33 彼女の決意


「本当に、メルフィーナさんなのですね……でも、どうして学院ここに……?」


 

 肩で切り揃えた髪を揺らし、ファティカ様が動揺を露わにする。


 無理もない。あの日、ヒルゼンマイヤー家を追放された私と魔法学院こんなところで――それも、人気のない暗がりで再会したのだから、さぞかし混乱しているだろう。


 

 これ以上不安にさせないよう、私は笑顔に努め、説明する。


「実は今、そちらのアーウィン先生の元で秘書を務めているのです。ヒルゼンマイヤー家を出た後、いろいろありまして……」

「あっ……ほ、本当にごめんなさい! 私が傷の治療をお願いしたせいで、メルフィーナさんは父に……!」

「そんな、違います。あれは私の落ち度ですし、ファティカ様に謝罪してもらいたくて顔を見せたわけではありません」


 深々と頭を下げるファティカ様を、私は慌てて止める。

 それでも彼女は、申し訳なさそうな顔で私を見上げ、


「……私、わかっていたんです。メルフィーナさんは、ドリゼラお姉様に謂れのない罪を着せられているだけだって。でも、メルフィーナさんが父に追放を言い渡された時、私は何も言うことができなかった。怖くて……父の怒鳴り声を聞くと身体がすくんでしまって、あなたを庇うことができなかった。そのことを、ずっとずっと後悔していたんです。全ては私の弱さのせいです。本当に……本当にごめんなさい」


 そう言って、再び頭を下げる。

 その言葉を聞き、やはり罪悪感を抱かせてしまっていたのだと、胸が苦しくなる。


「……それは違います、ファティカ様」


 頭を下げたままの彼女にそっと近付き、肩に触れる。

 そして、



「――あなたも、あの家の思惑に人生を狂わされた犠牲者……そうでしょう?」



 囁くように言うと、ファティカ様はバッと顔を上げ、瞳を震わせる。


「それは……どういう……」

「あなたは、あの家の本当の娘じゃない。"孤児院から引き取られた養子"ということになっているけれど……実際は違う」

「待ってください。メルフィーナさんは……何をご存知なのですか……?」


 あからさまに呼吸を乱すファティカ様。

 私はジンさんに目配せし、核心へと踏み込むことにする。


 

「……四年前、あなたは有望な魔法の能力を持つが故に犯罪組織に拉致され、あの家に売られた……そうですね?」



 彼女を真っ直ぐに見つめ、そうただした。

 が、ファティカ様は頭を抱え、首を左右に激しく振り、


「違う……私は、養子としてあの家に引き取られた……! ドリゼラお姉様の代わりに、お家を発展させるようにと……!」

「ファティカ様、落ち着いて。もう全部知っているんです。ジンさんも……アーウィン先生も、その組織の悪行の犠牲者だから」

「え……?」


 涙を溜めた瞳で、ファティカ様はジンさんを振り返る。

 彼は、静かに頷き、


「……俺の家族は、組織に暗殺された。人身売買を告発しようとした父の口を封じるために」

「そ、そんな……!」


 錯乱するファティカ様を落ち着かせようと、私は彼女の両肩を掴み、真っ直ぐに瞳を見つめる。


「私たちは、これ以上あなたのような犠牲者を増やさないために、組織の情報を集めています。ファティカ様……組織について知っていることがあれば、教えていただけませんか?」


 お願い。どうか、届いて。

 そう祈るように、私は目を逸らさず、誠意を伝える。

 

 ファティカ様は震えながら、放心したように私を見つめ返すと……


「……やっぱり……メルフィーナさんは、すごいです」


 泣きそうな顔で笑いながら、そんなことを呟く。

 

「……私はこの四年間、お父様に……レビウスに従うことしかできませんでした。言うことを聞かなければ私を殺し、同じ孤児院の別の子供を拉致すると言われ……私が我慢すればいいのだと、日々の訓練を受けてきました」


