第70話 その襲撃者、本当にアイツなんですか?

 人影の無い廊下。


 窓ガラスを透過して入り込んだ日差しが二人の影を落とす。


 ――カツーン……カツーン……


 足音が響き渡る。


 ウェルシェは立ち止まると、ふと窓の外へと視線を送った。


 競技に使用されていない外れの校舎だけあって人の気配が無い。


「競技の無い校舎は、こんなにも人が立ち寄らないものなのね」


 ウェルシェのぽつりと呟いた声は、人っ子一人いない廊下に響く。


「大会参加者や来賓で校内はあんなに溢れていたのに……」

「こちら一帯は旧校舎が多く、大会は中央部と反対側の新校舎で行われておりますから」


 今のような段上座席を据えた大きな講堂とは違い、旧校舎は一つ一つの教室が狭く大会競技には向いていない。


 今、ウェルシェ達がいるのは昔の本館であり、唯一旧校舎の中で百人規模の大講堂を備えていた。


 まあ、この一帯にはこの一つしか講堂がないので、自然と大きな講堂が集まる新校舎側で競技が行われるようになったわけである。


「困ったわね……こんな場所までのこのこついて行ったなんて怪しまれそうね」


 事情を説明するにあたり、当然ケヴィン達の企みを事前に知っていたなどと馬鹿正直に話すつもりはない。


 案内人も偽物にすり替わっていたのも知らずに騙されて連れて行かれたと証言するつもりだった。


「さすがに言い訳として苦しいかしら?」

「そこは知らぬ存ぜぬを力技で押し切ってしまえば大丈夫です」


 被害者なのは間違いないので、誰もグロラッハ侯爵家を敵に回してまでウェルシェを追求してはこないだろう、と言うのがレーキの見立てである。


「どのみち、我々がこれほどの手勢を集めていたこと自体で疑われる案件ですから」


 ウェルシェの麾下に入った元オーウェンの側近は五名。


 彼らは家人をそれぞれ三、四名ずつ連れてきており、総勢二十名を超える者がウェルシェの下に集まった。さすがに怪しさ通り越して誰の目にも真っ黒である。


「我ながら怪しさ全開よね」

「問題ありません」


 だが、レーキはまったく動じない。


「貴族の世界はもとより陰謀の蔓延る闇なのです。そんな事は誰しも理解しているのですから、化かし合いに勝った方へちょっかいを出す者はいないでしょう」

「そうだと良いけど」


 ウェルシェは自国の第一王子の顔が脳裏に浮かんだ。

 変な正義感を発揮する彼が出てこないとも限らない。


「オーウェン殿下ならしゃしゃり出てきませんよ」

「え?」


 レーキに考えを的確に読まれてウェルシェの心臓がドキッと跳ねた。


「殿下は今ごろアイリス嬢の応援へ行っていますから」


 アイリスは魔丸投擲バルクホーガンと呼ばれる魔術部門の一競技に出場し、本戦まで勝ち残っているそうだ。


「へぇ、本戦まで残るなんて意外と凄いのね」

「まあ、あの競技は魔力バカが強いので」


 魔丸投擲バルクホーガンは魔術を使わず魔力を直接ぶつけて鉄球を飛ばし、その飛距離を争う競技である。


 別名、脳筋球技と揶揄されており、魔力量が多い方が有利となる。


「レーキ様、そんな風に言うものではないわ。あの競技は魔力量が多いだけでは勝てないわよ」


 実際には魔力を瞬発的に物理的な力へ変換しなければならない。


「それに競技に出場している他の選手達にも悪いでしょ」

「浅慮でした。申し訳ありません」


 まあ、兎にも角にもオーウェンがいないのなら、ウェルシェの猫被りでなんとかなるだろう。


「それじゃ、邪魔が入らないうちに片づけちゃいましょ」

「承知いたしました――ん?」


 ――コツッ、コツッ……


 その時、遥か前方の方から小さな足音が響いてきた。どうやら、前方の角を曲がった先にある階段を誰かが上ってきているようである。


