第03章『青と橙』

第07話

 一月二十二日、火曜日。

 希未はブライダルサロンで、午前十一時に内覧客を迎えた。


「いらっしゃいませ天羽様、澄川様。本日はよろしくお願いします」

「ああ、頼む」

「お世話になります。楽しみです」


 天羽晶と澄川姫奈の『両新婦』だった。

 このホテルでは同性婚を扱う場合、それぞれの苗字で呼ぶことになった。本人達の希望があれば別だが、ひとまずこの国の法に則り――改姓が出来ない前提だ。それらの規則を部署内で早急に共有し、今日を迎えた。


 希未はふたりを連れ、ホテル内を順に案内した。

 いつも以上に熱が入っているが、内容はいつもの内覧と同じだ。ドレスサロンでウェディングドレスとカラードレスを眺めた後、控室に向かう。そして、階を跨ぐことなく控室から移動可能だと、導線を強調しながら教会へと向かった。

 式当日のイメージを膨らませて貰うことを、最も意識していた。


「これ本物か? 建物の中に教会があるなんて、凄いな」

「そうですね。それっぽいのは見てきましたけど……ちゃんとしたのは初めてですね」


 このホテル一番の目玉に、ふたりは驚いていた。

 希未は誇らしげな表情で、中へと案内した。


「八メートルの天井は開放感があります。パイプオルガンや聖歌隊の音響も良いです。バージンロードは十一メートルで、トレーンのドレスやロングベールが映えます。それに……長い分、ゲストからの祝福も沢山貰えますよ」


