第3話 レイルから伝わった思惑

「嗚呼」

 鉄の巨人

 赤の印

 悲鳴

 地獄

 だとわかった瞬間

 何もかも無になる


予知夢ヨゲンジュツ


 いわゆる、夢の中で未来もしくはあらゆる世界線を見ること。

 予知夢の経験がある人が少なくないが、確実視とされる人、この世界には僅か数人いる。

 俺もその一人であるが、正体は誰にも明かされていない。

 なぜ確実視とされるのか。

 それは、あの日の悲劇を、夢で見たのだから。

 しかしながらも、己の無力さで、挽回する余地がなく、命に抗うことさえできなかった。

 もし挽回するとならば、別の世界線がある。

「予知夢」は、魔力によるコントロールできるという説があるが、いまだにそんな人がいなかったそうだ。

 今回の場合、極めて模糊で、詳細がわからないが、何か悲劇が起きるということか。

「あんな悲劇、二度見るのが御免だ、今度こそなんとかそれを回避する」


 3月2日

 あれから一か月ほどが経った。毎日のように、殿下と町中をパトロールして、っていうか、街歩きをしたのち、魔道具ギャラリーを通い続けたが、逆にメイドの仕事とかはあまりやらせてくれないって状況だった。

 魔道具の作り方とかは段々慣れてきて、魔導石との交渉も上手になった。

 人質としての生活、侮辱されないどころか、むしろ北川での坊ちゃん生活よりマシな方なんだ。

 狭盛の大雪山が雪解けに進み、桜の花びらが風とともに舞い上がっていて、いかにも新生活の証である。


「おぬし、今楽しいかい?」


 いつも通りの作業だが、窓外の景色を楽しみながらぼっとしてしまい、殿下は話をかけてきた。


「もちろんでございます。殿下のお陰でございます」

「そっか」

 殿下から突如な質問に現実から呼び戻された。

「殿下、大変失礼でございます。王都からのお手紙でございます」

「どれどれ、拝啓、我が親愛なるいも・・・」

 手紙を読んだのち、先までニコニコしていた殿下の顔色が一変に。

「師匠、ごめんね、今日は先に帰ってもいい」

「どうなさいますの、後具合が悪いのですか」

「いいえ、平気、でもちょっと用事が」

「そうですか。じゃ今日はここまでとしますか。でも殿下、もし何があったら、ご遠慮なく言ってくださいね」

「わかったのだ、では失礼するぞ」


 この手紙の内容、なんか、悪い予感がする


「こんな飯、もう飽きたのだ。部屋に帰る」

「しかし殿下、まだ食べてないのに、もう少し食べた方がいいのでは」

「うるさい」


 いつものように、殿下とともに食事をしたが、殿下は食欲がないようだ。


 その翌日、その明後日、殿下は食欲がなく、ずっと部屋に引きこもっていた。

 流石にまずいと思われたかもしれんが、マスターは一度部屋に入ることがあったが、案の定、追い出された。

「一体なんのことで、殿下が豹変になったのですか。」

「私も知りませんが、推測ですが、三日後の式典に関わるかと思います。」

「式典って、なんの式典ですが、初耳でした。」

「そうですね。明立様にはまだ話していないですね。それは、

 王都から狭盛までの鉄路の開通式典です。」

「鉄路って、あの、鉄の巨人がレイルと呼ばれた金属の棒に走っているのことですか。故郷にはないものですね。」

「しかし、王都側がこの計画に支持したものの、狭盛には反対派が大勢いる状況でした。結果的に鉄路を建設するようになったが、反鉄路もしくは反帝國のデモが途絶えないことでした。」

