黒白の傭兵
ちのあきら
第1話
▪️▪️▪️
南極大陸。南極点からおよそ二〇〇km程は離れた場所。人の吐息も凍る氷点下のこの地に、見上げる程に巨大な施設が聳え立っている。
第一コロニーを本拠地とする現世界最大のコングロマリット、GAFAN社が建設した資源採掘基地だ。この基地では今や貴重となったエネルギー資源である石油や天然ガスを存分に採掘するだけでなく、大陸深くに眠った鉱物資源も回収するため、かつてない規模の基地となっている。
第三次世界大戦で汚染された大気も、この極寒の地では左程影響が見受けられない。各コロニー上空の灰色に濁った空に比べるとやや霞がかった程度で、充分な明るさを得ている。そんな空の下、今も採掘基地ではせっせと資源採掘が進み、機械の作動音と僅かな振動が氷の大地に響き渡っていた。
ジン・カザキリ(風切仁)はここ最近で見続けた基地の様子を、壁にもたれかかりながら退屈そうに眺める。黒い髪に黒い瞳と、アジア系の顔立ちは基地にいる他の人員にはない特徴だ。何よりも彼を印象付けるのは、初対面でも明確に感じ取れる程の気怠げな視線だろう。
この依頼が始まってから早三ヶ月。その間起こった小競り合いが数度で、ジンも出張ったのが二度。仕事の報酬に比べれば楽で仕方ない内容だ。襲撃などないに越した事はないが、そこはかとない違和感が胸に湧かずにはいられない。
「どうしましたか、苛立っているようですけれど」
隣に立つオリヴィア・スミスがそんなジンに問いかける。
非常に目立つ女だった。緩やかに波打つ長い金色の髪に、メリハリの効いた女性的なシルエット。左腕の無骨な機械化義手が目につくが、十人が十人美人と答えるに違いない。神秘的で柔らかな碧の視線がジンを真っ直ぐに映している。
「こんなガチガチに武装した基地と人員がいるのに、どうして俺達みたいな傭兵に合わせて依頼をかけたのか気になってな」
ジンとオリヴィアはもう二人でコンビを組んで長い。その傭兵としての期間の中で、これ程までに何も起こらない依頼は初めてだった。
二人の視線の先では、本来の基地の防衛人員らが武装して哨戒に当たっている。いずれも最新機とは言えないまでもGAFAN社製の強化外装を身に纏っており、そんじょそこらの襲撃ではお釣りが返ってくる程の防衛部隊だ。第一コロニーの軍人も若干混じっているが、大半はGAFAN社の人員だ。一企業が持てる武力としては桁外れと言っていい。加えて採掘基地の外周は、今ジン達が背にしているよりも遥かに分厚い防壁がぐるりと隙間なく囲っている。
「これだけの防衛力がありゃあ、俺達二人程度を追加でわざわざ護衛依頼をかけなくとも充分だろうに。現に俺もお前も哨戒のローテーションにすら組み込まれちゃいない」
「確かにそうですわねぇ。けれど、お仕事が楽な事に文句を言っても仕方ないのではなくて? わたくしは貴方とのんびりできるに越した事はありませんわ」
義手でジンの頬を撫でるのをジンが振り払う。
「やめろ、冷てえ。……このまま残り一週間も何もないなら俺も万々歳だがな。どうにもそうなるとは思えない。覚えてるだろ、依頼を流してきた野郎を」
「ああ、あの。何て言ったかしら、ふざけた名前を名乗ってらっしゃったわね」
「ジョン・ドゥだ。第一コロニーのエージェントとかほざいていたがどこまでが本当なのかまるでわからん」
「やたら報酬額は高かったですわよねぇ。これ以上ないくらいに怪しかったですけれど」
ころころと笑うオリヴィアを脇にジンは思い返す。
このGAFAN社の採掘基地護衛依頼は、ジン達の元にオファーという形で回ってきたものだ。
依頼人はジョン・ドゥ。昔風に言えば名無しの権兵衛という意味合いだ。ビジネススーツにサングラスで表情を隠したあの男は、ジンがこれまで歩んできた二十五年の人生の中で最上級に胡散臭い男だった。
曰く、自分は第一コロニーの上層部で働くエージェントである。GAFAN社が営む事業において、第一コロニー軍部へ依頼されている護衛依頼に欠員が発生した。腕利きで名高いお二人にその欠員分を埋めていただきたい。なお、極寒の地での長期依頼になるため、報酬は非常に高額である。
