第38話 その腹黒、本当に喜んでませんか?

「わあ! 勝った勝った、エーリック様が勝ったわ!」


 凄い凄いとウェルシェがぴょんぴょん飛び跳ねる。


 普段お澄まししているウェルシェが少女らしく振る舞うのはとても可愛い。闘技台からそれを見てエーリックがだらしないくらい相好を崩している。


 だが、これも仕方がないとカミラは思う。とても演技とは思えないほど自然な喜びように、擬態と分かっているはずのカミラでさえニヘラと顔を崩すくらい可愛いのだから。


 ――お嬢様、おそろしい子!?


 本気で喜んでいるとしか思えない擬態とは、長年仕えていたカミラも脱帽の迫真の演技!……と、カミラは勘違いしていた。


 実際にはウェルシェは本気で喜んでいたのである。演技ではないのだからカミラが擬態と思えないのは当たり前。


「さあ、エーリック様の勝利を祝いに行きましょ」


 鼻歌混じりにルンルンとスキップでも踏みそうなウェルシェの様子に、見えないところでも気を抜かず名演技を継続するとはとカミラは感心しながら後を追った。


「ところで、これでオーウェン殿下の廃嫡に王手がかかってしまわれましたが?」

「まあ、起きちゃったもんはしょうがないわ」


 あっけらかんと答えるウェルシェにあまり気にした様子はない。


「オーウェン殿下については別の手を考えましょ」

「もう猶予はあまりありませんが」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

「その根拠はいったいどこから沸いてくるんです?」

「ほら、アイリス様が言ってたじゃない」


 はて?とカミラは思案したがウェルシェが何の事を指しているのかすぐには分からなかった。


「イベントとか何とか、一発逆転の方策があるって」

「ああ、あれですか?」


 そう言えばキレ散らかしながらアイリスがほざいていたなとカミラも思い出した。


「何が起きるかは分からないけど、アイリス様はかなり自信があるみたいだったじゃない?」

「根拠の無い自信は勘違いとか妄信って言うんですよ」

「だけど修学旅行で何かしてたみたいだし、ある程度は信憑性あるんじゃない?」

「そういえば新たな遺跡を発見したのでしたね」


 あれ程の大発見なら功績として認めてもいいんじゃないかとカミラは思ったが、あれに関してはクラス全体による発見であり歴史教師が代表となっていたのでアイリスの手柄とはなっていなかった。


 それにカミラは知らないが、アイリスは『雪薔薇の指輪フローゼンエンゲージ』をがめている。それにどうして入口の開け方を知っていたのか追及されるのは都合が悪かったのだ。


「それでは、お嬢様のこれからの方針はアイリス様の陰ながらの支援でしょうか?」

「そのつもりよ」

「ですが、アイリス様の言葉を信じるのなら、そのイベントが上手くいくとお嬢様やイーリヤ様がザマァされてしまうのではありませんか?」

「だから、その遺跡について調べさせているの」

「またレーキ様達をこき使っているのですか?」

「ちょっと手伝ってもらってるだけじゃない」

「ちょっとですかぁ?」


 カミラは胡乱げな目になる。カミラはちょっと彼らが憐れに思えた。今までウェルシェの悪戯に付き合ってきたカミラには、レーキ達が走り回る姿を思い浮かべられる。


「いいじゃない。レーキ様達だって率先して手伝ってくれてるわよ?」

「私はレーキ様新たな被害者達が憐れでなりません」


 しかも、何故か彼らの顔は清々しい笑顔なのだ。カミラや彼女の下でウェルシェに使われる人間達はどうしてだかウェルシェの為に一所懸命働くことに喜びを覚える。


 腹黒印のウェルシェ商社はやりがい搾取のブラック企業。ウェルシェの支配下に入った者達はこき使われながらも、ウェルシェのお願いと言う名の命令に「喜んで」と笑顔で対応が標準なのだ。


 レーキ達も時間外労働に自らの意思で勤しんでいる。さすが腹黒、配下の扱いもブラックだ。


「むぅ、私はお願いしただけで、別に強制してないわ」


 しかも、ウェルシェ本人が無自覚だから、なおタチが悪い。


 こんなんだからカミラ指揮するお嬢様親衛隊が別名『お嬢様の為なら死ねるっ隊』とグロラッハ家内で揶揄されるのだ。


 ちなみにウェルシェの母ヴェルデガルドがグロラッハ家のヒエラルキーの頂点なのだが、彼女にも直属の私兵がいる。圧倒的カリスマ性を持つヴェルデガルドの私兵達は主人の為なら死を辞さぬ恐るべき集団で、別名を『女神ヴェルデガルドの死兵団』と呼ばれている。


 グロラッハ家ではウェルシェやヴェルデガルドの配下になるのは大変名誉なのだが、同時に死も覚悟しなければならない。関わるな危険!のなんともはた迷惑な母娘である。


「それに遺跡関連の調査となるとカミラ達ではちょっと荷が重いでしょ」

「まあ、私の情報網侍女さんネットワークも学術関連には伸びておりませんから」


 貴族の裏事情に精通している侍女達も、さすがに遺跡の話など噂程度しか集められない。だから遺跡について調べるにはレーキ達に頼む方が都合よかった。


「ですが、そこまでして遺跡を調べる必要があるのですか?」

「アイリス様の思惑が分かれば、ザマァとやらにも対処可能でしょ?」


 ウェルシェは器用にカミラにウィンクしてから、闘技台に向かって大きく手を振った。エーリックもそれに気がつき嬉しそうに手を振り返している。


「まあ、なるようになるわよ」


 そう言い残してウェルシェは婚約者の勝利を祝う為に闘技台へと走った。ウェルシェの後ろ姿をカミラは黙って見送る。


 台上では満面の笑顔でウェルシェがエーリックを褒め称え、エーリックは頭を掻きながら照れ笑いを浮かべていた。


 そんな恋人達の微笑ましい光景を眺めていたカミラの琥珀色の目が、眼鏡の奥で僅かに細められた。


「果たしてそう上手くいきますかねぇ」


 一抹の不安を拭い切れず、カミラはボソリと独り言ちた。

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