 もはや営業での常套句となっているが、教会の魅力を端的に表した内容だ。あとは当人たちに雰囲気を感じて貰う他ない。

 晶と姫奈は顔を見合わせた後、バージンロードをゆっくりと歩いて行った。


「ゴテゴテした所よりは、シンプルな方がいいですね」

「造りがしっかりしてるから、そう感じるんだよ。私も悪くないと思うぞ。なんていうか……ちょうどいい感じで」


 希未には、純白のドレスを着たふたりの後ろ姿が、はっきりと視えた。希望と手応えが重なった結果だ。

 女性ふたりだが、目線も会話の内容も他のカップルと何ら変わらない。希未は、ふたりが恋人以上の関係なのだと実感すると同時、幸せを支えたいと強く願った。

 式だけと聞いていても、披露宴会場も見て回った。高砂席でのコース料理の試食も、従来の内覧コースに含まれている。豪華で美味しかったと、ふたりは満足だった。


 最後に、フラワーサロンへと向かった。

 花についても、打ち合わせで決めるべきことが沢山ある。希未としては、ひとまずブーケのイメージを掴んで貰いたい。


「おっ。この前の」

「遠坂さんと一緒にいらした方ですね」

「はい。成海と申します。先日は美味しいコーヒーを、ありがとうございました」


 エプロン姿の成海志乃が、にこやかに迎えてくれた。

 先日、一緒にカフェへ訪れたことを、ふたりは覚えているようだった。


「とりあえず――ブーケはそれぞれが持つのか、それともふたりでひとつを持つのか、今の時点でお決めになられていますか?」


 志乃が訊ねると、ふたりは顔を合わせて悩んだ。これまで考えたことが無かったのだろう。

 同性婚にあたり、希未の疑問でもあった。事前に志乃に訊ねたところ、彼女の見解としてはどちらが正しいわけではないらしい。本人達にスタイルを任せることになった。


「参考にして貰いたいんですけど……生花の場合、水を吸ってることもあって大体三キロぐらいの重さになります」


 志乃が制作途中のブーケを指差す。サンプルとして実際に持たせたいところだが、誰かに触らせることは依頼者に失礼だ。


「えっ、そんなにですか!? 晶さん、持てないじゃないですか」

「……お前、私のこと何だと思ってるんだ」


 晶が姫奈に呆れる。

 持てないことはないだろうが、小柄な晶では確かに大変そうだと、希未も思った。もっとも希未の経験上、ほとんどの新婦がブーケの重さに苦労しているが。


「というわけで、ひとつのブーケをおふたりで持つのが、私はオススメです」

「協力する感じがあって、あたしもそれが良いと思いますよ」


 そのような象徴にもなり得ると、希未も賛同した。


「ちなみにだが……生花以外に、造花の選択肢もあるのか? 造花なら、まだ軽いんじゃないか?」


 晶は生花を嫌がっているのではない。あくまで参考に訊ねていると、希未は意図を察した。

 志乃が、サロン入り口に飾られていたドーム状のガラスを持ってきた。中には小さな花束が活けられている。


「こちら、使用後のブーケの一部を特殊なドライフラワーにしたサンプルです。押し花への加工も可能です」


 ふたりが珍しそうにガラスを眺めた後、志乃は壁に掛けてある額縁の押し花を指さした。


「アフターブーケと呼ばれているんですけど……生花だと、メモリアルアイテムとして残すことが出来ます」


 造花のブーケの用意することも可能ですがこのようには出来ませんと、志乃は付け足した。

 ドライフラワーも押し花も、一般的に約三十年は保存可能だとされている。どちらも五万円前後の費用が必要になるが『一生に一度』となれば、利用する客が多い。希未の体感では、受け持った案件の約七割だ。

 晶と姫奈は頷き合った。


「なるほど。そういうことなら生花だな」

「折角なんで、記念に残しておきたいですよね」


 ふたりも例に漏れず、このサービスを前向きに考えているようだった。

 希未と同じく志乃も好感触なのか、いつもに増してにこやかな様子だった。

 ふと、部屋の奥から一冊のスケッチブックを持ってきた。

 この内覧にあたり事前に軽い打合せをしていたが、スケッチブックを用いて何かをすると、希未は聞いていない。なんだか嫌な予感がした。


「差し出がましい真似を、お許しください。おふたりの持つブーケをイメージしてみました」


 志乃がスケッチブックをめくると、青色と橙色の花で束ねられたブーケの絵が描かれていた。色鉛筆での簡素ながらも、イメージを充分に持つことが出来る。

 希未は二色について既視感を覚えたが、思い出せない。

 それよりも――ブーケの作成には好きな色や具体的に使いたい花など、当人達の意見を参考に行われる。こちらから勝手に提示することは、通常ならば失礼にあたる。いや、当人達に僅かでもそぐわない出来ならば、この内覧自体に悪い印象が刻まれる。最悪、このホテルが選択肢から外れるリスクにもなり得た。


「めちゃめちゃ良いじゃないですか! わたし達にピッタリですよ、これ!」

「ああ。今すぐにでも持ってみたいよな」


 だが幸いにも、ふたりの感触はとても良かった。無邪気な様子の姫奈は相変わらずだが、晶の瞳が教会よりも――これまでで一番輝いていた。

 希未は胸を撫で下ろすよりも、意外に感じた。これまでのヒアリングでは、ブーケに関することは少なくとも無関心だった。それに、アイドルとしての天羽晶が花を特別好きだったという逸話も聞いたことがない。

 何にせよ、結果的には志乃の提案が功を奏した。


「これ、本当に再現できるのか?」

「はい。式が三月三十一日ということを考えても、大丈夫です」

「ほぉ……。それは楽しみだ」

「あっ、折角なんで持って帰ります? 当日までワクワクしてください」


 志乃はスケッチブックからブーケの絵が描かれたページを離すと、折りたたんで差し出した。

 まるで、このホテルが選ばれたことが確定したかのような言い草だと、希未は思った。だが、希未もまた確信していた。


「いいんですか? ありがとうございます」


 受け取った姫奈が晶と改めて眺めた後、鞄に仕舞った。

 希未の経験上、ここまで満足げな表情を見せたふたりは、必ず良い返事を聞かせてくれていたのであった。

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