企業から出た。


最初は彼もそれで良い、嬉しいと思った。

就業時間が増えればその分、一般的な給料まで近づく。そう思っていた。


しかし就業時間を伸ばして働き始めて気づく。前述の体力、持久力のなさ。

働き終わり帰宅するとすぐに眠りに落ちるくらい疲れて果てる。

別にいわゆるブラック企業という訳でもない。

一般レベルまで引き延ばしただけでこれであった。


それでも、と思いはしたが、

数か月後にはものの見事に体力もメンタルも持たずに彼はダウン。


体調を崩し、メンタルクリニックにも、会社にも、

いろいろ相談もしたが結果的に、彼は某企業を退職することになった。


再度無職になった彼は、内心慌てつつも、健康回復にしばらく努めることに。

そして数か月後、彼は再び動き出す。

ハローワーク、メンタルクリニックに通いつつ、彼は新たな道を選んだ。

障害者の就労支援施設である。

支援はいくつかあるがその内の就労移行支援に彼は通うことにした。


正確にはすぐに通い始めたわけではない。

就労支援施設もありがたいことに今は多数存在する。

その多数ある施設を決めるのに時間が掛かった。

数か所、施設の見学をし、彼は就労移行支援で有名な某施設を選んだ。


施設を選んでもそれで終わりではない。

彼はそこで再び職業訓練のようなことを行いつつ、

ハローワークに通う生活を始めた。


しかし一度退職した身。なかなかうまく仕事は決まらない。

施設の協力の元、企業の仕事体験を受けたりもしたが、

企業との相性が悪かったり、相変わらずの体力のなさでダメだったりした。

就労移行支援は2年が基本と決まっている中、時は刻々と過ぎていく。


就労移行支援はあくまで職業訓練に近いものなので給料などは出ない。

彼は実家暮らしとはいえ、お金にもしばらく苦しんだ。


彼の就労支援も1年半以上仕事が決まらず、内心焦りながら訓練をしていた時、

施設が貼りだしてくれている求人の中に気になるものを見つけた。

とある公務員の非常勤の募集であった。

見学の募集があり、彼はすぐさま見学に応募した。


機密もあるためあまり見学というほど中は見ることができなかったが、

それでも彼はそこに応募することに決めた。


そこから彼は驚くほどトントン拍子に進んでいくことになる。


履歴書を普段の倍くらい丁寧に書いて応募し、

ガチガチに緊張しながら面接を受け、しかし意外とあっさりと受かったのである。

就労支援の期間の終わるちょうど2年ぴったりくらいのタイミングであった。


入社という時期ではない冬。

彼は今も働かせてもらっている非常勤の公務員となった。


非常勤とはいえ公務員。規則は多々ありここでは書けないこともあるが、

それ以外はわりと自由な職場であった。

国の機関なのでもっと堅苦しい場所だと彼は思っていたからだ。

やることは再び事務補助仕事。


今でも働けているとはいえ、ここから今に至るまでにも苦労はあった。

通勤などは前職と同じく通いやすい場所ではあったので問題はなかったが、

また次々と問題が出てくる。


障害者雇用されるにあたって、一番重要とされているのが勤怠である。

彼もよく体調を崩す方なのでこれは気を付けたいと思っていた。

しかしそうそう、うまくいかない現実。


彼は夏から秋にかけての季節の変わり目に弱いことが分かった。

季節の変わり目に弱い人は多いと思うが、

彼はその中でも夏から秋がダメだったらしい。


入社して1年経たない頃、彼は体調をよく崩していた。

そして2年目も。しかし物凄くありがたいことに、

今の職場は彼を見捨てないでいてくれた。


それどころか2年目に彼を担当してくれた上司は、厳しい面もあったが、

彼の体調をよく心配してくれた。

彼のために彼を職場の最寄りの駅まで迎えに来てくれたこともあった。

その上司や就労支援のスタッフの協力もあり彼は2年目3年目も

乗り越えることができた。


そして現在。今の職場になって早くも5年目。

まだまだ勤怠が完璧とは言えないが、彼は順調に働いている。



少し余談兼アドバイスになるが、ハローワークや就労移行支援など、

世の中には障害者にも働くための準備できる場所は多数ある。

これを読んだ障害者で働きたい方々もそれをぜひうまく活用してほしい。



そして今、彼は仕事のない日に小説などを書いている。

その理由はいくつかあるが、

一つ目は、最近になり物書きを目指し始めたから。

ライトノベルから一般小説、エッセイ、

彼が書けるものをいろいろ書いてみて挑戦しようと思ったからだ。


二つ目は名を残したかったから。

一人の障害者として消えたくなく、名を残そうと考えた時、

書いていけるものがあると彼が思ったから。

物凄く有名じゃなくてもいい。誰かの頭に残る人物になりたいと思ったから。


三つ目は、少し俗的な理由になるが、お金になると思ったから。

賞金の有無に関わらず公募に出してはいるが、

賞金があるとなお嬉しいと考えてはいるようだ。


休みに余裕があるときは書き続けると思う。


これから先、非常勤の仕事だけでは生活できないだろう。

そもそも非常勤は有期雇用である。今はまだ彼を雇ってくれているが、

これから先も絶対に雇ってくれるとは限らない。


彼もいい歳になった。

今の職場を失ったら、次の職場を見つけるのは難しいだろう。

今はまだ実家もあり親も元気だが彼より先に亡くなるのは間違いない。


その時、

小説などを書いていたことが彼にとってプラスになっていることを願いたい。

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