 何者かが近づいているが、この校舎にはウェルシェ達以外には誰もいないはず。


 いるとすれば……


 ウェルシェとレーキは声を殺して顔を見合わせた。


「やっぱり……ケヴィン様かしら」

「分かりませんが……可能性は高いかと」


 二人はいつでも魔術を放てるように身構えた。


 ――コツッ、コツッ……


 足音がどんどん近づいてくる。


「人数は……二人?」

「いえ、三人のようです」


 こちらより人数が多い――ウェルシェとレーキの緊張は一気に高まり、ごくりと無意識に唾を飲み込んだ。


 相手がこちらに気づく前に先手を打って魔術を放つか?

 しかし、不意打ちでは正当防衛を主張できないだろう。


 ウェルシェは迷った。それがゆえに対応が遅れてしまった。


 だが、そのお陰で角を曲がってきた金髪の少年に魔術をぶつけずに済んだ。


「エーリック様!?」

「ウェルシェ!」


 そう、現れたのはエーリックとその腹心達だった。


 ウェルシェは身体に入っていた力みが一気に抜けた。そして、エーリックの顔を見て安堵し、それと同時に嬉しさがウェルシェの胸の中から湧き上がる。


 それが彼女に気の緩みを生み、重大なミスへと繋がった。


 ――タタタッ


「エーリック様!」


 ウェルシェは護衛のレーキを置いてエーリックに向かって走り出したのだ。エーリックにしても満面の笑顔で走り寄る愛らしい婚約者に手を振って、早足で進みスレイン達を置き去りにした。


 だが、ウェルシェやエーリック達の他には誰もいない廊下。レーキばかりかスレイン達エーリックの護衛も特に警戒をする必要を感じなかった。


 だが、それは起きてしまった。


「ウェルシェ、無事だったんだね――ッ!?」

 ――バンッ!!


 あとちょっと……ウェルシェとエーリックの手が重なろうとした時、ウェルシェの真横の扉が大きな音を立てて開かれた。


 そこに居たのは――


「ケヴィン!!」


 それは誰の叫び声だったのか――ウェルシェ自身か、エーリックか、それともレーキ達か……


 先ほどまで待ち望んでいた人物の突然の登場にウェルシェは目を大きく見開き、エーリックも思考が一瞬止まった。


 いや、それはレーキもスレインもセルランも、この場の誰もが同様であった。


「ホントに……ケヴィン……様?」


 一番間近にいたウェルシェは、ケヴィンの変わり果てた姿に唖然とした。


 単純に服装が野暮ったい業者服だったからだけではない。


 艶のある美しい黒髪はボサボサになっており、妖しく輝いていた紫水晶の瞳は怪しい光を放っている。肌もかさかさで頰もけ、もともと細かったが今はガリガリと言った方が適切に思える。


 別人のようだったと話には聞いていたがここまでとは……


 ウェルシェはあまりのケヴィンの変わりように驚き硬直した。


「ウェ〜ル〜シェ〜」


 その口から出た声も以前の女達を魅了した調べとは程遠く、まるで地獄よりの使者が語りかけてくるようであった。


「私のだ……私のだ……私の妖精……」


 眼窩が窪んで飛び出した大きな紫色の瞳は濁っていて、それがギョロリと動きウェルシェを見据えた。


 そのケヴィンの異様な雰囲気に飲まれてウェルシェは怯えた。


 いや、ウェルシェだけではない。


 レーキもスレインもセルランも、誰もが金縛りにあったように動けない。


「もう二度と失わない!」


 ケヴィンが大きく腕を振り上げた。


 その手に握られている物が鈍く光る。


「――ッ!?」


 その光の正体を知ったウェルシェは大きく目を見開いた。恐怖に身体がすくむ。



 ケヴィンの手の内にあったのは、一本の鋭い短刀であった。

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