37 聖エレミア祭


 ――この世界は、『世界樹』という巨大な樹木に実る一つの果実であると考えられている。



『世界樹』は、それぞれの果実せかいが大きく育つよう、常に見守っている。

 その『世界樹』の化身として語られるのが、聖エレミア。

 伝承には金髪の少年の姿で登場することが多いが、羽の生えた白馬や、金色こんじきの竜となって人々の前に現れたとも云われている。


 そして、私たちに魔法の力を授ける『精霊』。

 これは、『世界樹』に咲く花の花粉から生まれたとされている。


 つまり、聖エレミアは『精霊』たちの王。


『聖エレミア祭』は、世界の創造主にして精霊の王であるエレミア様をお祝いする、この国最大のお祭りなのだ。




 その『聖エレミア祭』を翌日に控えた今日。


 私は馬車に乗り、王都に隣接するカルミア領に向け、出発した。

 目指すは、ドロシーさんのいるあの教会。実に一ヶ月ぶりの訪問である。


 年に一度のお祭りを控え、王都は準備に勤しむ人々で賑わっていた。

 お祭りは明日から五日間。この期間は学校や多くの職場が休みとなり、みな聖歌隊の合唱や仮装パレードなどを見に街へと繰り出す。

 

 城下町の商店街にはカラフルな三角旗ガーランドが掲げられ、神と精霊と人の親和を表わす花輪や、エレミア様を象徴する十二芒星が至るところに飾られていた。

 

 そんなお祭りムードな街の景色を馬車から眺めつつ、私はぼんやりと考える。


(ドロシーさん……あれからどうしているかな)


 アルコール依存気味で、金にがめついところは変わっていないのだろうが……せっかく活気を取り戻したあの教会が、また暗く寂しい雰囲気に戻っていやしないかと、少し心配になる。


 ……否。これは、今置かれた状況から現実逃避するための、仮初の心配事だ。


 今の私には、もっと気がかりなことがあった。

 それは……



「――ジンさん……いい加減、離れてもらえませんか?」



 馬車に乗り込んで以来、私の隣にぴたりと寄り添って座り、片手で私の腰を抱き、もう一方の手で私の手をぎゅっと握るジンさんの存在、である。


 恥ずかしさに震えながら言うと、彼はキリッとした目で私を見つめ、


「嫌だ。離れない」


 キッパリと、駄々を捏ねた。

 どうやら私を心配するあまり、既に警戒モードに入っているようなのだが……

 離れるどころか握る手により力を込めるジンさんに、私はため息をつく。


「こんな出発直後から狙われるわけがないでしょう? 警戒するだけ無駄ですよ!」

「いや、作戦は既に始まっている。一秒たりとも気は抜けない。手を塞いでしまってすまないが、痒いところがあれば俺が代わりに掻いてやる。遠慮なく言ってくれ」

「そんなこと頼むわけないし、そういう問題じゃないですよ!!」


 思いっきりツッコむが、ジンさんは動じない。

 嗚呼、こんな時、エミディオさんがいてくれれば止めてくれたのかもしれないが……


(……いや、あの人の場合、この状況を面白がってより悪化させるかもしれないな……)


 と、悪戯なあの笑みを思い出し、再びため息をついた。



 エミディオさんは特殊部隊の方々と教会に向かうため、今は別行動をしていた。後ほど現地で落ち合う予定である。

 

 教会に着いた後の作戦はこうだ。

 まずジンさんが私の影に入り込み、一番近い位置で護衛をする。

 エミディオさんを含む特殊部隊の方々は教会を包囲するように監視し、『選定者セドリック』が現れるまで待機。

 私はドロシーさんを訪ね、「仕事をクビになったので戻って来た。また聖女として使ってもらえないか?」と願い出る。断られる可能性はほぼないので、そのまま聖女として復職する。

 明日からのお祭り期間中に再び来訪者(とお布施)を集めるべくドロシーさんが呼び込みをするだろうから、私が戻ったという噂を聞きつけ、『選定者セドリック』が現れるのを待つ、というわけだ。


 奴が現れたとして、私にどう接触するかはわからない。

 以前のように"傭兵のセドリック"として治癒を求めに来るかもしれないし、夜いきなり現れて拉致を強行するかもしれない。最悪の場合、組織の仲間を連れて来る可能性もある。

 

 私とジンさんとエミディオさんはあらゆるパターンを想定し、綿密に作戦を練った。

 あとは、お祭りの期間中に現れることを願うばかりだ。


(……そういえば、エミディオさんの魔法の能力については、結局教えてもらえなかったな)


 と、昨日までの作戦会議を振り返りながら思う。それとなく尋ねようとしたが、のらりくらりとはぐらかされたのだ。

 何度も顔を合わせているため忘れそうになるが、エミディオさんは潜入捜査を行う隠密部隊の人間だ。自身の切り札である魔法については、簡単に教えるわけにいかないのだろう。



