第52話 その完璧令嬢、意外と弱点が多くないですか?
グロラッハ家の庭園にある純白の四阿で、黒髪の侍女が淹れた紅茶を白銀の美少女が優雅に楽しんでいた。
「今回の事で分かった事があるの」
少女はカップをソーサーに戻すと傍に立つ侍女を見上げた。
「私はエーリック様の想いに胡座をかいていたんだって」
「はあ?」
いつも無表情な侍女の眉が僅かに寄る。お嬢様はまた何を言い出すのかと警戒したのだ。
「ほら、私がトレヴィル殿下の術に陥ったのも、エーリック様とアイリス様の噂を完全に否定仕切れなかったからだと思うの」
「まあ、そういう一面も否定はできませんね」
「うん、エーリック様が浮気したのかもって疑ったせいで、私の心に隙ができてしまっていたんだわ」
「お嬢様が全ての殿下が浮気など、天変地異の前触れものですからね」
ましてや相手はあのエセ聖女。あんなのに負けたかもと思えばショックもあろう。さもありなんとカミラはうんうん頷いた。が、ウェルシェは恋心をかき乱されたのであって、女のプライドを傷つけられて動揺したわけではない。
どうにもウェルシェとカミラの間には認識の齟齬がある。
「ですが、それでどうして胡座をかいている事になるので?」
「つまりね、私がもっとエーリック様のハートをがっちり掴んでいれば良かったのよ」
「これ以上でございますか?」
そうよと頷くウェルシェにカミラは首を傾げた。
「エーリック様が絶対に浮気をしない……いいえ、他の令嬢に目もくれないくらい私にメロメロの首ったけ状態となれば良いのよ。そうすれば、私はエーリック様を1ミリたりとも疑う余地が無くなるでしょ?」
「理屈としてはそうかもしれませんが……」
何か違うとカミラは首を捻った。
エーリックが浮気をしない確証があれば自分は揺らぐ事がないというウェルシェの論法は、一見真理を突いているようでいて全くの的外れ。
どんな相思相愛溺愛カップルであっても、いやむしろ愛し合っていればいるほど嫉妬は強くなるものだ。故にどんなにエーリックを自分に惹きつけても、けっきょくウェルシェが嫉妬すれば同じようにウェルシェは心穏やかではいられない。
恋愛音痴のウェルシェはその男女の機微が全く理解できていないようだ。
それに、現実としてウェルシェの作戦には問題がある。
「既に殿下は骨の髄どころか魂の髄までお嬢様に掌握されておられるではありませんか?」
そうなのだ。もはやエーリックの好感度はカンストしてメーターが振り切っている。ウェル
「いいえ、油断は禁物よ。ちゃんとエーリック様のお気持ちを繋ぎ止める努力をしないと」
「は、はぁ」
鼻息荒くウェルシェはムンッと胸の前で両拳を握る。
「しかしながら現実問題としてどうされるおつもりです?」
「ふっふっふっ、ちゃぁんと考えはあるわ」
「……まさか、またお色気作戦をなさるのですか?」
「ダメダメ」
ウェルシェはちっちっちっちっと人差し指を左右に振る。
「ああいうのは頻回にやったら効果減弱よ」
色香を用いるのは諸刃の剣。ギャップ萌えはたまにやるから効果絶大なのであって、あまり何度もやれば飽きられてしまう。特に清楚系美少女で売っているウェルシェにとってイメージダウンになりかねない。
「それでは他にどのような手段を?」
「ふふふっ、アイリス様が良いアイディアを提供してくれたわ」
「あの聖女様が……ですか?」
「ええ、以前アイリス様を調べたんだけど……」
お見合い相手を探す時にアイリスのあらゆる個人情報をレーキ達に調査させた。
「その情報の中にオーウェン殿下達を誘惑した手練手管も含まれていたの」
「あんなバッタもん聖女の手法が役に立つんですかぁ?」
ウェルシェは自信ありげだが、カミラにはどうにも疑わしい。
「敵ながらあっぱれな方法だったわ」
「それで、その方法とは何です?」
腕を組み感心するようにウェルシェはウンウン頷いているので、カミラも僅かばかり興味が湧いた。
「それは……」
「それは?」
ウェルシェがズバビシッと人差し指をカミラに突きつけた。
「ずばり手作りお菓子よ!」
「手作りお菓子ぃぃぃ?」
自信満々のウェルシェにカミラがうげっと顔を歪めた。
「正気ですか?」
「もちのロンよ!」
「そうは申されましても貴族はたとえ婚約者でも手作りの食べ物を口にはしないものです」
毒殺や怪しげな薬物を警戒して外での飲食はとても警戒する。ましてやエーリックは王族なのだ。
「そう、そこよ。絶対食べないはずの手作りお菓子を食べてもらうってのが今回の作戦の肝なのよ」
だが、ウェルシェの見解は違った。
「それでも食べてくれるって事はそれだけ信用度が高いって証左になるじゃない」
「まあ、それはそうですが」
むしろ、あのエーリックなら躊躇なく食べるだろーなぁとカミラは思う。
「しかし、貴族令嬢は手料理などしないものです」
「だからこそポイントが高いのよ」
普段やらないお菓子作りをするところにギャップ萌えがきっとある。ウェルシェは拳を振るって力説した。
「お嬢様、料理が不得手でございますよね?」
「そこよ!」
我が意を得たりとウェルシェがパンッと手を合わせた。
「元々お菓子作りができないのに、あなたの為にがんばりましたって男の子はグッとくるんじゃないかしら」
あなたの為ってところがポイントよね、と笑うウェルシェはとても嬉しそうだ。きっと既に脳内でエーリックに手作り菓子を渡してキャッキャウフフしているシチュエーションを想像しているにだろう。
「話は分かりました」
カミラは眼鏡の
「それでも私はお嬢様をお止めしなければなりません」
「何でよぉ?」
会心の策を否定されてウェルシェは口を尖らせた。
「その作戦には大きな穴がございます」
「上手に作れない事を心配してるの?」
「はい」
「問題ないわ。多少の失敗なら健気な感じがしてプラスだと思うのよ」
「まあ、エーリック殿下ならどんな物でもお嬢様のお手製となれば絶対口になさるでしょう」
エーリックが食べることはカミラも疑っていない。
だが、カミラが問題としているところは全く違う。
「だからこそ止めねばならないのです」
「どうして?」
意外な反論に意味が分からずウェルシェはコテンと首を傾げた。
「グロラッハ家が王家への謀叛を疑われてしまうからです」
「どうして私がお菓子作りしたら謀反になるのよ!」
「お嬢様のお作りになるものはもはや劇薬を通り越して毒薬。あれを口にするには命を懸けねばなりません。あれを振る舞うのは毒殺を企むに等しい行為です」
「はい?」
「お忘れですか?」
目をパチクリさせ全く心当たりの無さそうなウェルシェに、カミラは深いため息を吐いた。
「以前、お嬢様は私の為にとはりきって料理を作られたではありませんか」
「そ、そうだったかしら?」
「あの時、私はお嬢様の手料理に大喜びして一匙だけ口に入れた後……悪心、嘔吐、腹痛、下痢、発汗、頭痛、発熱などなど、地獄の苦しみを味わった後に天国の花畑を見ましたよ」
だんだん目が泳ぎウェルシェが挙動不審になり、カミラは
「危うく死ぬところでした」
「そ、そんな大昔の事なんて忘れたわ」
「ほんの三年前の話ですけどね」
ウェルシェはうぐッと令嬢らしからぬうめき声を漏らした。
「いかにお嬢様ラブの私でも、あれは二度と口にすまいと誓いました」
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