「えええ、そうなのですか。でも、殿下のご意向は、どっち側にいらっしゃるのでしょうか。」

「この件について存じておりませんでした。殿下は一度もお話しをされないので」


 殿下とこのレイルとの間、が宿っていた。


 でも、このままじゃ、殿下の体が長く持たないかもしれない。なんとかその状態から抜け出すのが目の前にある課題だ。

 そういえば、久々に、「テンプラ」を食いたいなあ。

 あれは超絶美味しいから、殿下はきっと機嫌を取り戻すのだろうか


 殿下の部屋の前に立ち、扉を軽く叩いた。

「殿下。……少しだけで構いません。お顔を見せていただけませんか」


 中から気配はするのに、返事はない。

 三日間もこもったまま。心配でたまらない。


「殿下。実は――どうしても食べてもらいたいものがあるのです」

 思い切って声を張る。


 しばしの沈黙ののち、低い声が返ってきた。

「……わざわざ呼び出すほどのものか?」

「はい。殿下に召し上がっていただきたくて」

「ふん……大した自信でおるな」


 かちゃり、と鍵の外れる音。

 扉がわずかに開き、殿下の姿が現れる。

 疲れの色を隠しきれない顔つきだが、鋭い眼差しは崩れていない。


「……そこまで言うなら、見てやろう」

「ありがとうございます」


 殿下は素っ気なく身を翻し、足取りも重たげに部屋を出た。

 だが、その背にどこかしらの期待の影がちらりと見えた気がした。

「実は――テンプラを作ってみたいのです」

「……テン、プラ?」

「はい。私の故郷の料理でございます。海老や野菜を衣で包み、油で揚げるもので、熱々を口に入れると、外はサクッ、中はふわっとして……とても元気が出ますよ」


 殿下はほんの僅かに顔を上げた。赤みを帯びた瞳が、興味なさそうでいて、どこか揺れたように見えた。

「……油で揚げるのか。重そうだな」

「そうでもないですよ、意外と軽いので、殿下にはきっと合うかと」


 厨房を借りると、殿下は腕を組んで入口に立ったまま、じっとこちらを見ていた。

「……本当に食わせる気か」

「はい。殿下のお口に合うように工夫してみます」


 布を結び、袖をたくし上げる。

 まずは野菜を洗い、薄く切りそろえる。茄子は扇形に、南瓜は均等な厚さに。海老は殻を外し、背わたを取って、尾先まで美しく整える。


「ずいぶん慣れているな」

「料理は、私の数少ない取り柄ですから」


 小麦粉に冷たい水を注ぎ、菜箸でさっくり混ぜる。溶きすぎず、粉のかたまりが残る程度に――衣の要は“緩さ”と“空気”だ。

 殿下が興味なさそうにしながらも、一歩近づいた気配がする。


 油鍋を温め、箸先を入れると小さな泡が立った。

「……温度を見るのに、火を入れるのか?」

「はい。衣の落ちる速さで、揚げごろがわかります」


 主人公は海老に衣をまとわせ、そっと油へ。

 じゅわ、と弾ける音が響き、殿下の眉がかすかに動いた。

 油の中で衣がふくらみ、黄金色に変わっていく。香ばしい匂いが広がり、厨房を満たした。


「……ふむ」

「ご覧ください。外はサクッと、中はふんわりと仕上がります」


 揚げたてを網に取り、余分な油を切って皿に並べる。海老、南瓜、茄子、舞茸――彩りを考えて盛り付けると、まるで小さな絵画のように美しい一皿となった。


「さあ、どうぞ。熱いうちに」

 殿下は一瞬迷ったようだったが、箸を伸ばし、海老を口に運んだ。


 サク、と音が響く。

 咀嚼の間、殿下の表情は動かない。だが嚥下した後、僅かに目を伏せた。

 素直に褒めない。けれど、次の一品へ手を伸ばすその仕草が、何よりの答えだった。

「うむ。悪くはない」

「お気に召していただけましたか!」

