第84話 その婚約、本当に解消なんですか?

「……という事があったんだ」


 エーリックは酷く疲れた顔で述懐した。


「そうですか、オーウェン殿下がイーリヤ様に婚約破棄を……」


 片手を頬に当てウェルシェは傷ましそうに眉根を寄せた。


「それにしても、イーリヤ様と争いになってエーリック様は良くご無事でしたのね?」

「うん、本当に生きた心地がしなかったよ」


 まず最初にイーリヤの魔術でオーウェンが吹き飛んだ。比喩ではなく文字通り宙を飛んだ。


「人って飛べるんだって思わず現実逃避しちゃったよ」


 見事な滑走着地ランディングしたオーウェンはピクピク痙攣して起き上がらなくなった。それを見てエーリックはもうウェルシェに会えなくなるかもと本気で思ったらしい。


 だが、この珍事にすぐ役人と衛兵達が駆けつけ、エーリックは九死に一生を得た。当事者達は全員拘束されて王城へと連行された。


「ホント酷い目にあったよ」


 その中に巻き込まれただけのエーリックの姿も含まれていた。


「何故か僕までカオロ嬢の一派扱いされてしまったんだ」

「まあ、それは災難でしたわね」


 エーリックは二年生になってからアイリスにずっとつき纏われていた。そのせいであらぬ噂も流されアイリスと親密な関係にあったのではないかと疑われたのである。


 執事喫茶での連帯感のせいか、オーウェンや三馬鹿からも仲間意識を持たれてしまったのも仇となった。連行される時に四人がやたらとエーリックを強敵強敵ともともと呼ぶもんだからますます誤解されたのである。


「僕は無関係だと何度も訴えたんだけどね」


 全くもって不幸な男である。


「それで、昨日まで軟禁されていたんだ」

「それは……お疲れ様でございます」


 ウェルシェは何と言っていいか迷って、当たり障り無い言葉を選択した。


「それにしても頭を抱えたくなる状況ですわね」

「王妃殿下は本当に頭を抱えていたよ」


 英雄に祭り上げられ王都民から支持を得られそうな時にこの大不祥事だ。さすがのオルメリアも対処困難であろう。


「それで兄上とカオロ嬢達、それからニルゲ嬢の処罰をどうするか王妃殿下はかなり悩まれたようだよ

「それはそうでございましょう」


 明らかにオーウェンが悪いが、だからと言ってイーリヤの行為を正当防衛と認めれば王家の威信に関わる。だから、どちらも裁く必要があるわけだが、ただ罪に対して刑の重さを決定できない。


