冤罪で処刑される聖女は、魔王を選ぶ

新 星緒

断頭台へ向かう道

 投げつけられたたまごが額に当たり、クチャリと音がした。中身がとろりと伝い落ちてくる。

 もう何個目なのか、わからない。監獄から出て市中を引き回されて歩いている間、ずっとたまごを投げつけられている。もしくは石を。


 わたしはきっと全身が血とたまごにまみれて、無様な姿をしているのだろう。履き物を許されなかった足も、手枷をつけられている手首も、皮膚が破れて肉が見えている。

 もう痛みは感じない。もしかしたら冤罪で処刑されるわたしを憐れんで、女神様が慈悲を与えてくれたのかもしれない。


 ごく普通の伯爵令嬢にすぎなかったわたしが、この国唯一の聖女となったのは八年ほど前、十二歳のときだった。

 聖女の仕事は瘴気を祈りによって浄化すること。はるか昔、この地は魔物が治める穢れ地けがれちだったそうで、今でも国中の地面から、目には見えない瘴気が漂い出している。

 けれど女神様が選んだ聖女が祈れば、大丈夫。ほかの土地と同じように暮らすことができる。


 ところが長い年月の中で、選ばれる聖女の数はどんどんと減っていき、ここ三十年ほどは常にひとりだけという。

 女神は、祈らない者、信仰のない者は聖女になれない、だから増やしたくても難しいのだと話していた。


 ひとりきりで聖女の祈りを捧げることは実に大変だ。わたしに自分のための時間はない。友人も趣味もなくし、ただただ祈るためだけに生きる。


 そんなわたしを国王は、王太子ティランの婚約者に選んだ。『国はおまえに最大限の敬意を払っている』というパフォーマンスのようだった。わたしに断る権利などなかったし、どうせいずれ破談になるだろうと思っていた。ティランはこの婚約が不満なようだったから。


 だけど、それがこんなことになるとは思ってもいなかった。


 しばらく前から、ティランがわたしの義妹キアラと親密な仲であるとの噂が出回っていた。キアラは父が再婚した女性の連れ子でわたしと同い年。積極的で我が強い。噂を知らされたときも、あの子ならば事実でしょうと納得してしまったくらいだ。


 そのうちティランとわたしの婚約は解消されると思っていたのだけれど、国王の急死によりより事態が変わった。

 突然、ティランが本物の聖女はキアラで、義姉は妹を己の欲のために利用していた偽聖女だと言い出したのだ。


 そんな馬鹿な話なんて誰も信じない。わたしはそう思っていた。


 けれど貴族も国民も、徐々にティランの言葉を信じるようになってしまった。わたしは祈りを優先してきたせいで、他人と話すことが苦手だ。だからどれほど糾弾されても、みなを納得させるような反論ができない。そしてなにより、外見。


 キアラは女神そっくりの金髪に緑の瞳の神々しい美少女で、わたしは黒髪黒瞳の、地味でどこにでもいる娘だった。

 それでもわたしに味方してくれるひとたちはいた。けれどそんなひとたち――侍女も護衛騎士も神官も、ことごとく殺されてしまった。わたしをかばったばかりに。


 もしかしたら、ずっと姿を見かけないお父様も、もう生きていないのかもしれない。


 ティランがなぜこんな暴挙にでたのか、不思議でしょうがない。キアラと結婚したいなら、そうすればいい。わざわざ彼女を『本物の聖女』に祭り上げる必要なんてないはず。それとも彼もキアラに騙されているのか。


 どちらにしろ、わたしはティランもキアラも絶対に許さない。なんの罪もない、わたしの大切なひとたちを殺したのだから。死ぬ間際まで、ふたりが地獄に落ちることを祈ってやる。


 ついに断頭台にのぼる。

 視線が高くなり、今までよりも多くの人の顔が見える。みな恐ろしい顔でわたしをののしっている。

 可哀想に。

 キアラでは浄化はできない。彼女は祈らないし、信仰心もないから。女神が次の聖女を選ぶまで、誰もが瘴気に苦しむことになる。今から国を出ようとしても、間に合わないだろう。


 飛んできたたまごが頬にあたる。

 くちゃりと割れて中味がこぼれ落ち――


 いや、落ちない。


 たまごが当たった頬のあたりから、黒いもやがゆっくりと下降してはいるけれど、これはなに?


「聖女スピカよ」

 もやから、囁くような男の声が聞こえた。

 周りがこんなにうるさいのに、どうして聞こえるのだろう。

「女神はもうおらぬ」

 違う、もやから聞こえるように感じるけれど、頭の中に直接響いているんだ。

「弱り切っていたところに余がとどめをさしてやったのよ」どこか、きいたことのあるような声でもやが言う。「どうせ余がやらなくとも、近いうちに消えただろうがな。知っているか、スピア。信じる者がいなくなったら、神は消える。人々の信仰が神を存在させているからだ」


「あなたは誰」

 口に出さず、心の中で訊いてみる。

 私の体は、乱暴な手つきでギロチンの台に横たえられる。


「かつてこの地を治めていた魔王だ。スピカよ、余を信仰し、祈りを捧げろ。復活するにはまだ力が足りないのだ。お前が余に祈りを与えてくれれば、この愚か者どもを一瞬で消すことができる」


