第68話 その腹黒、優秀な猟犬だったんですか?

「ウェルシェ早く早く」

「ちょっと待ってよイーリヤ」


 イーリヤにズルズルと引っ張られウェルシェが根を上げた。


 ウェルシェは鈍臭い見た目ながら、実はそれなりにスポーツ万能である。だが、それも一般人と比べての話。超チート令嬢のイーリヤとは比べるべくもない。本気で走るイーリヤについていける訳もなく、ヒーヒー悲鳴を上げた。


「少し落ち着いて」

「これが落ち着いてられるわけないじゃない」


 嫌がるウェルシェにイーリヤはキッと赤い瞳を向ける。


「ネーヴェがどこか行っちゃったのよ」

「それはイーリヤがすぐ追いかけずにアイリス様と言い争ったせいでしょ」


 さっさと追いかければイーリヤなら追いつけていたはずだ。それなのに、イーリヤはアイリスと口論になってネーヴェの行方を見失ってしまったのである。


「口答えしない!」

「不条理ッ!?」

「ウェルシェならネーヴェの魔力を追えるでしょ」

「さっき会ったばかりの人の魔力まで把握してないわよ」

「使えないわね」

「理不尽ッ!?」


 ウェルシェ何も悪くないのに……


「頑張れ頑張れ、ウェルシェならできるできる絶対できる!」

「無茶言わないでよ」

「諦めんなよ、諦めんなよウェルシェ! どうしてそこでやめるんだそこで! もう少し頑張ってみろよ! ダメダメダメダメ諦めたら。周りの事思えよ、応援してくれる私の事思ってみろって。あともうちょっとのところなんだから」

「何でそんなに熱っ苦しくなってんの!?」

「もっと熱くなれよ熱い血燃やしてけよ! 人間熱くなったときが本当の自分に出会えるんだ! だからこそ、もっと熱くなれよおおおおおおおおおおおお!!!」

「ああっ、もうッ! 分かったわよ!」


 何か炎の如き男に取り憑かれたようなイーリヤに根負けして、ウェルシェはネーヴェの魔力を何とか思い出しながら探査を始めた。


「魔力の波長はオルメリア様にちょっと似てたかな?……魔力量はたぶんアイリス様くらい……ちょっと冷っとする感じで……」


 魔力で個人レベルを判定するには精密な魔力操作と鋭敏に研ぎ澄まされた感覚を必要とする。だから大雑把なイーリヤには不可能でウェルシェを頼っているのだ。


「たぶん……あっち……かな?」

「よし、ウェルシェ、ゴーゴーゴー!」

「私は犬か」

「ウェルシェ、ハリーハリー!」

「もう、分かったわよ」


 ウェルシェドールレトリバーは飼い主イーリヤのコマンドを忠実に実行する優秀な猟犬なのだ。すぐさま鼻を利かせてネーヴェの足跡を追う。


「……かなり近いかな?」


 もはや獲物に逃げる術はない。


「あっ、いた!」


 程なくして校舎の屋上で黄昏るネーヴェを発見した。超弩級チート令嬢イーリヤをしてほぼ不可能と思われた探索を完遂したウェルシェは実に優秀な探知犬である。感極まってイーリヤはウェルシェに抱きついた。


「良お〜〜〜〜〜〜し、よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし、たいしたヤツだウェルシェおまえは!」

「わんわんッ!って、だから犬扱いしないで」


 イーリヤにナデナデされて喜ぶウェルシェもたいがいノリの良い女である。


も探しておいてね」

「もう、人使いが荒いんだから」


 ぶちぶち文句を言いながらもイーリヤの頼みを聞いてウェルシェは去って行く。それを見届けてイーリヤはネーヴェの隣に立った。


 イーリヤに気づいているだろうに、ネーヴェは黙ってジッと地上を見下ろす。イーリヤも何も言わずに同じように眺めた。二人の瞳の先で模擬店が立ち並び、多くの人が流れていく。


