旅客団長と公文図書館司書

「お前の理想のタイプはどんな女だ?」


 旅立とうと足を踏み出したのと同時に、背後で書類片手にずっと黙していた悪友が口を開いた。


「知るか!」


 それが、今正に異界の門をくぐろうという者に対して告げる言葉か?

 時折こういう訳の分からない突飛な質問をしてくる男に、俺はしばしば混乱させられる。


「お前が人間界に固執するのは、ねんごろな女でも出来たからだと思っていたんだがな。違うのか?」

「んなわけねぇだろ! 調査のためだ、馬鹿ヤロー!」


 そう答えつつも、悪友に問われた言葉が頭の中をグルグルと回るのを自覚した。


 それで、なのかも知れない。


 異界へと吸い込まれながら、長髪の女性がふと脳裏を過ぎったのは――。

 

✽+†+✽


 全身を圧迫されるような息苦しさに身をよじる。苦し紛れに伸ばした腕がたてた、かそけき衣擦れの音に、意識が急速に浮上した。


「目が覚めたか?」


 薄っすらと室内を照らす明かりを背にして、低く通る声が渡る。


 まだ、どことなくしゃがかかった頭で視線を巡らせると、窓を背にして悪友が立っていた。


「バルベリス? 何でお前がここに?」

 確認するようにその名をつぶやくと、眼前の男が不愉快げに眉間に皺を寄せたのが分かった。


「サルガタナス、お前、自分がどういう状況にあるか、分かっているのか?」


 その言葉に、暗闇でも物を見通せる目で周囲を見渡せば、ここが自室の寝台の上であることが分かる。


「あれ? ……俺、確か……」


 ついさっき、人間界に向けて旅立ったはずだ。なのに目の前には先ほど別れたばかりの同胞の姿。

 何故だ?


「お前のやってる実験だがな、私にはお前が自分の身を危険にさらしてまでやる価値があるようには思えんのだが」


 俺の疑問を知ってか知らずか、バルベリスが棘のある口調で言い放つ。


 よく分からないが、どうやら俺はこいつに迷惑をかけてしまったらしい。


「あ~、えっと、その……申し訳ないんだけど……もうちょっと分かりやすく説明してくんねぇ?」


 このセリフが友をさらに激昂げっこうさせるだろうことは分かっていたけれど、とりあえず何があったのかを知るまでは、次のリアクションが取り辛い。


 案の定バルベリスの形良い眉尻が、一瞬ピクリと上がったのが分かった。

 普段から“地獄の公文図書館”なる魔界一大きな書庫の館長というインテリな職務を任されている彼は、基本的に感情を表に出さない。


 まばゆいばかりのブロンドと、それに負けないぐらい整った顔立ち。そこに載せられた銀縁の丸眼鏡のせいで、ポーカーフェースにさらに拍車がかかっている。


 自分とは真逆な彼の性格を知らないわけではない俺は、バルベリスの顔に一瞬でも表情が浮かんだことに冷や汗をかいた。


「お前、今回の実験で人間界あちら側の出口として一体どこを選んだ?」


 あ~、実験ね。

 今回は……確か、そう、山奥にある湖を選んだはずだ。


 なるべく人間界に影響が現れないよう俺たち魔族があちら側に転移するには、一体どういう場所が最適なのか?


 これが、今俺がやっている実験の趣旨だ。


 バルベリスに“公文図書館長”という役職があるように、俺にだって“旅客団長”という職務がある。


 要するに、魔界の者が人間界におもむく際の道を開くのが俺の仕事だ。


 俺の手助けなくして悪魔は人間界に行くことは出来ないし、また、逆にこちら側へ戻ってくることも不可能だ。


 理由は単純明快。

 統率なしに行き来することは、リスクが高すぎるのだ。


 それはこちら側――即ち魔界側――のリスクではなく、非力な者達が住む人間界のほうにとって、の話ではあったが。


「湖、だったと思うけど……?」


 記憶を手繰り寄せてそう言うと、バルベリスがあからさまに溜め息をつく。


「お前のその頭は自分が泳げるかどうかの判断も出来なかったのか? それとも向こうへ出たら魔族としての能力がなくなることを失念していたか?」


 俺はあちら側に出た途端、溺れたのだと友は語った。


 結局回復してからもバルベリスからの許可が下りず、俺は実験を再開することが出来ずにいた。


 バルベリスは公文図書館で沢山の書物とともに、ありとあらゆる書類の管理も執り仕切っている。


 その文書の中には、当然俺が作る人間界へ行く者のリストもあるのだ。


「この一枚は却下だな」

 バルベリスに、持ち込んだ書類をにべもなく突き返されてしまっては、どうしようもない。


 彼の決裁印がない書類は、公的効力を持たない。

 つまりは彼の許可なくして魔界を旅立つことは、いくら旅客団長の俺が許可したところで不可能だとも言えるわけで。


「んな意地わりぃこと言うなよ。俺の実験だって立派な仕事なんだぜ?」


 実際、そうなのだ。


 魔族があちらへ出向けば、その周囲に必ず異変が起こる。

 それは大抵の場合天災だったりするのだが、自然に起こるものとは規模が違うのだ。


 悪魔が一人人間界へ移動すれば、十数単位であちら側の命が失われることを俺は知っている。


 無益な殺生は余り嬉しくない。


 何度そう掛け合っても、バルベリスは聞く耳を持たなかった。


 俺以外の者達が人間界へ旅立つのは許すくせに、どうやら俺が行くことは許せないらしい。


 どんなに巧みに他の者たちのリストへ自分のそれを混ぜても、バルベリスは的確に俺用の申請書だけを弾いて戻す。


 そんなこんなで二ヶ月余りの歳月が流れた。


 いい加減俺だって我慢の限界だ。


 未だに分からず仕舞いになっている、「水中へ道を開いた場合の影響」だって追調査しておかねばならないのだ。


「今日こそは絶対行かせてもらうからな!」


 ここ最近は当然のごとく他の者達の出立しゅたつリストに紛れ込ませていた俺用の書類。

 今日は堂々と一番上に載せてバルベリスに叩きつけてやった。


「ほぉ。やっと姑息な手を使わず直談判に来たか」

 眼鏡の奥で、バルベリスの涼やかな目が一瞬笑ったように感じられた。

 そうして、信じられないことにあっさり決裁印が押されたのだ。

「え? これ……」

「行きたくないのか?」

 余りにスムーズに許可が下りたので、正直拍子抜けしてしまった。

 一瞬何が起こったのか理解出来ずに立ち尽くした俺に、バルベリスが苦笑混じりにそう返す。


「ま、まさか! 一体どんだけ足止め食わされたと思ってるんだよ!?」

 勢い込んでそうまくし立てた俺に、

「ただし、出現先は私が決めさせてもらう。前みたいな尻拭いはごめんだからな」


 冷ややかな応酬があった。

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