 首の上下を板で挟まれ、固定される。


「……わたしの望みはただひとつ」脳裏に浮かぶ、いくつもの顔。「大切なひとたちを殺せと命じた者に、永遠の苦しみを与えてほしい」


「簡単なことよ。さあ、祈るがいい、スピカ」

魔王あなたを信仰するわ! わたしのすべての祈りを魔王に捧げる!」


 そう叫んだ瞬間に、刃を固定しているロープが切られる音がした。

 黒いもやが急激に膨らみ、わたしもギロチンも呑み込まれる。


 なにが起きているのかわからない。けれど体が楽になったのだけは感じた。


 すぐにもやが晴れる。

 わたしはまだ断頭台の上にいた。ただし、ギロチンは消え失せ、私は自分の足で立っている。みなが呆然とわたしを見ている。

 いや、わたしの後ろだ。

 振り返る。

 そこには黒く巨大な竜がいた。


『感謝するぞ、人間ども』

 雷鳴のような声が辺りに響く。

『人類最後の聖女を魔王の私に、贄として余に与えてくれるとは、気前の良いことよ。この地は再び余の国土として栄えよう』


 竜がばさりと翼を動かした。そこから黒いもやが大量に生じる。

「瘴気だ!」

 誰かが叫んだ言葉が引き金となって、群衆が悲鳴を上げて逃げ惑う。倒れ、踏みつけられる者も出て、さながら地獄のようだ。

 断頭台の近くに設えられた特等席では、蒼白になったティランとキアラが地面にへたりこんでいる。


 竜がわたしを抱え上げた。

「あやつらはスピカの望みどおりにするが」声がもとのものに戻っている。「残酷だからな。見せたくはない。いいか」


「……どうして?」

「だから残酷――」

「そうではなくて、なぜわたしに優しい配慮をしてくださるのですか」

「……城へ行こうか」


 竜は質問には答えずに、ばさりと羽ばたく。わたしはその腕に抱えられたまま空中に浮かび上がった。



 ◇◇



 城に着くころには、空は夜のように暗くなっていた。

 けれどそれ以外に変化はないように見える。

 竜は口から吐いた突風で窓を破壊して大広間に入ると、


「これからはこの城は余の城、魔王城だ」と宣言をした。

「人々はどうなるのですか」

「死にはせぬ。以前より息苦しく、病がちになり、二度と楽しい嬉しいといった感情を持つことはできなくなるがな。そうして、少しずつ魔物になるのだ。姿はひと型には留まるから、案ずるな」


 竜から床に降ろされる。鏡に映った自分の姿を見て、驚く。いつの間にか、黒いドレスを着ている。手を見れば、傷はひとつもない。そういえば生卵でべたべただったはずの顔もすっきりしている。それに――


 鏡に近寄って、よく見る。黒かった瞳が血のような赤色に変わっていた。


 竜を見る。

「この目は」

「余の眷属の証だ。信仰すると誓ったから、魂に余を刻んでおいた。この地でもスピカは今までと変わらず、不自由なく暮らせる」

「ありがとうございます。では、これからわたしはなにをすればよいのでしょう。お祈りをすればいいですか」

「うむ、それもある。――そうせかすな」

「わたしはなにもせかしてはおりませんが」


 竜が天を見上げた。黒いもやが床から湧き上がる。

 次の瞬間、カッと強い光が爆発し、思わず目をつむる。


 もう大丈夫だろうかと、恐る恐る目を開くと竜のいたところには、殺されたはずのわたしの護衛騎士がいた。


「アベル! どうして!」

 彼に駆け寄る。

 アベルは確かに死んだはず。わたしの目の前で、五人の騎士に剣で胸を貫かれた。

 けれど、彼も瞳がわたしと同じように赤い。


「スピカ様。このような形でしかお助けできなかったことを、お許しください」

 彼の声を聞いて、ハッとした。魔王の声は彼のものだ。

「こやつが強い負の感情をまき散らしながら、『誰でもいいから助けろ』と願ったから、余は復活できたのだ」

 アベルが魔王の口調で話す。


「どういうこと?」

「体を借りたのよ。余の体は失われてしまったからな。こやつはお前を助けたい、余は完全復活のために聖女の信仰がほしい。利害は一致」

「そういうことです」アベルがアベルの表情と口調で言う。「俺は魔王であり俺でもあります」

「そのとおり。いずれ完璧に融合する」今度は魔王の口調。

「なんだっていいわ。あなたが生きているのなら!」


 ずっと彼を好きだった。

 実を言えば、彼が殺されたときにわたしは女神を呪った。

 女神が本当に消えたというのなら、わたしのせいもあるだろう。


「スピカ様」とアベルが言う。「魔王はあなたを自分の花嫁にするつもりです」

「まあ」

 それってアベルの花嫁でもあるわよね。

 わたしは嬉しいけれど、アベルはどうなのかしら。


「納得できません」とアベル。「ずっとあなたをお慕いしていました。スピカ様、の妻になってください」


 言われた言葉に胸がつまる。嬉しすぎて言葉が出ない。

 かわりに涙ばかりが流れ出る。


「スピカ様?」

 アベルの無骨な指が頬を伝う涙をすくう。

「……わたしも、よ。アベル。あなたを好き」

 アベルが驚いたように目を瞠る。

「信じられない。夢みたいだな」

「本当ね、生涯この気持ちは伝えられないものだと思っていたわ」


 アベルに抱き寄せられてキスをする。

 彼の体は温かく、唇は柔らかい。

 間違いなく、アベルは生きているのだわ!


 たとえ彼が魔王になろうとも。

 たとえ私が魔王の眷属になろうとも。


 ああ。

 わたしは今、とても幸せだわ。

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