第67話 その昼行灯、本当に本物ですか?

「ちょっといいかな?」


 実行委員達が侃々諤々かんかんがくがくと言い争う中に、のんびりとした口調でエーリックが割って入った。


「こ、これはエーリック殿下!?」


 実行委員達は一様に驚いて気まずそうに顔を見合わせた。


 無理も無い。


 エーリックはウェルシェの婚約者であるし、二人が校内でイチャつくほど相思相愛親密な関係なのは学園で知らぬ者はいない。


「どのようなご用件でしょう?」


 しかもオーウェンの例もあるのだから、彼らが警戒するのも仕方がないだろう。


 昼行灯ひるあんどんだとか軟弱王子だとか言われているエーリックだが、愛する婚約者のために無理難題を要求しないとも限らない。


「うん、かなり揉めているようだから僕から提案があってね」

「提案で、ございますか?」


 ――ほらきた!


 その場の誰もがエーリックの理不尽な要求を予想した。


「そう、提案。それで、この場の責任者は……」

「私です」


 実行委員の中から灰色の髪を短く刈り上げ、制服の上からでも分かるガタイのいい身体の男がエーリックの前に出た。


氷柱融解盤戯アイシクルメルティング本戦第一会場の責任者ナイト・ナイゼンと申します」


 伯爵の嫡子であるナイト・ナイゼンは騎士と見紛うがっちりとした体格である。ところが、精神と内臓は見た目ほど強くなかったようで、彼の胃がキリキリと痛み始めた。


 そんなナイトのガラスの心臓チキンハート心窩部痛ブロークンストマックなど露知らず、エーリックはにこにこと笑いかけた。


「この試合を僕に預けてくれないだろうか?」

「預ける……と言いますと?」

「そのまんまの意味さ。この試合に限り権限を僕に委譲して欲しいんだ」


 ――無茶だ!


 実行委員の誰もが思った。


 大会の実行委員でもない第三者から権限を寄越せと言われて、はいどうぞと渡せるものでもない。第一エーリックに権限を渡して彼が自分の婚約者に有利な条件にすれば、易々諾々と要求を飲んだこの場の実行委員全員の責任となりかねない。


 当然、ナイトもみなと同様の考えだ。


「殿下、それは……」

「無茶なのは承知の上だよ」


 なんとか思い留まらせようとしたナイトの言葉をエーリックは遮った。


「でもね、君達ではウェルシェを失格にするかどうかを決めるのは難しいよね?」

「そ……れは……」


 まさにナイトが迷っていたところである。


 ウェルシェを棄権にするのが運営上のルールであるが、規則通りにすればグロラッハ侯爵家からの報復が怖い。


「かと言って、ウェルシェが見つかるまでダラダラ時間も伸ばせないだろ?」

「……」


 エーリックの指摘通り放置していれば確実にナイトの責任問題となるのは必定。


「だからね、この試合に限り権限を……全責任を僕に譲って欲しい」

「そ、それはつまり……」

「そうすれば君達にはとがは及ばないでしょ?」


 つまり、エーリックは全ての責任を被ってくれると言っているのだ。これはナイトにとって渡りに船。こんなありがたい話はない。


「それで、殿下はどうなさるおつもりなのですか?」


 だが、エーリックがどのような裁定を下すかによっては、何を勝手に権限を委譲したのかと詰られかねない。


 何分にもエーリックはウェルシェの婚約者なのだ。彼女を溺愛しているとの噂もあり、婚約者に有利な裁定を下しかねない。


「大丈夫、みんなには迷惑がかからないようにするから」


 エーリックは壇上の最前まで進み観客席を見回した。講堂は相変わらず喧騒に包まれており、とてもエーリックの声が通りそうにない。


「僕はエーリック・マルトニア……この国の第二王子です」


 ところが、ガヤガヤと大きな不協和音だった喧騒の中をエーリックの澄んだ声が不思議と良く通った。突然のエーリックの名乗りでザワッと一瞬より大きな一つのうねりとなった会場がすぐに静まる。