「だが、もう一本」

 声に、わずかだが力が戻っていた。

 俺は舞茸のテンプラを揚げながら、殿下の様子を気にしていた。

「……うむ、これはなかなかだな」

 思わず胸の中でほっと息をつく。茄子も工夫した甲斐があった。

「ありがとうございます、殿下。茄子は少し甘みを出すために工夫しました」

「……ふん、細かいことを気にするな」


 無言で食べていた殿下が、急に箸を置き、俺の顔をちらりと見る。

「なあ、おぬし、いつもこうして料理しているのか?」

「はい。暇さえあれば、研究を兼ねていろいろ作っています」

「……なるほど」

 短い返事だけど、目がほんの少し柔らかくなった気がした。


 そのとき、舞茸が箸から滑り落ち、油が少し飛んだ。

「おっと、すみません!」

 慌てて拭こうと手を伸ばすと、殿下もさっと手を出した。

「やれやれ……おぬし、手際がいいのか悪いのか」

「いや、ちょっと滑っただけです」

 しばしの間、俺たちは無言で揚げたてを口に運ぶ。

 言葉は少ないが、沈黙は重くない。

 以前より、少しだけ距離が縮まった気がした。


 最後に、殿下がぽつりと呟いた。

「……悪くはない。おぬし、案外やるものだな」

「ありがとうございます、殿下」

 硬く澄ました殿下の態度が、ほんの少しだけほぐれた――

 この小さな瞬間が、確かに俺たちの距離を縮めていることを、静かに感じた。


 その夜、殿下は久々にまともな量を食べた。

 やはり食の力は侮れない。


 だが――

 食卓の片隅で、殿下の微笑みに潜んでいた憂いの表情が、どうにも頭から離れなかった。



 式典は、新設の狭盛駅前で行われる予定だが、駅はお城には程遠く、そもそも狭盛ですらない、城外の川の向こう側に位置する。多分、反対派への配慮みたいなやつ。


「皇太子殿下が、なぜ狭盛へ」

「声がでっかいよ。他人に知られたらまずいよ」

「ああ、ごめんごめん」


 式典の準備が余儀なくされる中、使用人たちの会話が偶然に聞いた。

「なんの話ですか。ぜひ聞かせて欲しいのですが。」

「そうか、皇太子殿下が」

「ちょっと、他人には教えられないって言ったんでしょう。」

「ごめん、ごめん、何にもないよ」

「盗み聞きをするつもりはないですけど、皇太子殿下ってどんな方ですか。なぜ狭盛に来訪するのですか。」

「そっか、もう聞こえたんだ、しょうがない、君にも教えるよ。だった、絶対他人には内緒だぞ、約束?」

「約束します。」

「では、皇太子殿下は、つまり「高王」は、聖上の次子にして、次期皇帝の有力な候補である。そして、皇室の中では、数少ない魔法が操る方でもある。それで、鉄路の開通式典に参加するため、来狭するらしいよ。」

「ちょっと聞きたいのですが、和王殿下は、皇太子殿下とのご関係はどうですか」

「さあ、詳しいことは知らないけど、間違いなく帝の子孫ではある。ちなみに、和王殿下は、狭盛生まれじゃないらしい」

「ええ、そうですか。和王殿下は、どっちのご出身ですか」

「王都生まれの噂もあるが、先代和王の王位を受け継いだのは、5年前のことだった。当初、この若さで、狭盛の街に任せられるのか、結構疑われたと思うが、時が過ぎ去って、今我々狭盛の民にとって、殿下の微笑みさえあれば、どんな困難でも越えられる、みんなそう思うよ。」

「なるほど、いい情報教えてくださって感謝します。」

「大したことないさぁ、我々の会話は内緒してくればいい」

 皇太子殿下が直々来訪するとは、予想外だったけど、そんなことより、和王殿下は狭盛生まれじゃないという、結構衝撃な情報だった。和王殿下、実はお姫様ってことと、皇太子殿下との関係、ますます真相に近づくのだろうかなあ。


