第2話 その侍女、本当に忠実ですか?

「名残惜しいですが、そろそろ帰らねばなりません」

「まあ、もうそんな時間なんですの?」

「楽しい時間はあっという間ですね」


 エーリックが器用にウィンクするとウェルシェはパッと花が咲くように笑う。


「またお会いできる日を楽しみにしております」

「私も楽しみにお待ちしておりますわ」


 恋する潤んだ瞳でウェルシェから可愛く見上げられ、エーリックはすっかり舞い上がってしまった。


 帰っていく彼の足取りは地に足がつかないような、どこかふわふわしていた。


「あらあら、あんなにフラフラして大丈夫かしら」


 ウェルシェはくすりと笑う。


 その背後で眼鏡をかけた侍女のカミラが小さくため息を漏らしたのに気づいていたが、ウェルシェは何も言わず四阿ガゼボに戻って座った。時を待たずしてカミラがスッと音もなくお茶を用意する。


 目でカミラに礼をしたウェルシェはお茶を一口含んで口を潤した。


 とても息の合った主従である。


「ちょっと頼りなさそうだけど、素直そうだし善良な方のようで安心したわ」

「さようでございますね」


 豹変した主人ウェルシェの態度に驚く様子も見せずにカミラは相槌を打った。


「これなら結婚後は私が主導権を握れそうね」

「もう既に握っているではありませんか」


 カミラの口からふぅ、と再びため息が漏れる。


「私はエーリック殿下が憐れでなりません」

「あら、エーリック様にとっては理想のお嫁さんをめとれるんだからWin-Winじゃない?」


 幻想的な白銀の髪シルバーブロンド神秘的な翠緑エメラルドの瞳、肌は抜けるように白く、ほっそりとした小柄な令嬢――泡沫のごとく消えてしまいそうに思える幻想的な美姫。


 エーリックの目にはウェルシェがさぞ儚く麗しい姫君の如く映っただろう。


「私みたいな完璧美少女が婚約者なんてエーリック様も果報者よね」

「そうですね、お嬢様はまさに穢れなき妖精のごとき絶世の美少女――」


 賛辞にふふんと笑い、そうだろそうだろと頷くウェルシェを眺めながらカミラは思う。


 自分の主人は完全無欠パーフェクト――外見だけなら……


「――中身はこんなんですが」

「こんなのとは何よッ!」


 エーリックと談笑していた時のお淑やかだった姿は見る影もない。まったく自分の主人は猫被りにかけては右に出る者はいないとカミラは感心するやら呆れるやら。


「私の見たところ殿下は清楚可憐な女性が好みのようです」

「だからぁ、私って完全に殿下のどストライクでしょ?」

「ええ、そうですね……」


 胸を張って主張するウェルシェの姿をカミラは胡乱げなジト目で見る。


「完全なバッタもんですけど」

「酷ッ!」

「一点のシミのない純白の皮がけて中から真っ黒黒介が飛び出してきたら、エーリック殿下は卒倒してしまいますよ」

「失礼ね!」


 ウェルシェは不満そうに口を尖らせた。そんな態度は年相応に愛らしい。


「私の猫の皮は簡単にがれないわよ」

「……そう言う問題ではないかと」


 このズレたところもちょっと可愛いと思うカミラであった。

 何だかんだ言いながらカミラは可愛い主人が大好きなのだ。


「いいですかお嬢様、白は何色にも染められます」


 だが、そんな気持ちをおくびにも出さない彼女も大概である。


「ですが、逆に黒は何ものにも染まりません」

「何が言いたいのよ」

「白に変えようと頑張っても黒は黒のままなのです」


 何か生暖かく見守られるような目を向けられて、ウェルシェはむぅっといよいよむくれた。


「貴族の婚姻は綺麗事ではないわ」

「さようでございますね」

「私の結婚にはグロラッハ領民の生活と幸せがかかっているのよ」

「重々承知しております」


 ウェルシェを腹黒だと思っているが別に犯罪を好んでいるのではないとカミラは十分に理解していた。


「結婚してもエーリック様にボロは出さないし、領地も発展させてみせるわ。エーリック様も領民もみんなみんな幸せにしてみせるの」

「お嬢様には造作もない事かと」


 ウェルシェの腹黒はみなを決して不幸にするものではない。ただ、天邪鬼であっても彼女の性根は領民をおもんばかる真っ直ぐなもなのだ。


「その為だったらいくらだって黒くなってみせるわよ」

「ご立派な決意でございます」


 ウェルシェはまだ十五歳にして貴族の自覚を持っており、カミラは尊敬すべき主人に仕えられている幸運に感謝していた。


「ですが、私はちゃんと見ていましたよ」

「な、なによ」


 だが、同時にカミラは可愛い主人だからこそ決して甘やかさない。


「殿下を手玉に取って楽しまれていましたよね?」

「そ、そんな事ないわよ?」

「私にはバッチリ見えておりました……恥ずかしがる素振りで顔を隠しても、手の隙間から口の端が吊り上がっていたのが」


 自分の本性を知る侍女から胡乱げなジト目で見られ、ウェルシェの目は盛大に泳ぎまくったのだった。

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