第12話 冒険者と刺客
暗澹とした森の中で、私はギルが居ないことに気付いた。夜の始まりを一足早く感じさせる黒は際限なく闇へと誘う。
――ギルが迷子なんて。騎士としての役割を果たせないとは、まったく情けないギルですわ。
私は些か不快になりつつ、森を進んでいくことしかできない。不便なほどに未舗装の道なき道を馬車から拝借した角灯で足元を照らしながら歩く。
極まる深更に一抹の不安が誇大し募っていく。
辺りが完全な闇に至ったとき、私は周囲の未知に慄然とした。
もし学園にいた魔物が襲ってきたらどうなるのか、それ相応の何かが今もこちらを窺っているのではないか。例えば、この木の上に。あの岩の影に。そして、私の後ろに。
そんな妄想めいた思考に畏怖し、いつしか私は駆け出していた。
なにかが羽ばたく音ですら、今では過敏に心臓が動悸する。およそ恐慌しながら彷徨い続けること一刻。感情の昂りによる感覚の乖離を省けば寸刻だろうか。
ふと、一点の明かりが灯っているのが見えた。
それがなんなのか分からないまま私は蝶のように光へ誘われた。
「わぁああああ! 食われるー‼」
そこには、私を見て驚いた一人の女性がいた。
ローブに大きい帽子というまさに魔法使いの様相。桃色の長い髪がくるくると流れ、可愛らしいお姉さんといった印象がある。
そして、私を見るなり仰々しく安堵した。
「あら、可愛い女の子が一人で森に!」
「あの、あなたはここで何をしてらしたの?」
唐突に驚かせてしまって申し訳ないが、私が置かれている状況は極めてマズイ。だからこそ彼女に何とかしてくれという思いで尋ねた。
「冒険者としての――」
「――マリ、大丈夫か! って、人間じゃないか」
「ユニコーンじゃなくてこんな令嬢が釣れるなんて……」
騒ぎを聞きつけたのか、灌木が茂る影から出てきた二人の男は冒険者としての仲間らしく、私をみて露骨に驚いていた。
そんな会話から、彼らの関係性が漠然と感じ取れた。剣を腰に差しているのがレオニスというこのパーティのリーダー的存在だろう。眼鏡を掛けた細身の彼がハイル。私には敬語で話してくるため、貴族の令嬢だと思われているのだろう。それだけで賢さを感じさせる。
そして、魔法使いの彼女はマリというらしい。話ぶりから森にいる目的は私と同じらしい。
これは偶然にも好都合だった。冒険者であればそれなりの実力はある筈で、つまり交渉次第で味方にできるのだ。例えば、クエスト報酬以上の金額を提示して角を譲ってもらえばいい。それは金があれば造作もないことであり、私なら誰よりも適任だろう。なかば金の暴力めいた行為だが、金のために命を賭けられる冒険者にはめっぽう利くように思われる。
しかし、冒険者は野蛮人がなるような職種。私が皇族、または貴族の令嬢などと分かった瞬間なにをするのか分からない。それも金のためだろうが、今ここでなんとか言いくるめなければ身の安全が保障されないのだ。
そんな賭けに内心乗り気にはなれないが、私なら平民の数人ごとき巧く口車に乗せることなど造作もない。皇女である私の特技は口しかないのだから、やってやろうじゃないか。
ハイルという彼は既に勘付いているようで、早々に話を付けるべきだと決心する。
そう意気込んで息を吸った時。
「危ないっ!」
マリが私の背後を見てそう叫んだ。
「――――っ!」
――――キーンという高い金属音が夜の森に響いた。
そこには、
「盗賊か? こんな所で何の用だよ?」
レオニスと剣での鍔迫り合いをする――獣人。
一目でそう分かる頭のてっぺんから生える大きな耳、モフモフの尻尾、そして特徴的な狩人の瞳。服装は盗賊とは思えないほど整然としており、暗殺者よりも実践的な印象を抱かせた。
――きっと、私を殺しにいらっしゃったのでしょう?
あの時のように、否、あの時よりも強大な刺客を。
「…………」
獣人は私を見据えている。その瞳は純粋な憎悪で染まっていた。この世の全てを平等に憎むような、まるで単純な殺意のように私は直感した。
「何とか言ったらどうだ?」
「黙れ……」
敵は剣を薙ぎ払い、レオニスを無視してこちらへ迫る。
私は唖然と動作停止し、マリの後ろに隠された。
「――――っ!」
「無視するほどの手合いかよ、俺は」
彼の蹴りによって後退した獣人は正面を見据えた。
それは、明らかな警戒。私へたどり着くにはまず彼に勝たなくてはいけないのだと理解したのか、長い刀を厳かに構え直した。
「獣人は初めて見るが、血の気が荒いようだなぁ?」
「お前ら人間ごときが獣人を語るな、下衆がぁ‼」
「人種に貴賤はないだろう? ワンちゃん」
「ほざけ! 細切れにしてやるっ!」
「やってみろよ!」
右手を軽く上げてから剣を正中線に構えるレオニス。
そのまなざしは真剣そのものだ。隙あらば両断すると暗に告げるように、殺伐と敵を見据える。
息が詰まる一瞬の静寂の後、ちかっと飛び込んだ獣人を華麗に避ける彼。
その先には私が。
――え?