 3月8日

 小雨がしとしと降る中、俺は狭盛駅前に立っていた。湿った石畳に反射する街灯の光が、雨粒とともに揺れる。

 駅は城から遠く、川の向こう側にある。狭盛ですらないこの場所で式典を行うのは、反対派への配慮だろう。


 始発列車を待つ人々は、表情が半分愉快、半分憤怒といった心境でざわついている。俺もその空気に少し気圧されつつ、傘を握り直した。


 ふと、以前聞いた使用人たちの会話が頭をよぎる。

 皇太子殿下が、鉄路の開通式典のために狭盛に来る――しかも、魔法を使える数少ない皇室の人物だという。

 和王殿下は狭盛生まれではなく、王都生まれの噂もあるらしい。姫様である和王殿下と皇太子殿下の関係、少し気になるところだ。


 遠くで始発列車の汽笛が響き、濡れたプラットフォームに小さな波紋が広がる。

 人々の視線が一斉に線路の方へ向き、ざわめきが大きくなる。

 俺は雨粒を肩で弾きながら、殿下の登場に備えて自然と背筋を伸ばした。


 遠くから、低く響く重い音が近づいてきた。

 雨に濡れた石畳の上を、振動がゆっくり伝わる。

「……あれが、鉄の巨人か」

 俺は思わずつぶやいた。目の前に迫るのは、金属でできた巨大な塊。まるで生き物のように息をしている。


 車体は真っ黒で、雨に濡れると光を反射してぎらぎら光る。

 前の方から白い蒸気が立ち上り、冷たい雨に触れてふわりと霧になる。

 大きな車輪が「ゴゴゴ」と回り、地面の振動が足の裏から全身に伝わる。

 金属の擦れる音や、蒸気の吹き出す音が混ざり合い、耳が少し痛くなるくらいだ。


 車体の側面には小さな窓が並び、暗い中で作業する人影が見え隠れする。

 先頭には大きな塊がいくつも重なっていて、押し出されるような迫力がある。

 蒸気と金属の匂いが鼻を突き、熱気が冷たい空気と入り混じって、不思議な感覚を作り出す。


 俺は無意識に殿下の方を見る。

 目は大きく見開かれ、手は軽く握りしめられている。肩が小さく震え、息が浅い。

「……大きい……」

 殿下は小さくつぶやく。声はかすかに震えていた。


 鉄の巨人はゆっくりと駅の前に滑り込む。

 車輪の振動と轟音が近づくたび、周囲の空気まで揺れるようだ。

 扉が開くと、人々のざわめきが一気に大きくなった。蒸気と雨の匂い、重い金属の存在感――

 その圧倒的な迫力に、殿下は視線を下に落とし、呼吸を整えるのが精一杯のようだった。


 ――俺も横で立ちながら、この巨大な存在と、殿下の内心の緊張を同時に感じていた。

「鉄の巨人」は、ただの乗り物じゃない。街を、そして人々の心を揺さぶる、生き物のような存在だった。


 鉄の巨人の扉がゆっくり開くと、蒸気の向こうから一人の人物が現れた。

「……皇太子殿下……」

 俺は思わず息を呑む。


 高身長で漆黒のマントを羽織った殿下は、肩から腰まで流れるマントの縁に金の刺繍が施され、光を受けてきらりと輝いている。

 歩幅は一定で、軽やかにプラットフォームに降り立つその姿には、自然な威厳と自信が漂っていた。


 栗色の髪は整えられ、額の上でさえ乱れはない。

 澄んだ瞳は遠くを見つめ、鋭さと落ち着きを同時に備えている。視線は周囲を把握しつつ、緊張する和王殿下の姿も捉えていた。


 手には杖を軽く握り、腕の動きひとつでマントを整える仕草は無駄がなく、美しい。

 口元に浮かぶ微かな笑みは、群衆のざわめきの中でも自然に目を引き、圧倒的な存在感を失わない。


 石畳に触れる足音はわずかに響くのみで、周囲の雨や鉄の巨人の轟音にも負けない静かな力を感じさせる。

 その存在自体が、駅前の空気を一瞬で変えるようだった。


 俺は横で和王殿下を覗いた。

 小さく震える手、ちらりと皇太子殿下に視線を向ける眉の動き――緊張と不安が全身からにじみ出ている。


 ――鉄の巨人の轟音と蒸気の中で、皇太子殿下は静かに、しかし確かな存在感を放って立っていた。

 その姿を見つめるだけで、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。これから始まる式典の重さを、肌で感じた。


 列車の扉がゆっくりと開いた。

 外の雨音が一瞬だけ吸い込まれ、次の瞬間には、そこからただならぬ空気が流れ出してきた。俺は言葉を失い、思わず呼吸を止めていた。


 最初に目に入ったのは、深い藍色の外套に縁取られた銀の刺繍。それを纏う人物は、何も言わずとも周囲を圧するような存在感を放っていた。


 皇太子殿下――和王殿下の兄、そしてこの国において誰よりも強い立場を持つ存在。


 彼は一歩、客車から降り立った。足取りは静かだが、そのわずかな動作ひとつで周囲の空気が変わる。鋭く整った眼差しが周囲を見渡し、誰もが視線を合わせることをためらう。俺も同じだった。まるで自分が小さな塵にでもなったかのような錯覚を覚える。


