第45話 その異国の王子、やっぱり悪い男だったんですか?

 無防備なウェルシェに音も無く忍び寄る不穏な人影。


「あれはないよね」

「トレヴィル殿下!?」


 それはトレヴィルだった。


 ウェルシェが自分に影が差したと気づいた時には、トレヴィルに肩を強引に抱き寄せられてしまっていた。


「いやッ! 離してくださいまし!」


 トレヴィルの胸に手を当て押し退けようとしたが力の差は歴然である。逆に逞しい腕の中にウェルシェは閉じ込められてしまった。


「んっ、やっ!」


 腕を突っ張り顔を背けるので精いっぱい。そんな可愛い抵抗ムダなあがきは却ってトレヴィルの情欲を誘うだけ。


「そう邪険にするなよ」

「無闇に婦女子の身体に触れないでくださいませ!」


 いやいやするウェルシェの耳元に、キスでもするかと思えるほどトレヴィルは口を近づけ囁いた。


「エーリックがそんなに良いのか?」

「良いも悪いもありません。エーリック様は私の大切な婚約者ですわ」

「それはただの契約だろ?」

「そんな事……私はエーリック様をお慕いしていますわ」

「君はそうでもエーリックは違うようだ……ほら、見てごらん」


 トレヴィルの指し示す方を見れば、エーリックがアイリスの治療を大人しく受けているとこだった。何やら会話が弾んでおり、ウェルシェが他の男の腕に囚われているのにも気づいていない。


「ふふ、随分と仲が良さそうじゃないか」

「エーリック様……」


 実際には仲睦まじくしているのではなく――


『ちょっと、勝手なマネはやめてくれ』

『もう、テレちゃってカ~ワイ~』

『治療なら医務室へ行きます』

『遠慮しないで、私とリッ君の仲じゃない』

『どんな仲ですか!』


 ――と、エーリックが強く断りきれずに押し問答しているだけであった。しかし、離れた位置から見れば楽しげにしているように見えない事もない。


「あの二人、ここのところ急接近していると聞いていたが真実だったらしい」

「そんなの無責任な……噂です……わ」

「現実に目の前でイチャついているじゃないか」


 弱ったウェルシェの心の隙にトレヴィルの毒が侵蝕する。


 違うと思いつつも、エーリックを信じていながらも、ウェルシェの目には二人が恋仲のように見えてしまって、その考えが頭から離れなくなってしまっていた。


(私……どうしちゃったの?)


 エーリックとは政略と割り切っていた当初なら、客観的にエーリックとアイリスの仲を分析できただろう。きっと、二人の間で行われている会話まで正確に読み取っていた。


(あの二人が恋仲のはず……ない……エーリック様は私に……ぞっこんなんだから!)


 いや、今でも頭では理解できているのだ。だが、思考に気持ちがついてこない。理性では違うと判断していながら胸の奥のわだかまりが消えない。


 ――それは嫉妬。


「エーリック様は私を裏切ったりしませんわ!」

「そう信じたいだけだろ?」

「エーリック様は私を愛していると仰ったんです」

「ふ~ん、でも彼が愛しているのは、いったいどのウェルシェだろうね?」


 そんなの決まっている。


 エーリックが好きだと言ったウェルシェは擬態まやかしだ。それはウェルシェ自身が一番よく知っている。


「さてさて、エーリックは君の本性を知っても愛してくれるかな?」

「そんな事……決まっていますわ」

「どう決まっているんだい?」


(本当の私はエーリック様の好みじゃ……ない)


 ――それは恐怖。


 その時、エーリックがどんな反応をするのか知るのがウェルシェは怖い。


「いや、そもそも婚約者の本当の姿に気づかない彼が悪いのかな?」

「エーリック様は悪くありませんわ!」


 だって、それはウェルシェが隠してきた事実なのだから。


「エーリックが君を本当に愛しているなら気がつくべきだろ」

「それは……」

「愛し合っているのに隠し事してるのも変だよな」

「……」


 トレヴィルは的確に退路を断ってウェルシェを追い詰める。


 いつの間にか抵抗を続けていたウェルシェの手から力が抜け、トレヴィルの腕にすっぽり包まれていた。だが、心が千々に乱れた今のウェルシェに気づくゆとりがない。


「エーリックは酷い男だ」

「違います。エーリック様は……とってもお優しい方……です」


 首を振って否定するも耳元で囁かれるトレヴィルの毒に、男女の機微に疎いウェルシェはの心が蝕まれていく。


「怪我で婚約者を心配させておいて、そのくせ目の前で他の女の子とイチャついて」

「あなただって不特定多数のご令嬢と仲良くされているではありませんの」

「あの子達は本気じゃない」

「なお悪いですわ」

「そうかな?」

「女性を弄んで悪気がないんですの?」

「本気の方がよっぽどタチが悪いだろ?」


 ウェルシェの非難にもトレヴィルは悪びれたところはない。


「複数の女の子に熱を上げれば修羅場だろ?」

「さ、最初から他の女性に手を出さなければいいのですわ」

「だけど、王族はたいてい複数の女性を娶るものだろ?」

「それは……」

「ああ、そう言えばマルトニアの王子は婚約者がいながら他の令嬢に現を抜かしていたな。あれは俺より酷いと思うがね」


 それが誰を指すかなど言われずとも分かる。そして、そのオーウェンは婚約者のイーリヤを蔑ろにしている事実は弁護のしようがない。


「ふふふ、あれはエーリックの実の兄だったか?」

「……」


 トレヴィルはエーリックもアイリスに入れ上げているのではないかと言外に臭わせているのだ。それはウェルシェの脳裏にもよぎった。


 オーウェンと同じようにエーリックもアイリスに誑かされていないかと……


「王侯貴族は次代を残す為に複数の女性を娶るものだが、それでも彼の所業は許されないだろ?」

「それは……」

「トリナの王は国中から美女を集めてハーレムを作るのが通例だが、決して女性達を蔑ろにはしていないぞ」


 真剣ではないが、全てを大事にはする。

 真剣に愛するが、他の女性を傷つける。


 果たしてどちらが正しいのか……悩むウェルシェ。


 だが、この問題は二者択一ではない――ウェルシェが冷静だったら気がついていただろう。それが分からなくなるほどトレヴィルの毒にウェルシェの心と思考は侵されてしまっていた。


「だが、ウェルシェが望むなら俺は君だけを愛そう」

「私……だけを?」


 追いつめた獲物にトレヴィルは更なる追い討ちをかける。


「ああ、それに俺なら本当のウェルシェの姿に気づいてあげられるし、そんな君を愛してあげられる」

「私を……愛して?」


 いつものウェルシェなら愛だの恋だの下らないと切って捨てていたはずだ。だが、皮肉にもエーリックへの恋心に目覚めたせいで、こんな程度のトレヴィルの言葉でもウェルシェを惑わせる。


「迷う事はないだろ?」

「でも、私……エーリック様を……」

「彼は君を傷つけるだけだが、俺なら君の望む全てを与えられる」

「私の望むもの……全て?」

「ああ、富も権力も、そして愛も……」


 弱り切ったウェルシェの様子にトレヴィルはニヤリとほくそ笑んだ。


「だからさ、エーリックなんて止めて――」


 トレヴィルはクイッとウェルシェの顎を持ち上げ顔を近づける。


「俺のところへ来い……ウェルシェ」

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