端末の電卓機能で報酬額を掲示しながら笑うジョン・ドゥは驚くほどに薄っぺらく、軽薄で、何ひとつ信用ができなかった。
普段であればジンもその場で叩き出しただろう。だがタイミングが悪かった。
「貴方の強化外装、本当に繊細ですわよねぇ。前の依頼でも酷使という程使ってはいなかったでしょうに」
「あれは実質試作機だからな。ただでさえギリギリの性能な上、作った奴が凝りすぎてメンテひとつとっても金がかかる」
「それさえなければこんな所で強化外装もなしに生身で戦闘する事にはならなかったでしょうにねぇ。まぁ、わたくしがいますから。ジン、貴方はゆるりとしてらっしゃいな」
「仮にでも依頼をサボるわけにいくか」
ジンは舌打ちをひとつ。
ジンの強化外装は前依頼でガタが来ていたが、南極の冷気でイカれて現在は完全に機能を停止している。既に分解して運搬ケースにぶち込んであるが、全くもって忌々しい。戦闘の対応に当たった時、防寒装備のみで生身のジンを見て正気を疑ってきた防衛部隊の連中の視線ははっきりと覚えている。
「くれぐれも無理はしない事ですわ。貴方を信用していないわけではありませんけれど、死なれても困りますもの」
「こんな場所で死ぬつもりは毛頭ねえよ。最も何かあるとは限らないが……」
ジンが言うなり、基地全体に警報が響き渡った。
にわかに防衛隊員達に騒然とした気配が巻き起こる。襲撃警報だ。
思わず顔に掌を当てるジン。オリヴィアはにっこりと微笑んだ。
第三次世界大戦後、既に従来の国家体制は崩壊した。現在は各地のコロニーと企業が世界に大きな影響を与えて動かしており、南極条約は形骸化、この地に眠る資源を巡る武力闘争と利権争いが続いている。
襲撃は珍しい事ではない。資源争奪のためだけでなく、それに関わった報復も頻繁に発生している。そのために採掘基地には戦闘が起こる前提で、高々と防壁が築かれていた。
「オリィ、お前は三番ゲートへ行け。俺は一番だ」
「複数方向からの同時襲撃。定石ですが、なかなか本格的ですわね」
「ここまでの規模の襲撃は久方ぶりだ、抜かるなよ」
「あら、貴方以外にわたくしをやれる者はいなくてよ。外装を準備したら手早く片付けますわ」
基地内を駆ける。空調が効いていても突き刺すような空気が頬を流れる。オリヴィアは自分の得物を取りに、ジンはそのまま一番ゲートへと別れ走る。
一番ゲート防壁上部へジンが辿り着いた時、戦闘は始まる直前だった。基地防衛隊は全員が強化外装を着用、各ゲートへ配置され、迅速に防衛に就く。走りながら防壁上から見下ろすと、氷と雪を溶かしながら、今まさに敵強化外装部隊が突貫してきていた。
基地側防壁から迎撃用砲撃の轟音が響く。強化外装のオメガイリジウム製装甲に生半可な銃撃は通用しない。当たれば着用者ごと四散する破壊力の火砲が連射される。硝煙と爆発と雪埃で基地周囲が白く染まる。しかし敵機は淀みなく散開、一、二機は爆散したものの大多数が防壁扉部分に辿り着いた。
爆音が鳴り響き、基地そのものが振動する。けたたましく警報が鳴動する。ジンは舌打ちし、急ぎ防壁扉前へと降りる。
破られた防壁扉から強烈な冷気が吹き込んできている。吹雪が入ってこないのは幸いと言えた。流石のジンも生身で吹雪の中を戦える気はしない。
既に味方機が敵機と激突していた。敵の強化外装は二種、ルスケアルージュ社製の型式と、ニコラ社製の特徴がある見た事がない型式−−最新型か。訝しむジン。ニコラ社は第一コロニーの企業だろうに。同一コロニー内で資源強奪か、怨恨での報復か。今はそこまで考えている余裕がない。
ジンは懐のホルスターから旧式の大型回転式拳銃を取り出す。リボルバーに装弾はきっちり六発。セーフティを外し、ふと腰の長包を見るが視線を外した。リスクはなるべく避けるべきだろう。
周囲をぐるりと見回し、指揮官機を探したが途中で止める。混戦になっている状況だ。傭兵として独自に応戦して構わないはずだ。
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