第10話 その笑顔、本当に胡散臭くないですか?


「ようこそアイリス様」


 ウェルシェはにこやかに出迎えた。


「ふん!」


 が、アイリスはぶすっと首を背けた。


「あなた、カーテシーも満足にできないの?」

「うっさい、私はあんたら悪役令嬢に屈したりしないんだから」


 先に来てカミラが淹れたお茶を堪能していたイーリヤが冷ややかに窘めれば、アイリスがガルルルと牙を剥く。


「まあまあ、お二方とも」


 いがみ合うイーリヤとアイリスの間に立ち、ウェルシェがニコニコ笑う。


「今日は良いお茶が手に入りましたの。美味しいお菓子もご用意しております」

「……」


 ウェルシェの甘い誘いにアイリスがちらちらと四阿ガゼボのテーブルの方を気にする。並べられているのは見るからに甘そうなスイーツの数々。


 アイリスの喉がごくりとなった。


 アイリスの転生先はあまり裕福ではないカオロ男爵家。彼女は普段から質素な食生活を送っていた。前世が飽食の日本であっただけに、スイーツにはかなり飢えているのだ。


「ささっ、アイリス様もこちらへどうぞ」

「ふ,ふん、話くらいは聞いてあげるわよ」


 けっきょく甘い誘惑に勝てなかったようで、アイリスは大股でドカドカと進み席にドンッと座る。


「どうぞご遠慮なさらず。今、カミラがお茶を淹れますから」


 にこやかに笑うウェルシェの背後から眼鏡をかけた黒髪の侍女が茶器ティーセットを載せた手押し台車ワゴンを押して前に出てきた。


「ふふ、カミラの淹れてくれるお茶は本当に美味しいわ」

「恐れ入ります」


 新しく提供されたお茶をこくりと飲んでイーリヤが舌鼓を打つ。その様子にケーキを頬張っていたアイリスが鼻を鳴らした。


「お茶なんて誰が淹れたって同じじゃない」

「バカ舌の誰かさんには違いが分からないんでしょうね」

「お高く止まっちゃって!」


 バンッとテーブルに両手をついてアイリスが立ち上がったが、その横からスッと割って入ってカミラがお茶を用意する。その絶妙のタイミングにアイリスも毒気を抜かれて再び席に着いた。


「いい匂い……ズッズズ」


 アイリスの鼻腔を紅茶の香りが刺激する。音を立てて啜れば口の中に芳香と僅かな苦みが広がり、ケーキで汚染された口腔内を洗い流しさっぱりさせてくれた。


「ゴクンッ……美味しい……それにホッとする味」


 その時になって初めてアイリスは隣に立つカミラを見上げた。黒い髪に眼鏡の奥の琥珀色の瞳、整った美しい顔。この場の三人の令嬢ほど人目を惹くわけではないが、眼鏡と侍女服を捨てて着飾ればかなりの美人だろうと思われる。


 その時、アイリスの胸裏に何とも言えないデジャブが訪れた。この侍女に見覚えがある。


「あなたどっかで会った事ある?」

「?……いえ、お会いしたのは今日が初めてかと思われますが」

「そう……よね」


 口の中で「カミラ、カミラ」と呟きながら、重要な事が喉まで出かかっているのに出てこないもどかしさ。思い出そうと思っても思い出せないので……アイリスは考えるのをやめた。


「さて、本日お二方に集まっていただいたのは私達の明るい未来を語り合う為ですわ」

「私の未来は元から明るいわよ」

「果たしてどうかしらね?」

悪役令嬢あんたにはザマァされる未来しかないけどね」


 反目し合うイーリヤとアイリスは険しい顔をぶつけ合う。


「まあまあ、みなさんで幸せになれる道を選ぶ方が健全ではありませんの?」


 まあまあ、とウェルシェが仲裁する。恐いくらい先程から笑顔が1ミリも動かない。


「先日お話しましたように、今のままではオーウェン殿下の王位継承権は剥奪されてしまいますわ。恐らくサイモン・ケセミカ様、クライン・キーノン様も廃嫡、コニール・ニルゲ様は実家に戻され二度と日の目は見られなくなるでしょう」

「それは……」


 アイリスは言葉に詰まる。あの後、彼女も自分で調べてみてウェルシェの言っている事が嘘ではないと理解はしていた。


「このままではアイリス様も無事では済みませんわ」

「じゃあ、どうしろって言うのよ?」


 不満を隠そうともせずアイリスはむすっとした。


「要はみなさんがより良い未来を掴めればいいのですわ」

「より良い未来ねぇ」


 逆にイーリヤは薄っすらと笑みを浮かべ感情が読みにくい。


「互いに衝突しないよう、それぞれの要望を叶えるのです」

「そんな上手くいくかしら?」

「もちろん多少の妥協は必要だとは思いますわ」


 どうにもウェルシェは試されているような気がしてならない。


「それでも、誰もが不幸にならない道こそが最善ベストでなくとも望ましいのベターではありません?」


 だが、この日の為にウェルシェは準備をしてきたのだ。今さら引き下がれない。


「そこで、アイリス様にとっても素敵で有益な提案がございますの」


 パンっと両手を揃えて頬に添えたウェルシェの顔はやっぱり1ミリも動かぬ笑顔のままだった。

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