 この学園に通うのはみな貴族子弟である。マルトニア王家の名と第二王子という身分で名乗られる事の重みが分からぬ者はいない。


「この試合に限り、実行委員から権限を委譲してもらいました」


 エーリックがこれから発言する内容は王族としての公的なものである。だから誰もが口をつぐみ会場はシーンと静まった。


「まず、今の状況を説明します。本試合の出場選手ウェルシェ・グロラッハが現在行方不明となっています。しかも、彼女を迎えに行った大会実行委員が怪我を負わされ拘束された状態で発見されました」


 どよっと観客席が不安の声でどよめく。


 学園内で凄惨な事件が起きたのだから無理もない。だが、すぐにエーリックが手を挙げれば会場は静まった。


「規定に従えば時間に遅れた彼女の失格となります」


 各所から不満の声が上がった。ウェルシェとマリステラの対戦を楽しみにしている観客が少なくないのだろう。


「みなさんの気持ちも分かります。できれば僕だって婚約者の勇姿は見たい」


 ホントは彼女に僕の勇姿を見せたかったんですけど、とエーリックがちょっとおどけた口調になれば観客から温かい笑いが起こった。


「ですが、ウェルシェがいつ発見されるか分かりません。このまま待っていても悪戯に時間ばかり過ぎて行きます」


 ならば、彼女を失格とするのか?


 それは上に立つ者として正しい判断だろう。だが、愛する婚約者の立場としてはあまりに薄情ではないだろうか?


 エーリックは岐路に立たされており、どちらを選択しても批難を受けかねない状況である。彼とてこうなる事は予想できただろうにと、背後で実行委員達はどうなるのか固唾を飲んで見守った。


「そこで、この試合は僕が預かる事にしました」


 観客もエーリックの選択に注目していた。が、やはり彼は婚約者を取ったかと落胆と安堵のため息が観客席の中で混じり合う。


「いったん試合を延期とし、彼女が見つかりしだい行方不明となった事情をつまびらかにします」


 だが、エーリックはそれで終わらなかった。


「その結果、彼女に過失がなければ後ほど改めて試合を行い、もし彼女の過失であるならば失格としマリステラ先輩の不戦勝とします」


 エーリックは何の迷いもなく堂々と宣言した。


「その旨を運営本部には僕の名前で伝えてください」

「ぎょ、御意」


 丁寧な言葉遣いながら有無を言わせぬ威にナイトは恭しく頭を下げた。


「この件に関し競技者にも、実行委員にも、来訪されているあなた方にも、誰にも累は及びません」


 ――やだ、可愛いのに凛々しいわ!


 いつになく、キリッとした顔立ちで場に臨む金髪の美少年に女生徒(一部男子生徒含む)がポッと顔を赤く染め悶える。


「全ての責任はマルトニアの第二王子エーリックが負います」


 ――気弱?

 ――優柔不断?

 ――誰だよそれ!?


 そして、実行委員達はエーリックの頼もしい背中に目をぱちくりと瞬かせた。


「僕の横槍で不戦勝を逃したマリステラ先輩はお気を悪くされたかもしれません。ですが、どうかご理解いただけないでしょうか」


 しかも、対戦相手の気配りまでする思慮深さ。


 ――どこが頼りない王子なんだ?

 ――誰だエーリック殿下を昼行灯ひるあんどんとか言ってたヤツ!


 良くも悪くも目立つオーウェンの影にいたエーリックが、明らかに今までに無い異彩を放っている。


「殿下、ご懸念は無用にございます」


 金髪縦巻きロールの迫力美人がエーリックに応えた。


「私はむしろ感謝しております」


 名前の上がったマリステラ・マクレーンその人である。


「私はこの競技に誇りを抱いております。昨日、ウェルシェ・グロラッハの試合を観戦して、きっと私は勝てないだろうと感じました。彼女はそれほどに強い。だからこそ私は彼女と戦いたい」


 マリステラの吊り目のきつい眼光を受けて、エーリックは薄く微笑み頷いた。彼女もまた口の端を僅かに上げて笑う。


「私こそ彼女との対戦を楽しみにしているのです。だから殿下の提案を支持いたします」


 パチパチパチパチ

  パチパチパチパチ


 会場に拍手が沸いた。


 それはエーリックの英断とマリステラの高潔な精神を讃える声なき声。エーリックの提案が全ての人に支持された瞬間だった。

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