第71話 その伝説、本当に始まりですか?

 ネーヴェとトレヴィルは祭りの喧騒けんそうを離れ、校庭を見下ろす土手の上へと来ていた。


 黄昏たそがれ時の校庭は大きな夕陽によって真っ赤に燃えていた。静かにたたずむ二人を横から差し込む陽光が焼き長い影を落とす。


(この夕焼けに妾も焦がれてしまえばよいのに)


 ネーヴェは世界を赤く焼き染める夕陽に、自分自身さえも燃やして欲しいと願った。この冷たく凍った氷の身と心を。しかし、ネーヴェを赤く染めた太陽も胸の芯から凍らせる氷を溶かすには至らない。


(だが、この手の温もりは心地良い)


 繋いだ手から伝わるトレヴィルの体温がネーヴェの心を僅かに安らがせる。ネーヴェはコテンと頭をトレヴィルの肩に乗せて身を寄せた。


「少し疲れましたか?」

「済まぬの。人に酔うたようじゃ」


 ネーヴェは誤魔化した。人肌恋しさからと言うには気恥ずかしい。それと気づいているのかいないのか、トレヴィルは優しく微笑んだだけ。


「ここなら落ち着けると思う」

「うむ、済まぬな我がままを言って」


 トレヴィルもまたネーヴェの冷たい肌が心地良かった。二人とも互いの体温を求めて身を寄せ合う。まるで自分達に欠けた何かを補完しているようで、まるで失っていたパズルのピースが埋まったようで、自然な営みに思えた。


「きっと、俺はあなたに会う為この国に来たんだ」


 だからトレヴィルは当然の事のようにそう思った。目の前の女性こそが自分の全て、自分の真実だと。


「まだ妾には分からぬ……それでも、おぬしの傍にいたいとは思うておる」


 ネーヴェが顔を上げると鉛色の瞳がトレヴィルの黒い瞳と交差する。トレヴィルにはネーヴェの瞳に熱い炎が宿ったように見えた。それは夕焼けのせいだったのだろうか。


 トレヴィルはネーヴェの細い腰に両手を回し引き寄せた。


「俺はあなたが好きだ」


 整った浅黒い顔が迫り、ネーヴェの胸の奥が騒めく。トレヴィルの顔がどうしてもトリスタンと被るのだ。


 狂おしいほどに愛おしいく、胸が張り裂けそうなほど憎い男。


「あなたの為なら俺は国を捨ててもいい」

「――ッ!?」


 トレヴィルのセリフにネーヴェは息を飲んだ。そして、二人の唇が重なろうとした寸前、ネーヴェの手が遮った。トレヴィルは拒絶されたと思いショックの色を隠せない。


「俺が嫌い?」

「済まぬ、そうではないのじゃ」


 ネーヴェは首を振る。その拍子に彼女の瞳からキラリと光る雫がながれ落ちた。


「全く同じ言葉を……あやつからも聞いたのじゃ」


 トレヴィルはハッとした。昔の男の、それも愛憎深き恋人と同じ顔で同じ言葉を聞かされたネーヴェの心境は複雑であろう。


 愛する者を苦しめてしまい、トレヴィルは己の容姿を呪った。


「俺は生まれて初めて自分の顔が憎くなった」

「悪いのはそなたではない。妾が悪いのじゃ」


 どうしてもトレヴィルを見るとトリスタンを思い出してしまう。しかも、かつて聞いた愛の言葉で完全にトリスタンとトレヴィルが重なってしまった。


「どうしても妾は、そなたをそなたとして見られぬのじゃ」

「それでも俺は!」

「止めるのじゃ!」


 ネーヴェは手でトレヴィルの口を押さえた。


「言葉を重ねれば重ねるほど妾はそなたにトリスタンの影を見てしまうのじゃ」

「それなら俺はどうすれば……」


 何をしても無駄なのか、トレヴィルはあまりの絶望に泣きそうに顔を歪めた。


「やはり無理があったのじゃ」

「あっ、待って!」


 ネーヴェは踵を返して立ち去ろうとしが、トレヴィルが咄嗟に彼女の腕を掴んだ。


「離すのじゃ」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ!……………嫌だ」


 トレヴィルはかき抱くように力いっぱいネーヴェを抱き締めた。


「あなたを離したくない。あなたとずっと一緒にいたい。あなたを愛している。あなたの愛が欲しい、あなただけが欲しいんだ。あなただけが……」

「止めよ。お願いじゃ。それ以上、妾の中のトリスタンを呼び起こすでない」


 トレヴィルから出てくる言葉の数々はかつての恋人の残滓。胸の奥底から溢れ出してくる激情をネーヴェの理性が抑えきれなくなっていく。


 そして――


「俺は全てを敵に回しても、あなたを愛する。この気持ちに嘘偽りはない!」

「それはトリスタンが指輪の試練に時に――ッ!?」


 トレヴィルはまたやらかしてしまった。図らずも彼が口にしたセリフは、かつてネーヴェが課した指輪の試練でトリスタンが彼女に捧げた愛の言葉だったのだ。


「あああああああああああああああ!!!」

「うわっ!?」


 ネーヴェはトレヴィルを突き飛ばし、狂ったように頭を抱えて絶叫した。


「それは、トリスタンの言葉じゃ!」

「まさか……嘘だろ……」

「どうして、おぬしが……トリスタンがここにおるのじゃあああ!」

「落ち着いて、俺はトレヴィルだ!」

「トリスタンは、トリスタンは……死んだはずじゃ……近寄るでない! 来るな! 来るなぁぁぁあ!」


 その瞬間、ネーヴェから凄まじい冷気が濁流のように溢れ出し、一気に周囲を、学園を、王都全域を包み込んだ。


 童話『雪薔薇の女王』の物語が今ここに復活した。

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