夏の少女

二二兆

第1話

 風が生ぬるいある夏の夕暮れ、帰宅した私が庭に入ると、よく茂った桃色の芙蓉の陰に、屈んだ人の背が動いていた。

「そこで何をしているんです」

 咎めると、帽子を被り灰色の作業着を着た男が振り向いた。その足元に、赤い運動靴から伸びた二本の細い足が見えた。

「その子は誰」

 私が声を荒らげると、男は白い庭柵を飛び越して走り去った。

 私は困惑して、地面に横たわった少女を見つめた。

 白いブラウスに赤いスカートを身に付けた体は弛緩しきっている。半袖から伸びた腕が異様に白かった。胸が規則正しく上下して、眠っているだけのようだ。救急車や警察というのも大ごとな気がして、少女が目を覚ますのを待つことにした。

 私はため息をつくと、少女を家に運ぶとベッドに寝かせ、軽く夏掛けを被せた。

 食堂で食事を取っていると、少女が起きてきて向かい側に座った。おかっぱに切りそろえた黒髪が頭の動きに合わせて揺れる。

「何食べてるの」

「豆のスープ。あなたも食べる?」

 少女は甲高い声で笑った。そして椅子を降りるとガスレンジの前に立ち、お玉で乱暴に鍋の中身をかきまわした。

「お皿はその棚の中よ」

 少女は鍋の取手をつかむと、いきなり床に投げ出した。スープが飛び散り、熱い飛沫が私の足首にも飛んだ。

「何するの」

 少女は床に這いつくばり、こぼれたスープを舌で舐めた。切りそろえた黒髪がスープに浸る。

「やめなさい」

 私が立ち上がると、少女はむくりと体を起こし、手の甲で口を拭った。そしてもう一度甲高い声で笑うと、スープで汚れた靴下の足跡を残しながら廊下を駆けていった。玄関の戸が閉まる大きな音がして、私は呆然としたまま少女が出て行ったと思った。

 しばらくして玄関に行ってみると、小さな赤い運動靴だけがぽつんと残されていた。私はゴミ袋を持ってきて靴を入れた。

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