 傍らにいた和王殿下が、小さく震える気配を隠そうとしていた。肩はわずかに強張り、唇は固く結ばれている。それでも兄に背を向けることはできず、ただ正面に立ち続ける。


「……兄上」

 和王殿下の声は、かすかに震えていた。


 皇太子殿下は彼女に視線を落とす。その眼差しには優しさも迷いもなかった。ただ王として当然のように、妹すら従えるべき存在として見る。


「和王」

 短く、低い声が響く。その響きに、俺は思わず背筋を伸ばしていた。


 その場にいる誰もが理解していた――兄弟であるはずなのに、公の場では絶対的な上下の関係しか存在しないことを。和王殿下がどれだけ勇敢でも、この一瞬だけは、怯えを隠しきれないのだ。

 俺は黙ったまま、その緊張の糸が張り詰めていく光景を、ただ見つめていた。


 駅前の広場には、仮設の大きな舞台が設けられていた。深紅の布が垂れ、金糸で縁取られた幕が風に揺れる。その両脇には軍楽隊が整列し、楽器を胸に抱えて息を潜めている。人々はすでに周囲を埋め尽くし、ざわめきは雨音と混じり合って重苦しい空気をつくり出していた。


 舞台の中央には玉座を思わせる椅子が置かれ、背後には皇室の紋章が掲げられている。

 列車から下りてきた皇太子殿下は、侍従に導かれるまま広場に進み、その椅子へと腰を下ろした。

 彼の一挙一動に合わせ、群衆は静まり返り、ただ息を呑む音だけが残る。


 その横に立つ和王殿下は、堂々とした兄の姿を横目で見ながら、胸の奥に冷たい緊張を抱えた。視線を合わせることすらためらわれるほどの圧に、ただ背筋を伸ばし、決められた位置に立ち続けるしかなかった。


 やがて軍楽隊の演奏が始まり、式典の開幕が告げられる。

 駅前に設けられた広場は、すでに黒山の人だかりで埋め尽くされていた。幾重にも折り重なるように並んだ群衆の頭上には、旗や花飾りがはためき、ざわめきが波のように揺れている。


「皇太子殿下だ! 皇太子殿下がお出ましだ!」


 誰かの叫びが合図となり、どっと歓声が広場を包み込んだ。手を振る者、声を張り上げる者、子どもを肩車して見せようとする者。熱気と興奮が渦を巻き、まるで広場そのものが震えているかのようだった。