 その言葉に、私は怒りを覚え、奥歯を噛み締める。

 レビウス……他の子供を人質に取るような脅し方をして、ファティカ様を痛め付けていたのか。本当に……本当に許せない。

 

 ファティカ様が、震えながら続ける。

 

「でも……メルフィーナさんの言う通り、この悪行を野放しにすれば、別の犠牲者が出ることは明白だった。なのに、目の前の恐怖にばかり囚われて……私は、口を閉ざし続けてきました」


 そして、その瞳に強い意志を宿し、


「メルフィーナさんは当事者ではないのに、私や他の犠牲者のため、そして新たな犠牲者を増やさないために、危険を承知でこの件を解決しようとしている。『傷付き、泣いている人がいれば放っておけない』……そんなあなたに、私はずっと憧れていました。だから、これからは私も……あなたのように、誰かを助けられる強い人間になりたい」


 そう語る目には、もう、迷いも恐れもなかった。

 ファティカ様は私とジンさんを交互に見上げ、覚悟を決めたように言う。



「……私が知っていることをお話します。私も、この件に協力させてください」



 彼女の力強い言葉に、私は安堵すると同時に、新たに緊張を覚える。

 

 ジンさんの家族を火事に見せかけ暗殺し、幼いファティカ様を拉致して売った、非道な犯罪組織……

 その詳細な情報が、いよいよ明らかになろうとしている。

 

 ジンさんも、珍しく緊張した面持ちでファティカ様の言葉を待つ。しかし……

 ファティカ様は、申し訳なさそうに眉を下げ、


「と言っても……私が拉致された時、目と耳を完全に塞がれ、ヒルゼンマイヤー家に到着するまでずっとその状態だったので、組織の拠点はおろか、実行犯の顔も声もわからないのです。具体的な情報をお伝えできず、申し訳ありません」


 と、萎縮して腰を折った。

 それを聞き、私はがっかりするどころか、組織への怒りをより強く燃やす。


「いいえ、どうか謝らないでください。視覚と聴覚を奪われた状態で拉致されるだなんて……私には想像もつかないくらいに恐ろしかったはずです。本当に……ますます許せません」

「ファティカ。君は、どこで拉致されたんだ? 可能であれば、その場所について具体的に教えてほしい」


 怒りに冷静さを失いかける私に代わり、ジンさんが尋ねる。

 そうだ。拉致された現場がわかれば、組織の足取りや拠点の手がかりが掴めるかもしれない。


 ファティカ様はジンさんに目線を移し、落ち着いた声音で答える。


「経歴上、私の出身は『ラッグルズ領内の孤児院』ということになっていますが……本当に住んでいたのは、その隣のジーランド領にある孤児院なんです。夜、寝ている時に拉致されたので、犯行現場はその孤児院です」

「孤児院にいる大人や訪問者に、不審な人物はいなかったか?」

「孤児院の先生たちはみんな良い人でしたから、不審な点は特に……ただ、訪問者の中に一人だけ、今思うと少し不思議な人がいました」

「詳しく聞かせてくれ」


 ファティカ様は記憶を辿るように宙を仰ぎ、一つずつ確認しながら、当時の状況を口にする。


「あれは、私が十三歳になったばかりの頃……孤児院に、養子にする子供を探している男性が来たんです。奥さんとの間になかなか子供を授からないから、跡継ぎとして養子を迎えたいと話していました」

「その男性のどこが『不思議』だったのですか?」

「まず、養子を迎えるにしては若いなぁと感じた点が印象的でした。それから、彼は私を含む十三歳以上の子供にばかり話しかけ、挨拶として必ず握手を求めて来たんです。人の良さそうな笑顔を常に浮かべていたので、その時は普通に受け入れたのですが……今思えば、どこか不自然でした」

「……ジンさん」


 私の頭に、一つの仮説が浮かぶ。

 そしてそれは、ジンさんも同じのようで、


「あぁ。例の、『魔法の能力を見抜く力』を持つ者かも知れない」


 言いながら、頷いた。

 ファティカ様が「え……?」と驚かれるので、私は説明する。


「組織の中には、その人がどんな魔法の能力を持っているのかを見抜くことのできる人物がいるらしいのです。もしかすると、魔法を授かった十三歳以上の子供たちに接触し、能力を探っていたのかも」