 何にせよ、これだけすごい人たちが万全の態勢で護ってくれるのだ。私は大船に乗ったつもりで囮になろうとしているのだが……

 私の手を握るこの人は、やはり不安で仕方ないらしい。

 きっと過去に、大事な人たちを奪われているからだろう。


 大丈夫だと安心させたくて、私が声をかけようとすると、


「……俺のせい、だな」


 その前に、ジンさんが呟く。


「俺が君に『魔法を学べ』と勧めなければ、君が『復讐』に深入りすることもなかった。そもそも、君を『協力者』に選ばなければ、こんな危険な目に遭わずに済んだ……こうなったのは、全て俺の責任だ。本当にすまない」


 そう言って、心苦しそうに目を伏せるジンさん。

 もう……この人は。

 私は笑みを浮かべ、首を横に振る。


「いいえ、むしろ逆です」

「逆……?」

「あの日、ジンさんが連れ出してくれなければ、私は組織に捕まっていました。あの時、ジンさんが魔法を学ぶよう勧めてくれなければ、私は一生自分のトラウマと向き合えないままだったでしょう。だから……本当に、ありがとうございます」


 ……そう。全ては、ジンさんに出会えたから。

 その気持ちを伝えたくて、私は彼の手を握り返す。


「ジンさん、前に言ってくれましたよね? 私のお陰で毎日笑えるようになった、って。私も同じです。ジンさんがに出会えたから、毎日が楽しくて……生まれて初めて、"自分の人生"を生きている感覚になれました」


 そして。

 深く青い、夜空のような瞳を見つめ、


「このシナリオを選んだのは私の意志であり、私の我儘です。ジンさんのせいなんかじゃありません。だから……どうか、そんな顔をしないでください」


 切なげに私を見つめる彼に、そう言った。

 

 ジンさんは、少し泣きそうな顔をすると……

 私の身体を、ぎゅっと抱き締めた。

 

 突然の抱擁に、心臓が跳ね上がる。

 馬車が揺れる音より、自分の鼓動が煩く聞こえる。


 その、ドキドキという音の合間に、

 

「……メル……俺は…………」


 ジンさんが、何かを言いかける。

 しかし、彼は途中で言葉をぐっと飲み込み、


「…………いや。やはり、今は言うべきではないな」


 そう言いながら、私の身体をそっと離した。

 何を言いかけたのか気になり、問いかけるように見上げると、彼はふっと笑って、


「……全てが片付いたら、君に伝えたいことがある。聞いてもらえるか……?」


 と、私の頬を優しく撫でた。

 彼の手の感触が、もどかしそうなその視線が、なんともくすぐったくて……どうしようもなく、胸が高鳴る。

 彼が伝えたいことが何なのか、楽しみなようで怖いような、そんな気持ちになり、


「はい……聞かせてください。全てが、終わったら」


 これからの作戦への決意を込めながら、私は、彼の瞳に真っ直ぐに答えた。




 * * * *




 早朝に王都を出発した馬車は、昼過ぎにカルミア領へ到着した。

 

 ドロシーさんの教会から少し離れた場所で馬車を降り、街中を歩く。王都と同じく、お祭りの準備に盛り上がり、華やかな飾りで彩られていた。


 たくさんの人が行き交う大通りを歩き、ジンさんと共に教会の方へ向かっていると、


「――予定通りに」


 誰かが、すれ違い様に、耳元で囁いた。


(今のは……エミディオさんの声?)

 

 慌てて振り返るが、彼の姿はない。

 呆然としていると、ジンさんが私の手を引き、


「……どうやら、あいつも無事に到着したようだな」


 そう言って、大通りを抜け、人気のない路地裏へと私を引き込んだ。

 

 狭く、薄暗い小路。

 そこは、光の溢れる賑やかな表通りとは対照的な、影の世界。

 

 その日の当たらない場所で、ジンさんは私を壁際に追い込むように手をつくと、



「……君のことは、俺が絶対に護る。常に見守っているから……君は安心して自分の役割を全うしてくれ」



 闇の中で、青い瞳を光らせながら、そう言った。

 

 いよいよだ……

 ここから、私の囮作戦が始まる。

 

 覚悟なら、とうの昔にできていた。

 私はしっかり頷くと、彼を見上げ、



「――はい。『出戻り聖女』を完璧に演じてみせますから……一番近くで見ていてください」



 自信たっぷりに、笑みを浮かべた。

 ジンさんもつられるように笑うと、


「あぁ……それは楽しみだ」


 その言葉を最後に。

 彼は、私の足元に広がる黒い影の中へと、静かに沈んでいった。

 


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