 これはイーリヤとオーウェン達の罪と罰を天秤に乗せているようなもの。その罪だけで判断してしまえば相対的な罰のバランスが悪くなるのだ。


 オーウェン達の罪を重くすれば王家が貴族から舐められるし、イーリヤの罪を重くすればニルゲ公爵が敵に回る可能性もある。だから、量刑をどうするべきか匙加減が難しい。


「それで、どのような裁定が下されたんですの?」

「まず兄上の側近達だけど貴族藉を剥奪され家を追い出されたらしい」

「まあ! そんな重い裁決でしたの!?」


 貴族が平民となってまともに暮らせるわけもなく、また貴族としての名誉まで失う。高位の貴族ほど死を賜るより辛い罰となる。


「これはニルゲ嬢とカオロ嬢も同様らしい」


 けっきょく全員が仲良く家を勘当された。更にアイリスはオーウェン達を誑かし、イーリヤを陥れようとした罪で陸の孤島のような厳しい修道院送りとなったらしい。


「本来なら死罪となってもおかしくないところだけど、昨年の『雪薔薇の女王事件』解決の立役者を処刑するのは外聞が悪いと減刑されたんだって」


 つまり、ウェルシェがアイリスの命を救ったと言っても過言ではない。が、きっとアイリスはそうは思ってないだろうなとウェルシェは推測している。


「それで問題は兄上の処罰なんだけど……」


 エーリックの表情が暗くなったので、悪い予想にウェルシェは眉を寄せた。


「まさか、オーウェン殿下はかなり重い罰を課せられたんですの?」

「いや、今は反省を促す目的で離宮に幽閉されてるよ」


 オーウェンに対しての処罰は決めるのが難しくいったん保留とされた。決まるまで軟禁されるのだそうだ。


「ただ、廃嫡だけは確定となってね」


 昨年の功績は帳消しとされ、当初の予定通りオーウェンには廃嫡が言い渡された。


「それで王太子に僕がなるよう白羽の矢が立ったんだ」

「まあ、それは……おめでとうございます……と申し上げて宜しいのでしょうか?」


 素直に祝福できずウェルシェが困り顔になり、エーリックはそれを受けて苦笑いを浮かべた。


「宜しくはないねぇ」

「やっぱり、そうですわよね」


 二人は何とも微妙な表情になる。


 さて、ここからが本題だと、エーリックは居住まいを正した。


「ここからが本題なんだけど、君との婚約が白紙になるかもしれないんだ」

「そんな!」


 最愛の婚約者の残酷な宣告に、ウェルシェの顔がさあっと血の気を失う。


「エーリック様は私をお嫌いになられたのですか!?」


 ウェルシェが両手で顔を覆ってさめざめと泣くので、エーリックは大いに慌てた。


「そ、そんなわけないよ! 僕がウェルシェを嫌いになるはずがないじゃないか!」

「本当ですの?」

「ああ、誓って」

「では、どうして婚約を解消するなど酷い事を仰るのです?」

「それは……君がグロラッハ侯爵の大事な一人娘だからさ」


 この婚約は王家から出なければならないエーリックと、娘のみで後継がいないグロラッハ侯爵の利害が一致した政略性の強いものである。


 だが、エーリックが王位を継ぐとなるとグロラッハ家の当主とは成れなくなる。それに、一人娘を王家に差し出せばグロラッハ家は跡継ぎを失くしてしまうのだ。当然、グロラッハ侯爵は、エーリックとウェルシェの婚約を認めはしないだろう。


「僕が立太子するなら君との結婚は難しくなる」


 エーリックはウェルシェと結ばれたい。

 だが、王族の血がそれを許さないのだ。


 ――これも全ては兄上が悪い!


 胸の内で再びオーウェンに呪詛と強い殺意が湧き上がる。


「なんだそんな事でしたの」


 だが、エーリックの苦悩を当のウェルシェは事もなげにばっさり斬り捨てた。


「それなら問題ありませんわ」

「えっ、ホント!?」


 驚きのあまりエーリックは不作法にもガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。その時、彼はテーブルを勢いよく両手で突いてしまった。その拍子にお茶が溢れてクロスに染みが出来て侍女カミラの眉が僅かに吊り上がった。


 だが、エーリックはそれに気づく余裕がない。


「本当ですわ」

「だけど、君には兄弟はいないじゃないか。家督の問題はどうするんだい?」

「お父様がお気に入りのとても優秀な再従姉弟はとこがおります。彼を養子として迎えれば良いのですわ」


 聞けば元々その再従姉弟を後継にするつもりであったらしい。エーリックとの婚約と陞爵の話がなければ、今頃はウェルシェに義弟が出来ていたのだとか。


「何だ……僕の杞憂だったのか」


 エーリックは脱力して椅子に崩れ落ちる。そんなエーリックの様子にウェルシェがくすくすと笑った。


「それよりも私はエーリック様に誰ぞ好きな方でもできたのかと不安になりましたわ」

「ないない、そんなの絶対ないよ」

「本当ですの? アイリス様にも言い寄られておられたではありませんか」

「それこそまさかさ。僕はウェルシェ一筋なんだから」

「うふふふ、冗談です」


 悪戯っぽく笑って信じておりますと告げられたエーリックは、可愛い婚約者に手玉に取られているなと苦笑いした。


「ですが、少し不安もありますわ」

「不安?」

「私のような者に果たして王妃が務まるのか……」


 王になるエーリックに嫁げばウェルシェは王妃となる。王妃には重責が課せられるし、何より宮中では権謀術数を武器に戦わねばならない。


 ウェルシェは優しくおっとりした娘である。この人の好い婚約者が策略を巡らせ腹黒い貴族達と権力争いが出来るとはとても思えない。


「安心して。僕が必ず君を守るから」

「エーリック様……嬉しい」


 エーリックの言葉にウェルシェは喜び頬を染めた。


 ――ウェルシェは僕が守らなきゃ!


 婚約者の可愛い姿にエーリックはそう強く決意したのだった。

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