7 王都へのいざない


「ま……待ってください! そんな話、聞いていません!!」



 動揺に跳ねる鼓動を抑え、私はなんとか声を絞り出す。

 

 そうだ、聞いていない。

 私を雇用する権利が、この見知らぬ青年に買い取られただなんて……!


 しかし青年は私の言葉には答えず、セドリックさんに目を向け、


「そういうことだから、その手を離してくれないか? あまり乱暴に触れてほしくない」


 低い声で、そう投げかけた。

 セドリックさんは、その鋭い瞳に射抜かれたようにビクッと身体を震わせる。

 なかなか手を離さないセドリックさんに、青年は小さく息を吐き、


「そもそも、エスコートの仕方がなっていないな。淑女レディの手は――こうして取るものだ」


 言って、空いている方の私の手を、下からスッと持ち上げるように優しく取る。そして、


「――行こう、メルフィーナ」


 とろけるような微笑を浮かべ、手を引いた。

 

 セドリックさんは諦めたのか怯んだのか、手を握る力を緩める。

 私はそのまま青年に導かれるように、懺悔室を出た。


 部屋の外にはドロシーさんがいて、トランクいっぱいに敷き詰められた紙幣にうっとりと頬擦りしていた。

 この数え切れない程の紙幣が、私の雇用権利を買い取るために青年が支払ったお金なのだろうか?


「ドロシーさん! これは一体どういうことですか?!」


 札束にキスをする彼女に、怒鳴るように尋ねる。

 すると、ドロシーさんは皺だらけの顔をニヤリと歪ませ、


「メルフィーナさん、私は気付いたのじゃ。あなたの聖なる治癒の力は、こんな小さな教会で独占すべきではないと……だからこうして、ご高名な魔法学院の先生様にあなたを託すことにしたのです」


 魔法学院の、先生? この青年が?

 そう尋ねる前に、ドロシーさんが続ける。


「これは神のお導きです。この街の人々は十分に癒されました。次なる地へ旅立つ時が来たのだと、そうあなたに伝えているのでしょう」


 とか何とかそれらしいことを言っているが、要はお布施があまり稼げなくなってきたから大金と引き換えに私を売った、ということか。


「そんな……私、この仕事けっこう気に入っていたのに……!」

「あなたの荷物はすでにまとめてあります。ささ、外に馬車を待たせていますから、早く出発しなされ!」


 いつの間にか用意していた私のトランクをずいっと押し付け、ドロシーさんが言う。

 別れを惜しむ雰囲気は微塵もない。どうやら彼女にとって、私は最初から最後まで金ヅルでしかなかったようだ。

 

 ショックで言葉を失う私をよそに、青年はにこりと笑い、爽やかに言う。


「では、シスター・ドロシー。これにて失礼」

「えぇ、ごきげんよう。あなたに精霊の導きがありますように」


 何を今さら聖職者らしい挨拶なんかしちゃって! この極悪人! 金の亡者! アルコール依存症!!

 

 ……という捨て台詞を口にする気力すらないままに。

 私は黒髪の青年に手を引かれ馬車に乗り、教会を去った。



 * * * *



「………………」


 ガタゴトと揺れる、馬車の中。

 私は、修道女の格好のまま、例の青年と向き合っていた。

 

 セドリックさんへの恐怖心と、ドロシーさんへの怒りや虚しさから逃れるように乗り込んでしまったが……

 

(これって……ぜったい危険なことに巻き込まれているよね?!)


 冷静になって考えれば、おかしな点しかなかった。

 魔法学院の教師を名乗る青年が、どうして私を大金で買う必要がある?

 本当に教師なのか?

 そもそもいつ、どうやって私のことを知った?

 何故、セドリックさんの影から現れた?

 

 もしかして……私の治癒能力を利用して、ドロシーさん以上の悪どい商売をするつもりなんじゃ……?!


 ぞぞぞっと鳥肌を立て、身体を震わす。

 すると、それに気付いたのか、青年はくすりと笑い、


「……ほれ」


 スーツの胸元から手帳を取り出し、私に差し出した。


「そんなに警戒するな。俺は歴としたウエルリリス魔法学院の教師だ。偽造じゃないぞ? じっくり見てみるといい」


 言われて、私はおずおずと手帳を受け取る。

 革製の表紙に校章と思しき刻印が押された、立派な手帳だ。

 

 中を捲って見てみると、学院の職員であることを証明するページや、図書館の入館証、実験棟への通行証などがあり、学長の承認印らしき赤い判や校章を模る金色の箔が押され、キラキラと輝いていた。

 

 そして……その全てに、同じ名が記されている。


「……ジン・アーウィン」

「俺の名だ。ジンでいい」


 私の呟きに、青年が言う。その笑みは、一瞬で警戒心を溶かされる程に魅力的だった。

 

 しかし、ここ数週間の内に経験した数々の不遇により、私の人間不信度は極限にまで高まっていた。

 手帳を返しながら、私は彼を疑り深く睨み付ける。

 

「……確かに、見た限りではきちんとした身分証のようですが、私はこれの本物がどのようなものなのか知りません。よって、あなたの安全性を保証するものとは言えません」

「はは、確かにその通りだ。しかしあいにく、今はこれくらいしか証明できるものがない。実際に学院へ来てもらえば疑いも晴れるだろう」

「学院へ……? 私って、魔法学院に連れて行かれるのですか?」

「そうだ」

「……まさか、私の高すぎる治癒力の原理を探るため、非道な人体実験を受けさせられるとか……!」


 身体をぎゅっと抱き、ガクガク震えながら言うと、青年――ジンさんは顎に手を当て、ニヤリと笑う。

 

「ふむ、それもいいな。イチ研究者として、君の能力には興味がある。あんな実験やこんな実験をして、その力の原理を解明できれば、俺はさらに出世できるだろう」

「ひぃっ……!」

「……というのは冗談だ。そのような人道に背くことはしない。俺は紳士だからな」


 と、私の反応を面白がるように肩を竦める。

 真面目なのか不真面目なのかわからない態度に、私は警戒心をより募らせる。


「ふん。あなたの中では、人をお金で買うことは非人道的ではないのですね。ご大層な紳士がいたものです」

「それについては悪かった。俺としても不本意だったんだ、こんな人身売買のような真似……俺が最も嫌う所業の一つだからな」


 と、目を伏せ、やけに低い声で言う。

 思わず「え……?」と聞き返すと、彼は顔を上げ、


「あのシスターから君を引き離すには、金が一番穏便であると判断した。だが、勘違いしないでほしい。俺は君自身を買ったわけではなく、あくまで『雇用する権利』――あの教会での仕事を辞めさせる権利を買ったのだ」


 そう、真っ直ぐに言う。

 

 私は、ますます解らなくなる。

 つまり、彼にとって私は、大金を積んでも手に入れたい働き手だということ。

 そして、その行く先は魔法学院。


 一体……


「あなたは……私に、何を望むのですか?」


 緊張に逸る鼓動が、声を震わせる。

 彼は、少し身を乗り出すと――私の目をじっと見つめ、こう言った。


 

「……メルフィーナ・フィオーレ。君に……俺の『復讐』に協力してもらいたい」

「復讐……?」

「あぁ。ヒルゼンマイヤー家をはじめとする罪深き貴族と――その駒として動く、ある組織への『復讐』だ」

 


 彼の夜色の瞳に、暗い影が宿った。



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