第66話 その出会い、本当にイベント通りですか?
「しかし、こんな時にオーウェンとトレヴィルがいないなんて」
今の手札の中で一番の強カードであるサイモンを見送ったアイリスは悔しげに親指の爪を
執事喫茶『プリンス』のナンバーワンであるトレヴィルはお嬢様の同伴中。ナンバーツーのオーウェンは店内にいるが、他の客の接待で手が離せない。人気者達に暇はないのだ。
というかホントにこの模擬店はホストクラブではないのだろうか?
「何とか戦闘パートの前に雪薔薇の女の心を掴まないと……」
ここで雪薔薇の女王を攻略対象の誰かが堕とせば、戦闘自体の難易度も下がるしイベント終了後の評価ポイントも大きくなる。ゲームではそうだったのだ。
「トレヴィルが堕とせれば一番いいんだけど」
そうすればノーマルエンドがトゥルーエンドになりイベントクリアの評価が更に上がる。まあでも、とアイリスは左手を挙上すれば薬指の指輪がキラッと光った。
「
「できれば、それを返してはくれぬか?」
「えっ!?」
突然、近くから声をかけられ、アイリスは口から心臓が飛び出るのではないかと思うほど驚いた。
「雪薔薇の女王!?」
鉛色の瞳を真っ直ぐアイリスに向ける真っ白な髪の美しい女。いつの間にかネーヴェが目と鼻の先にいたのだ。
「サ、サイモンは……」
背伸びしてネーヴェの後方を見れば、眼鏡のイケメンはネーヴェに向かってひれ伏していた。
(つ、使えねぇ)
あれだけ大物ぶって出て行ったのにネーヴェの威厳に瞬殺されてしまったようだ。
「済まぬが、その
「これは
アイリスの薬指にはめられた薔薇の
「確かに雪の薔薇のようじゃ」
その声音にも一渥の寂寥が含まれているようだった。
「知ってるんだから。この指輪の薔薇が白から赤へ変化した時、あんたの胸の薔薇も赤くなって雪薔薇の女王から薔薇の女王へと戻るって」
ネーヴェは無意識に自分の左胸に手を当てた。そこには刻印と同じ真っ白な薔薇が一輪。
「そなたの言う通りではあるが、それは不可能じゃ」
「ふんっ、あんたの王子様が失敗したから?」
「そうじゃ、誰にも元には戻せぬ。だから、マルトニアの王子は妾を封じたのじゃ」
愛し合ったはずのカルミア王国の王子は試練に敗れ命を落とした。だから、氷雪に閉ざされた国を救うべくマルトニアの王子はネーヴェを封印した。ネーヴェの力の象徴たる約束の薔薇……いや、
「なんなら、そなたが妾をここで封じても構わぬぞ」
「こんなとこで封印なんてしないわよ!」
今はまだ雪薔薇の女王が注目されていない。彼女を封じても事件を解決したのがアイリスであると認められない可能性がある。
(だから戦闘パートをこなさなきゃいけないし、もっと被害が出た方が解決した時により大きな名声が得られるはずよ)
それにアイリスが望むのはイベントクリアによるハッピーエンドのみ。
「あんたを封印したら……私はそんなエンディング望んじゃいないの!」
「おぬし、まさか試練に挑むつもりなのかや?」
「ふふん、この私が見事あんたの薔薇を赤色に染めてやるわ」
自信満々に胸を張るアイリスにネーヴェが目を大きく開いた。それから鉛色の瞳に優しい光が灯った。
(なんと優しい娘じゃ。妾を冷たい牢獄に閉じ込めるのを不憫に感じておるのじゃろう)
「おぬしは……ほんに今の世の者達は気に良い連中ばかりじゃ」
「あん?」
アイリスは全部自分の為にやっているのだが、ネーヴェは盛大に勘違いした。これもネーヴェが封印から解放されて以降、マテウ商人夫婦やイーリヤ達お人好しにばかり出会ってしまったせいだろう。
「しかし、これ以上は迷惑をかけられぬ。妾に指輪を返すか、さもなければすぐ封印するのじゃ」
「なんであんたはさっきから封印されたがってんのよ」
「このままでは妾の力で明けぬ冬が訪れてしまうからじゃ」
「それが雪薔薇の女王の願いでしょうに」
「そなたは何を申しておるのじゃ?」
「雪薔薇の女王は氷雪の白き薔薇……失恋の痛手から心までも氷に閉ざし、全てを凍らせる無慈悲な女王ってのがゲームの設定なんだから」
「ゲーム?……設定?」
どうにも話が噛み合わず、ネーヴェは首を傾げた。いったいこの
「とにかく妾を封じないのであれば指輪を返すのじゃ」
「イヤよ!」
雪薔薇の指輪を巡ってアイリスとネーヴェが言い争いを始めた時、厨房に浅黒い肌のイケメン執事が入ってきた。
「おーい、
ご存知スケコマシ王子トレヴィル・トリナである。同伴のついでに新たな客を引っ張ってきたのに、店に帰ってきたらコニール、クラインの姿がなく、サイモンも使い物にならない状態。そこで厨房のアイリスに指示を仰ぎにきたのだった。
「トレヴィル、いいところに帰ってきたわ」
「――ッ!?」
ナイスタイミングとアイリスは喜色を浮かべたが、振り返ったネーヴェは驚愕に目を丸くした。
「まさか……トリスタン?」
そのまま固まるネーヴェをトレヴィルも同じく唖然として見つめた。
「美しい……」
トレヴィルは魂までも揺さぶられたような激しい衝撃を受けた。イーリヤやウェルシェの二人も絶世の美少女だったが、トレヴィルは決して心を奪われはしなかった。
「そなたは……いや、そんなはずはない……トリスタンは妾の力で……」
トリスタン――それはかつてネーヴェが愛したカルミアの王子。
ロゼンヴァイスを侵略する為にネーヴェに近づいた酷い男。それでもなおネーヴェが愛してやまなぬ男。ネーヴェが狂ってしまった原因を作った憎くて愛しい男の名だった。
目の前の男はどう見てもネーヴェの愛した男に瓜二つ。
いや、絶対あり得ない。
ネーヴェは頭を振った。
「あれから数百年も経っているのじゃ」
生きているはずもない。
「だいたいトリスタンはこんな若造ではない」
トリスタンはネーヴェと同い年だった。目の前の男はどう見ても十代である。
だけど……
「その黒い髪、その黒い瞳、その容貌……ほんにトリスタン?」
ジッとネーヴェを見つめる男がトリスタンにしか見えない。
「妾は……妾はいつまでも愚かじゃ」
「あっ、待ってくれ!」
ネーヴェは思わず逃げ出していた。トリスタンに似た少年がネーヴェを引き留めようと手を伸ばしたが、ネーヴェはその手をするりとすり抜けて行った。
「いつまで妾はあんな男の事を……」
その少年がトリスタンではないと頭では理解している。それでもネーヴェの心は千々に引き裂かれそうだった。
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