「この国は豊かじゃな」


 ぽつりとネーヴェが呟く。

 イーリヤは相槌を打った。


「そうね、他国と比べてここは裕福だわ」

「人も物も溢れておる……が、妾が言いたいのはそこではない」


 イーリヤがちらりとネーヴェの横顔を見たが、ネーヴェはやはりジッと下を見ていた。


「ここは笑顔でいっぱいじゃ」


 意図が分からずイーリヤは黙ってネーヴェの横顔を見つめた。


「この国で出会った者達はよく笑う。マテウもミーシャもキャロルもウェルシェも……イーリヤ、そなたも……みんな表情が豊かじゃ」

「まあ、喜怒哀楽が表情に出ちゃってるわよね。貴族としては問題だけど」


 おどけたイーリヤの口調にネーヴェが初めて横を向いた。


「そうじゃな……だが、それは幸せな証拠じゃ。この国には幸せが溢れておる。だから豊かなのじゃ」

「ネーヴェの国も幸せがいっぱいだったんでしょ?」

「聞いておろう。妾がそれを全て壊してしもうたのじゃ」

「それはネーヴェのせいではないわ」


 ネーヴェの悲しみに満ちた鉛色の瞳とイーリヤの赤く温かい瞳が絡み合う。


「いいや、妾の愚かさが招いた結果じゃ。男を愛し、愛に盲目となり、裏切られても妾は男を信じた……だから約束の指輪の試練を共に受けたのじゃ」

「今でも愛しているのね」

「分からぬ……妾も忘れたと思うておった……それなのに、さきの男子おのこを見て心が乱されてしもうたのじゃ」

「トレヴィルがその彼に似ていた?」

「トレヴィル?……やはり別人であったか……ふふ、馬鹿じゃろう、愚かじゃろう、騙されてなお妾は男の影に振り回されておる。なんとも滑稽じゃ」

「人間なんてみんな馬鹿で愚かで滑稽よ」


 イーリヤは手すりを掴むネーヴェの手にそっと自分の手を重ねた。


「ねぇ、もう一度だけ試してみない?」

「試す? 何をじゃ?」


 イーリヤは答えず後ろを振り返る。ネーヴェも釣られて振り返れば、昇降口にトレヴィルがウェルシェに手を引かれて姿を現した。


「いつまでも自分の心から逃げてはいられないでしょ」

「妾にまた愚行を犯せと申すか?」


 重ねたネーヴェの手が震えているのにイーリヤは気づいた。


「今度は上手くいくかもしれないわよ」

「失敗するやもしれぬ」

「失敗を恐れていては前には進めないわ」


 イーリヤは震えるネーヴェの手を握った。


「大丈夫、何かあったら私がネーヴェを止めて上げる」

「イーリヤ……おぬしは……」

「命短し恋せよ乙女ってね」


 不安に揺れる鉛色の瞳に向かってイーリヤは片目を瞑って笑って見せた。


「もう数百年も生きておる妾が今さら恋など」

「いいじゃない、幾つになっても恋したって」

「それに乙女なんて言われる歳でもないのじゃ」

「あら、それじゃあ幾つまでが乙女なのかしら?」

「ふむ、幾つまでじゃろ?」


 イーリヤとネーヴェは声を上げて笑った。氷像のように無表情だったネーヴェの顔がとても柔らかく変化している。それがイーリヤには嬉しかった。


「幾つになっても恋する女はいつでも乙女よ」


 イーリヤがネーヴェの背中を押す。


「ふふふ、それでは乙女の命は短くないのぉ」


 ネーヴェは抵抗せず、トレヴィルの方へと歩いて行く。途中で一度立ち止まりネーヴェは振り返って笑った。


「なんせ妾は数百年も生きておるのじゃからな」


 そう言い残してトレヴィルの手を取ってネーヴェが去って行く。その背中を見守るイーリヤの赤い瞳はとても優しかった。

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