第69話 その二人、もう恋人同士じゃないんですか?

 大勢の人で賑わう祭りの中を白き絶世の美女と黒き美貌の王子が並んで歩く。


「一つ聞いても良いか?」


 ずっと黙っていたトレヴィルが重い口を開いた。


「何じゃ?」

「俺で本当に良かったのか?」


 ネーヴェを騙したカルミアの王子トリスタンはトレヴィルの先祖である。しかも、そのトリスタンとトレヴィルは瓜二つなのだ。ウェルシェに引っ張られてネーヴェの元に連れられて来られた時、本当は恐くて仕方がなかった。ネーヴェに拒絶されるのではないかと。


「分からぬ」

「分からない?」

「うむ、分からぬから確かめておる」


 イーリヤに発破をかけられてしもうたからのおとネーヴェは笑った。


「おぬしこそ妾で良かったのかや?」


 今度は下から覗き込むようにしてネーヴェが尋ねた。頭を傾けた拍子に白く長い髪がサラリと流れる。色っぽくもあり可愛くもあり、トレヴィルの胸がキュウッと締め付けられる。それはなんとも甘美で甘酸っぱい痛みだった。


「妾はそなたよりずっと歳上じゃ。おぬしモテそうじゃからな。妾のような年増女とでは嫌であろう?」

「そんな事はない!」


 思わず声を荒げてトレヴィルはしまったと思った。なんとも余裕の無いカッコ悪い姿を晒してしまったものだ。


「俺は……嫌じゃない」


 そして、気の利いたセリフの一つも思い浮かばないとは情け無い。


 トレヴィルはこれまでたくさんの令嬢と浮世を流してきた。甘い微笑みで近づき、甘い言葉を囁き、甘い誘惑で幾多の女性を弄んできた。それなのに、今の体たらくはどうした事か。


「あ、あなたが良い……あなた以外なんて考えられない」


 何とか言葉を搾り出す。


 ああ、今はこれで精いっぱい。


 まともに思考は働かず、体は酔ったようにフワフワで、なのに胸は苦しくって痛くって、とても切なくて。


 全てが生まれて初めての体験だった。

 この初体験にトレヴィルは戸惑った。

 しかし同時にストンと腑にも落ちた。


 これが恋……本当の本物の真実の恋なのだと。


 あがき、もがき、気持ちが右往左往する。それはみっともなく、カッコ悪く、酷い醜態だと昔の自分が馬鹿にしていたもの。


 今までの自分はなんと愚かだったのか。


(強敵ともエーリックの言った通りだった)


 本当に人を愛さず、愛し合う者達を嘲る自分は寂しく、悲しく、大馬鹿者だった。


「無理をせずとも良いぞ。妾を誘うようイーリヤに頼まれたのであろう?」

「違う! 俺は……俺は本当に自分の意思であなたと……」


 今なら分かる。


 トレヴィルはネーヴェに恋してる。


「俺はあなたとずっと一緒にいたい。この気持ちに偽りはない」

「今日会ったばかりの女に大層な入れ込みようじゃな」

「時間は関係ない」


 どんなに長い時間を一緒に過ごしても想いが通わない恋人もいる。逆に一目見て心を揺さぶられ一生を捧げられると信じられる相手もいる。


「恋とはそういうものではないだろうか?」

「それは何とも酔狂じゃな」

「かつてはあなたも同じだったはずだ」

「そうじゃ……だから痛い目を見たのじゃ」


 ネーヴェの鉛色の瞳がより暗くなる。そして、トレヴィルと繋いだ手から力が抜け落ちた。


「妾はそれほど恋に狂っておったのじゃ」

「恋に狂うとは間違った表現だ」


 しかし、トレヴィルはするりと抜けそうになったネーヴェの手をガッチリと掴む。


「恋とは、それそのものが狂気なのだから」

「ならば妾は確かにトリスタンに恋しておったんじゃな」


 恋そのものが狂気と言うのなら、国を滅ぼしてなお彼の面影を追う己が狂気でなくて何であろう。


「だけど、その男はあなたに恋をしていなかった。恋をしていたのなら、その身を狂気に染めていたのなら、国益など見向きもしなかったはずだから」

「妾を真っ直ぐ見つめてくれた黒い瞳には理性が失われておらんかった」

「俺はそいつと違う!」


 トレヴィルは両手でネーヴェの手を包み込んで、ネーヴェの鉛色の瞳に真っ直ぐ見据えた。その黒い瞳の奥に理性を無くした熱い炎が見える。ネーヴェにはそう思えた。


「俺はあなたしか見えない」

「済まぬ、妾はまだトリスタンを……」

「構わない……いや、嘘だな。本当はフラれるのが怖い。拒絶されるのを恐れている。俺だけを見て欲しいと願っている」


 黒い瞳に宿った炎が揺らめく。その光はとても小さく、しかし強くはっきりと輝いていた。まるで冷えた氷霧が立ち込める中に光を放った一つの星の如く。その炎が一気に熱を帯び、ネーヴェはその身を焦しそうになる。


「俺はあなたが好きだ。愛している」


 その言葉を信じても良いのかネーヴェは迷った。それでも目の前の少年の想いを信じたい、信じさせて欲しいと願った。


「どうか俺の手を離さないで」

「妾もこの手を離しとおない」


 二人は手に手を取って祭りの雑踏の中へと消えていった。

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