間章 水面下で動く者たち

閑話トレヴィル① 隣国王子の暗躍

 カツカツカツカツ……


 闘技場から外へと続く薄暗い通路を速足で進む影。その足音にはどこか苛立ちが感じられた。


 等間隔に設置された魔力灯の下に出た人影。少しウェーブのかかった黒い髪に健康的な褐色の肌をした美形の王子――トレヴィルである。


「ちっ、どうして予定外な事ばかり起きる」


 エキゾチックなイケメン王子は舌打ちして顔を険しくした。いつも余裕たっぷりで微笑む女たらしの姿はそこにはない。


「くそっ、使えないヤツを王にしようとしたのに……あのバカ王子ホント使えねぇな」


 マルトニア王国の力を削ぐにはオーウェンを国王にした方が都合が良いと判断した。だから、トレヴィルは準決勝で周囲にバレないようエーリックに術をかけて妨害したのである。


「だいたい、あの軟弱金髪小僧が無駄に頑張りやがるから……」


 なのにどうしてだかオーウェンの方が負けてしまった。


「それに、さっきの試合……思い出すだけでムカつく!」


 しかも、余裕で勝てると見下していたエーリックに追い詰められたのだ。勝てたには勝てたが、それは卑怯な手を使った結果である。


「俺があんなカスに実力で劣るわけねぇんだ」


 試合に勝って勝負で負けたのである。それは当のトレヴィルが一番痛感していた。


「それにエーリック、エーリック、とあのカマトトがッ!」


 だが、何よりトレヴィルを打ちのめしたのはウェルシェである。


「どうして俺になびかない」


 イーリヤが思ったように口説けない上にオーウェンが失脚しそうになったので、トレヴィルは進級して同じクラスになったウェルシェにも粉をかけることにした。このままならエーリックが次代の王になりかねないからだ。


「俺の方が良い男だろうが!」


 だが、ウェルシェは自分より数段劣るエーリックにご執心で全く相手にされなかった。


「くそっ、あの女……絶対にモノにしてやるからな!」


 トレヴィルはウェルシェの顔を思い出すと胸の奥が熱くなる。


 ――ウェルシェ・グロラッハ


 銀糸のようにきらりと輝く美しい髪、吸い込まれそうなほど鮮明な翠色の瞳、肌は穢れを知らずどこまでも白い。他の令嬢が霞んで見えるほどの美少女。


 同じクラスになって初めて顔を合わせた時、トレヴィルは全身に雷に撃たれたような衝撃に襲われた。


 王妃ははおやの命でマルトニアに来ていたトレヴィルだったが、それも忘れてウェルシェを本気で欲しいと思ったのだ。


「あの身体を俺の手でめちゃくちゃにしてやる」


 夏の浜辺でウェルシェの肢体を見た時には欲情が一気に沸き上がった。華奢で白い肩、水着で隠しきれない豊満な胸、それでいて腰はきゅっとしまって細い。


 涙目の表情がまたそそった。思い出しただけでトレヴィルの情欲は滾り、舌舐めずりした。


「後ちょっとで堕とせそうなんだ」


 さっきなどは、あの瑞々しく可愛い唇をもう少しで貪れそうだったのに……


「それを……あの女はいったい何なんだ?」


 ――アイリス・カオロ


 ちょっとだけ可愛いだけの愚かな女。それがアイリスに対するトレヴィルの評価だった。間違っても自分の策動を妨害できるような大物ではない。


「いったいあの女は何を知ってやがる?」


 それがどうにもトレヴィルの動きがアイリスに筒抜けになっている節がある。トレヴィルがトリナの王妃ははおやの命を受けているのも知っているようであった。


「それに、ウェルシェにずっと仕込んできた暗示がアイツの絶叫一発で解けやがった」


 この数ヶ月、ずっとエーリックに対し疑心暗鬼になるよう少しずつバレないように暗示どくをウェルシェの心に流し込んできた。


「今日こそ術が完成するはずだったのに……」

「本当にあの娘に助けられるとは意外でした」

「――誰だッ!」


 突然の声にトレヴィルは振り返った。


 ――カツーン……カツーン……


 暗闇からゆっくり足音が近づいてくる。徐々に魔力灯の光に照らされて、侍女服の女が浮かび上がってきた。


「お前は?」


 闇に溶け込みそうな黒い髪、眼鏡のレンズの奥で琥珀色に輝く瞳、無表情だが整った容貌。


「ウェルシェお嬢様の忠実なるしもべ、カミラと申します」


 完全に光の下に現れた侍女はスカートの裾を摘んで綺麗なカーテシーを披露した。容姿も美しいが所作もかなり美しい。


「近頃、お嬢様の様子がおかしいとは思っておりましたが、あなた様の仕業でしたか」

「な、何を言っているのか俺にはさっぱり分からんが?」


 トレヴィルは目の前の美しい侍女の醸し出す雰囲気に呑まれた。


(たかだか侍女風情に王族である俺が?)


 理由は分からない。だが、本能がこの侍女は危険だと告げている。


「エーリック殿下の準決勝も違和感を感じておりましたが……先程の決勝戦でやっと分かりましたよ」


(ハッタリだ)


 トレヴィルはそう断じた。がバレるわけがない。主審どころか魔力測定器さえあざむいたのだ。


「精神に働きかけ、幻覚や暗示をかけて身体にまで影響を与える魔術ですね。主審が気づくはずありません。だって、実際には何も起きていないのですから」

「ま、魔力測定器は幻術だって誤魔化せないぞ」

「我々はもとより大気中にだって魔力は存在しております。微量な魔力まで検知していたら警告音アラートが止まりませんよ」

「検出限界の微弱な魔力量で大それた魔術なんて使えないだろ」

「あなたは出場する度に闘技台の各所に少しずつご自分の魔力を残されていたのでしょう?」


 つまり、闘技台に仕込まれたトレヴィル魔力残滓のせいで、トレヴィルのみ魔術を使用しても魔力測定器は検知できなかったのだ。


 木を隠すなら森の中。木を隠したいなら森を予め作れば良いと言うわけだ。


「まあ、それでもせいぜい足元が小石ほど隆起したように錯覚させる程度の小規模な魔術でしょうが」

「……どうするつもりだ?」


 正確にタネを明かされトレヴィルはいよいよ目の前の侍女を警戒した。


「実行委員に報告して俺を失格にするか?」

「いいえ、エーリック殿下が負けた方が都合が良いので」

「?」


 トレヴィルは知らないが、ウェルシェはエーリックが国王になって欲しくない。ここで優勝などしたらエーリックの即位を望む声が大きくなる。


 カミラはウェルシェの忠実な僕。主人の願いを知っているので今回はお口にチャックである。


「それに私としてはエーリック殿下がどうなろうと知った事ではありませんし」

「一応あれでも君の国の王子だろ?」


 トレヴィルは苦笑いした。


「そんなのどうでもいいんですよ」

「――ッ!?」


 急にカミラの雰囲気が変わった。


「私にとって重要なのはお嬢様だけですから」


 無表情で感情が読めないカミラから、怒気のような圧力が膨れ上がる。


「私が許せないのは、あなたが劣悪な情動を抱いてお嬢様を傷つけようとした行為です」


 それに気圧されてトレヴィルは知らず知らずのうちに後退あとずさっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る