 壇上に設けられた赤布の覆いをまとった舞台。その中央に、式典の司会が立ち上がる。深々と一礼したのち、張りのある声で告げた。


「皆々様、本日はこの地における記念すべき日を迎えました! 新たなる時代の象徴が、ここに姿を現すのでございます!」


 歓声はさらに大きくなり、波が打ち寄せるように響いた。


 司会は声を張り上げ続ける。

「これより、皇太子殿下ならびに和王殿下の御臨席を賜り、列車の披露を執り行います! どうか皆様、御目を凝らして、この栄光の瞬間を見届けていただきたい!」


 その言葉に合わせ、群衆は一斉にどよめき、足踏みをする者まで現れた。拍手と歓声が絶え間なく押し寄せ、空気が熱を帯びていく。


 和王殿下は皇太子の側に立ちながら、その轟きに思わず肩を縮めた。耳を打つ歓声の嵐は、祝福でありながら、どこか逃げ場のない圧迫感をもたらしていた。


 司会の声が広場に響き渡った直後、壇上の中央に皇太子殿下が静かに歩み出た。その瞬間、歓声はさらに高まり、歓喜と熱狂のうねりが四方から押し寄せる。


「皇太子殿下万歳!」

「万歳! 万歳!」


 無数の声が重なり合い、天を突き抜けるような響きとなる。


 殿下はその喧騒を受け止めるかのように、片手をゆるやかに上げられた。すると、奇妙なほど素直に、歓声は波が引くように収まり、広場に張り詰めた沈黙が広がった。


 鋭くも落ち着いた眼差しで群衆を見渡し、殿下はゆっくりと口を開かれた。


「この地に、新たな力が到来した。

 それは我らの未来を切り拓くものであり、民の希望を背負う象徴である。」


 低く響く声は、広場の隅々にまで届く。まるで風が一斉に止まり、すべての耳が殿下の言葉に縛られたかのようだった。


「諸君、よく目に焼き付けよ。

 これこそが、我が国の進むべき道の証である。」


 その宣言とともに、再び万雷の拍手と歓声が爆発した。地面が揺れるほどの轟きに包まれ、和王殿下は思わず胸を押さえる。隣に立つ兄の姿は圧倒的で、遠い存在にしか見えなかった。