「なるほど……その方法が『握手』だった可能性がありますね」

「そうして君の『水』の力に目を付け、寝静まった夜に侵入し、拉致した、と……確かに辻褄が合う」

「……え。待ってください、ジンさん。ファティカ様の能力は『氷』ですよ?」


 きょとん、と私が言うと、ジンさんは「あぁ」と返し、

 

「そうか。君は彼女のいる授業を傍聴していないから知らないのだな。彼女の能力は、当初『氷』を生み出すものだと考えられていたが、その実態は"『水』を自在に操る"というものだったのだ。生み出した『水』を凍らせることも蒸発させることも、もちろん水のまま形を変えることもできるという、非常に優れた能力だ」

「えぇっ?! それってめちゃくちゃすごいじゃないですか!」

「ふっ。彼女は俺の講義をとても熱心に受けていたからな。彼女の力が開花したのも、俺が組んだカリキュラムの賜物だ」

「いや、ファティカ様の努力のお陰でしょう」

「……それはその通りだが、そもそも俺の指導があっての努力だろう? 賞賛するなら俺のことも褒めてくれ」

「え……アーウィン先生、なんかキャラ変わっていませんか……?」

「こっちが彼の素なんですよ、ファティカ様」


 困惑するファティカ様に、私はジト目でジンさんを見ながら言う。

 ジンさんは「んんっ」仕切り直すように咳払いし、話を戻す。


「とにかく……これで、組織がどうやって子供を攫っているかがわかったな。君がいた孤児院の名前と住所を教えてくれ。実際に行って、調べて来る」

「で、でも、私が拉致されたのはもう四年も前です。手がかりなんてもう残っていないかもしれません」

「子供を引き取るために来訪したのであれば、記名帳に名前を残している可能性がある。十中八九偽名だろうが、同じ名で近隣の孤児院を周っていたかもしれない。聞き込みをする価値はある」

「なるほど……」

「ちなみに、変装をしていた可能性もあるが、そいつはどんな見た目をしていた?」

「えっと……背はアーウィン先生より少し低くて、体型は細身だけど、腕とかは結構筋肉質で驚いた覚えがあります。髪は明るい茶色の短髪で……ごめんなさい。顔の特徴までははっきりと覚えていないです。ただ、常に笑みを張り付けたような、人当たりの良い雰囲気の、若い男でした」

「ありがとう。協力に感謝する。わかっていると思うが、このことはくれぐれも内密に。組織を捕らえ、罪が明るみになれば、自ずとヒルゼンマイヤー家も罰せられるだろうが……君は被害者として保護されるよう手筈を整えてある。この学院へも通い続けることができるから、その点は安心してくれ」


 今後についてフォローするジンさんの言葉に、ファティカ様は複雑な表情で俯く。

 彼女が当主のレビウスや義理の家族に対しどのような感情を抱いていたのかはわからないが、少なくとも罪のない使用人たちも職を失うことになる。そうしたことを思うと、きっと手放しでは喜べないのだろう。

 

 だが、迷いを見せたのはその一瞬で、彼女は再び顔を上げると真っ直ぐな目で私たちを見つめ、


「ありがとうございます。他にできることがあれば何でも仰ってください。私も、思い出したことがあればすぐにお知らせします」

「ファティカ様……」


 そして、ファティカ様は私の手をそっと取り、


「メルフィーナさん……今日、あなたにお会いできて本当に良かったです。あなたのお陰で、私は変わることができます。誰かに操られ続ける人生はもうおしまい。今まで目を逸らしていた分、私もこの件に向き合います。どうか……一緒に戦わせてください」


 そう、力強く言った。

 彼女の覚悟と誠意に、私は胸が熱くなり……


「……はい。あなたの人生を取り戻しましょう、一緒に!」


 ぎゅっと手を握り返し、頷いた。



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