「フレイムレッド――」
マリによる火系統の魔法が毛むくじゃらの尻尾を掠めた。
広範囲に炎をまき散らすという高火力かつ圧倒的な津波めいた魔法。それを高く上空に跳び退いて躱した刺客はそのまま彼女に剣を――
「フリーズ……」
影が薄かった、もとい、そう振舞って誘ったのだろう。ハイルという彼はなかなか頭が切れる策士といったところか。
レオニスはそんな彼を一瞥した後に適切な場所へとさりげなく誘導したのだ。そして、剣を構える癖のように見せながら、一連の連携を実行させる合図を送った。
その結果、ハイルが獣人の接触に成功。恐らく、接触によって発動するスキルだろう。突然動かなくなった刺客を見るに、動きを止める効果があるのだろうか。
「なんて――――凄い」
終始唖然としていた私は瞠目して舌を巻いた。
戦闘をこの目で見る機会など人生であるかないかというほどの事案だ。例えば、オカマと暗殺ボーイ、ギルと猿の魔物などは極めて珍事であって私も相当驚いたものだ。
しかし、これは鮮やかな戦術だ。流水の如く三者三様が疑念を微塵も抱かせない連携で誘ったのだ。大方、事前によく練られた作戦が無数にあり、どんな状況でも斯様な連携で切り抜けられるのだろう。
実力はレオニスと互角か、身体能力はそれ以上だと予測できた獣人を、その場数と信頼であっさり無力化したのは見事というほかない。
「くそっ! 何故動かないんだ……」
獣人は無念そうに顔を歪める。絶望というよりは焦りと混乱が見える。
そこに、とどめを刺そうと彼は剣を高く掲げた。
その躊躇いもない動作を見て、
「ま、まってください! 何も殺なくたっていいじゃありませんの⁉」
よせばいいのに、私は彼の前に飛び出してしまった。
本当に馬鹿だと自分でも思う。
自らを殺しに来た刺客を庇うなんて理性的ではないから。
「お嬢さん、それはできないことです。この森に敵の仲間が潜んでいた場合、このレベルの刺客が数人いるだけで貴方を守れる保証がなくなります。どうか、ご理解ください」
ハイルは仰々しい敬語を使って私を説き伏せた。
解っている、頭では分かっている。そんな正論は。
「殺せよ! ニンゲンッ‼」
「ああ、望みに応えてやるよ‼」
だけど、彼がここで死ぬのは余りにも――惜しい。
「……なにを、している?」
「獣人はこうして抱きしめてあげると落ち着くと聞きましたわ」
それは、本で知った知識。私は授業の合間によく本を読んでいた。完全なる暇潰しであるが、ひと際目を引いたのが人間種であって人間ではない者たちだった。エルフやドワーフなどは勿論、リザードマンや人型の魔族、そして獣人など。彼らに一度でもいいので会ってみたいと心底願ったが、魔族以外は大体絶滅に瀕しているらしく、会えないものだと諦観した苦い思い出があった。
「……なぜ知っている」
「わたくし、獣人族の方に一度お会いしてみたいと思っていましたのよ」
そう、本当に会いたかった。例えば、その耳はどうなっているのか、尻尾の付け根はどんな風に生えているのか、身体能力はどの程度なのか。
こんな稀有で貴重な者を殺すとは、本当に分かっていない。その価値を、その素晴らしさを。
「獣人が嫌いじゃないのか?」
その問いには、もはや憎悪などは無かった。ただの純粋な疑問が口から洩れたように、穢れのない良い声だった。
「ええ、貴方のような人なら寧ろ好感を持てますわ!」
私が笑顔を見せると、彼はバツが悪そうに目を背けた。
「レオニス、時間が……」
その言葉を彼は手で差し止めた。
なんとなく伝わったのだろうか。わたくしの思考と彼の価値を。
「名前、は……」
「クリスですわ! あなたは?」
「……ベスティア」
そう言って倒れるように私へ体重を乗せる、それすなわち停止が解かれたということ。
だが、もはや彼には殺気がない。私は安心して体を支えた。
そして、ベスティアは一瞬にして私のもとから去った。目的など放棄して、彼は木を蹴り空中へ飛翔して姿を闇へと消していく。
最後に見えた表情が微笑んでいるように思えたのは私の勘違いではないといいな、なんて思う自分がいた。
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