 広場を揺るがす歓声の渦に、突如として異質な叫びが割り込んだ。


「帝国の鎖を受け入れるな!」

「列車は便利ではない、枷だ! 我らを縛る鉄の鎖だ!」

「北の地は、我らのものだ! 帝国のものではない!」


 反対派の群れが手に旗や板切れを振りかざし、怒声を浴びせながら押し寄せてくる。

 その言葉は刃のように鋭く、祝祭の空気を瞬時に切り裂いた。


 歓声は波紋のようにしぼみ、代わりに混乱と恐怖が広場を満たしていく。

 兵士たちが盾を掲げ、列を組んで壇上を守る。


「殿下をお守りしろ!」


 号令とともに槍の穂先が反乱の群れを突き返す。だが人々の怒号は衰えない。


 壇上の皇太子殿下は、眉一つ動かさず騒乱を見下ろしていた。

 圧倒的な威圧感を放ち、まるでこの瞬間さえ掌の内にあるかのように。

 和王殿下はその背後に控え、胸を押さえながらも足の震えを隠せない。帝国の象徴たる兄と、帝国の支配に反発する民の怒号。その狭間に立たされ、心は張り裂けそうだった。


 皇太子殿下は、背筋を伸ばし、片手を高く掲げる。

 その仕草だけで、群衆の視線は否応なく彼に吸い寄せられた。


「狭盛の民よ」


 重く、澄んだ声が、雨空を震わせる。

「いまここに現れた鉄の巨人は、ただの車ではない。これは、帝国の絆そのものだ。遠き都と、諸国とを結び、この地を孤立から救い出す力である」


 群衆のざわめきが収まり、広場に静寂が落ちる。

 反対派の旗がまだ揺れているが、声は次第に細っていく。


「帝国の旗は、束縛ではない」

 皇太子殿下の眼差しは鋭く、誰一人として逆らうことを許さぬ覇気に満ちていた。

「それは守りの証だ。狭盛はもはや辺境ではない。帝国の胸の中にあるのだ」


 人々の心を揺さぶるような響きが、濡れた石畳に伝わっていく。

 兄の言葉は、群衆を支配するだけでなく、妹である自分の心までも縛る鎖のように感じられた。

 皇太子殿下の言葉が終わった瞬間、広場を埋め尽くす民衆から、地を揺るがすような歓声が沸き上がった。


「万歳! 帝国万歳!」

「鉄の巨人よ、我らを導け!」


 嵐のような叫びが、駅前の空へ突き上がる。


 反対派が掲げていた布の旗は、その声の波にかき消され、風に打たれてたわむ。

 彼らはなお拳を掲げようとしたが、すぐに周囲の群衆の勢いに気圧され、足を後ろへと引いていく。


「帝国に鎖されるな!」と叫ぶ声も、遠くかすれていった。

 抵抗の意志が消えたわけではない。ただ、この場で抗うには、あまりにも民衆の熱が強すぎた。


 皇太子殿下は、静かにその光景を見下ろしていた。

 勝ち誇るでもなく、哀れむでもなく――ただ当然の帰結を確認するように。


 和王殿下は傍らで小さく肩をすくめ、胸の奥に冷たいものが沈むのを感じた。

 兄は声ひとつで、街を、自分を、縛りつける。

 その圧倒的な力に、幼い笑みを浮かべていた昨日の自分は、もう影も形もなかった。


 歓声の渦の中で、白い蒸気がふっと裂けた瞬間――胸の奥で、古い痛みがきしんだ。


 俺は知っている。この景色を、どこかで見た。

 いや、見たのは現実じゃない。あの“夢”だ。


 鉄の巨人。

 赤の印。

 悲鳴。

 地獄――だとわかった瞬間、何もかも無になる。


 断片が一気に蘇る。夜なのに赤かった空。濡れた石畳に広がる色。押し潰された叫び。

 そして、遠くで振り返らない誰かの背――手を伸ばしても届かないまま、夢は必ず途切れる。


 今、目の前では、列車が息を吐き、群衆は万歳を繰り返す。

 だけど俺の鼓動だけは、別のリズムを刻んでいた。


ここだ。ここから先だ――


 赤い旗が風に鳴る。

 その揺れ方が、夢と同じ軌跡を描いた気がして、思わず喉が乾いた。

 俺は無意識に和王殿下の袖口を見た。震えは、もう止まっている。

 けれど、俺の指先の震えは止まらない。


「……外れであってくれ」

 心の底で小さく呟く。

 だが予知夢は、

 いつも「外れなかった」。

 群衆の声が嵐のように続いているのに、俺の耳の奥では別の音が鳴っていた。


 ――夢の中で、何度も聞いたあの音だ。

 鉄の巨人が吐く、金属を引き裂くような轟き。

 そして、地響きと共に重なった、無数の悲鳴。


 目の前では祝福の万歳。

 だけど夢では、地獄そのものだった。

 列車の窓からこぼれ落ちる赤い光、広場を覆う濁った空気、足元を染める見たくもない色。


「赤の印」

 あの言葉が、何度も何度も胸を突き刺す。


 俺は拳を握りしめる。

 ここで見ている光景は、夢の再現か、それともほんの手前なのか。

 わからない。ただ、夢がこれまで一度も外れたことはない――それが恐ろしい。


 ちらりと隣の和王殿下を見ると、殿下の瞳もまた、群衆と兄の声のどちらにも焦点を合わせられず、揺れていた。

 俺と同じだ。未来の影を、感じ取っている。


「……来るのか」

 俺の口から零れた声は、歓声に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。


 最後の祝砲が空に響き渡り、広場を覆っていた人々の歓声も、徐々に余韻のざわめきへと変わっていった。

 列車は新設された狭盛駅に静かに停まり、白い蒸気を吐き出すだけの大きな影となる。


「これにて、鉄路開通の式典は滞りなく終了といたします!」

 司会の声が締めくくると、万歳の声が再び起こり、旗がひらめいた。


 和王殿下は壇上に立ち尽くしたまま、その歓声の渦を冷静に見渡していた。隣には皇太子殿下――兄の姿。

 人々の喝采は、彼の名と帝国への忠誠を讃える声に染まっていた。


 夕刻、雨雲は遠のき、狭盛の街を夕陽が赤く染めていた。

 その光を背に、皇太子殿下の一行が和王殿下の宮殿へ到着する。


 城門を抜け、石畳の中庭を渡ると、すでに和王殿下が自ら出迎えていた。

 小さな体で精一杯背筋を伸ばし、礼を尽くす姿は、幼さを覆い隠すための必死さがにじんでいた。


「兄上、ようこそ我が宮殿へ」

「……ああ、我が妹よ。随分と立派にしているではないか」


 兄の声は柔らかく響いたが、その眼差しは冷ややかで、まるで細部まで見透かしているようだった。


 重い扉が閉じられると、広間に残ったのは皇太子殿下、和王殿下、そして俺だけだった。

 圧迫するような静寂。石壁に反響する足音さえ、胸を締め付ける。


 皇太子の視線が、すぐさま俺に突き刺さる。

「……そなたが、北川より送られたという人質か」


「は、はいっ……明立武生にございます」

 声が震え、言葉の端が掠れる。


 皇太子は近づき、目を細めた。

「狭盛での暮らしはどうだ。苦はしておらぬか」


「い、いえ……殿下のお陰で、日々、務めを果たさせていただいております」

 心臓が喉に詰まるようで、息が浅くなる。


「ふむ。――逃げ出したいとは思わぬか?」


「そ、そんなことは……決して……」

 言い切る前に、足が震えた。俺の答えが正しいかどうか、測られている気がした。


「よい。正直に申せ。人質とは、己の意思で立つ場ではない。

 だが……それでも狭盛に在り続ける覚悟があるかどうか、余は知りたいのだ」


 俺は思わず和王殿下を見やった。

 殿下は強く唇を噛んだまま、視線で「答えろ」と促してくる。


「……覚悟、ございます」

 必死に絞り出した声は、自分でも情けないほど小さかった。


 皇太子はようやく口の端をわずかに上げた。

「よかろう。和王の傍にいる以上、その覚悟を忘れるな。――さもなくば、お前の命は風前の灯火となる」


 和王殿下は拳を握りしめていた。

 俺はただ、背筋を強張らせ、深く頭を垂れるしかなかった。


 重い沈黙の中、皇太子の視線が今度は殿下へと移った。


 俺は息を潜め、二人のあいだに流れる空気の温度が一段下がるのをはっきり感じた。


「和王。――問う。今日の反対派、誰が糸を引いた」

 兄の声は静かだが、言葉は刃だ。


 殿下は一拍置き、まぶたを伏せて答える。

「名はまだ掴めませぬ。ただ、港商会の連中と、旧来の魔法兄弟会の残り火……可能性がございます」


「可能性では足りぬ」

 皇太子は半歩近づく。「三日のうちに名を上げよ。捕縛は軽挙に流れるな。――だが、逃がすな」


 殿下の喉が小さく鳴った。

「……承知いたしました」


 兄は間を置かず、次の矢を放つ。

「鉄路の守備は脆い。曲線部、橋梁、駅頭――危うい箇所の目録を今夜中に作れ。早々、余の幕僚に渡すのだ」


「はい」


「税と関所における監査は?」

「現行では狭盛側が一次徴収、隣郡と各関所が監査……」

「改める。一次徴収は存続。ただし監査頻度を倍に。――私腹を肥やす者が出れば、我が妹よ、お前の名が汚れる」


 殿下の肩がびくりと震え、すぐ平静に戻る。

「肝に銘じます」


 兄はふと視線を細めた。

「それと、魔法。ここは例外を許された地だ。――例外は、規律に守られてこそ存在できる」


 殿下は唇をかすかに噛み、正面から受け止める。

「規律なくして繁栄なし。わかっております」


「ならば示せ」

 皇太子の声が低く沈む。

「民の前で“和王の情”ではなく、“帝国の秩序”を」


 短い沈黙。石壁が呼吸しているみたいに、音のない圧が揺れた。

 殿下はゆっくりと膝を折り、額を垂れる。

「兄上の教え、忘れませぬ」


 わずかに、兄のまぶたが動いた。柔らかい記憶の影が、刹那、瞳に掠めて消える。

「……よい」


 皇太子は踵を返しかけ、ふと思い直したように振り向いた。

「最後に。妹よ――『怖れる心』は恥ではない。恥は、怖れに名を与えず、放置することだ」


 殿下は目を上げた。黒曜石のように固い光が宿る。

「怖れに名を与え、務めで鎖します。……必ず」


 兄は頷き、俺にだけ短く視線を流す。

「明立。妹が倒れぬよう支えよ。倒れれば、お前の覚悟も倒れる」


「……はっ」


 重い扉が開き、皇太子の足音が遠ざかる。

 閉じられた瞬間、玉座の間の空気がわずかに解け、俺は初めて深く息を吐いた。


 横を見ると、和王殿下は拳を開いたり握ったりして、震えを無理やり外へ追い出していた。

 俺が声をかけようとすると、殿下の方が先に言う。


「――忙しくなる。今夜からだ」


 俺は頷き、歩き出す殿下の背を追う。

 怖れに名を与える――その言葉が、石畳の上でまだ熱を持っていた。




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