【短編小説】ヨーデルを聴きながら

@azukikusakabe

ヨーデルを聴きながら

「ヨーデルン、チロリアンの時と味変わった?」


「ヨーデルン」というのは、ふわりと柔らかなクリームをサクサクのクッキー生地でくるんと包んだ、大人の親指くらいの大きさの、福岡の銘菓だ。いちご、抹茶、チョコなど味のバラエティは様々で、そのしっかりとした甘さは、子供からお年寄りまで幅広い世代に愛される。1年ほど前まで「チロリアン」という名前で親しまれていたが、製造会社の事情で、製品はそのままで「ヨーデルン」という名前に改められたのだった。


ただでさえ口の中の水分の奪われやすいお菓子だが、そんな当たり前も東京に置き忘れてきたかのように、君は一気に頬張ってしまった。直後に一口大の後悔を顔に浮かばせたが、それもすぐ消えてしまう程の三年ぶりの甘い幸せを噛み締め、何気なく私に聞いてくる。


変わってないよ。変わったのは、名前だけ。


人間という生き物は、自分の目に見える世界が真実だ、とつい信じてしまう。たとえ中身が同じでも外面が違えば、異なるものと認識しがちだ。今の君がチロリアンとヨーデルンの味を「違うもの」と感じたように、私から見える君も、あの頃と「違うもの」に思えてしまう。


高校の同級生だった私と君は、そのまま地元の同じ大学に進学した。学部は違ったけれど、大学の授業が終われば自然とどちらかが声をかけて、いつの間にか二人で集まっていた。家まで帰る途中、天神南駅で降りて、小さな居酒屋でビール一杯ずつとだし巻き卵と枝豆で、美味しいねと言い合ったりした。こんな日々が、ずっと続くと思っていた。


馴染みの居酒屋から外に出ると、十二月の肌寒い空気が辺りを覆っていた。黒色のダウンにフリースのネックウォーマーをかぶった男子大学生の君は、濃茶のコートにウールのマフラーを身に着けた社会人の君になっていた。重めの前髪はいつもおでこの上で無造作に乱れていたから、眉の形だって、今初めて知った。


東京での「三年」という月日は、スーツを何重にも重ね合わせたように、君をずいぶん大人にさせた。お皿に一枚残る、少なくともあの頃まで大好物だっただし巻き卵を前に「食べていいよ」なんて、自ら譲る君じゃなかった。他人と食事する時のペース配分とか、だし巻き卵より舌を唸らせる美味しい食べ物のこととか、私には見えない、見ることが許されない微細な記憶の粒が、君の身体の細胞にすり込まれているのだ、と心が疼く。


君は、誰と、どこで、どれくらい、私が知らない時間を過ごしたのだろうか。

誰が、君を大人にさせたのだろうか。


このうごめきと、冬の冷たい空気は友達になってくれない。私のニットの中で大きくなって、でもヨーデルンのクリームのようにじわりと外の世界へ溶け出していくことは、決して無い。


君と別れるまでに残っていた時間は、あまりに短すぎた。思い出の居酒屋から最寄り駅へ歩く、五分間。君は其処から地下鉄に乗り、私はそのまま徒歩で家まで帰る。


子どもが「さようなら」と無邪気に口にできるのは、一生の別れがこの世界には確かに有るのだ、という残酷な現実に、まだ気づいていないからだと思う。大人になるにつれ、「またね」と言葉を交わし合う。そう云わなければ、「さようなら」と伝えてしまったならば、大切な人に本当に二度と会えなくなる気がするから。たとえどんなに、約束が儚くとも。


「さようなら、元気でね。」


改札の前で、私は別れ際君にそう告げた。その言葉を、あえて選んだ。三年前最後に君に会った日、「またね」と言って別れた。どこかで、もう遠くに行って戻って来ないかもしれないと分かっていて、そんな怖さを掻き消すように、約束をした。でも、三年間ずっとぐるぐる旋回していた不安定な感情が、君を傷つけてしまう前に、この気持ちに「さようなら」をする。


何だよ他人行儀だな、またね。君は茶化すように、笑っていた。


カンカンカン。

少し背伸びしたブーツのヒールの音が、地面に響く。

私は家までの暗い道を、一人で足早に歩く。


カンカンカン。

嫌だ。行くな。


カンカンカン。

変わるな。変わるな。


耳から入る音と体内でうごめく音が、変わるがわる自我を持ち、ヨーデルのように高低差を生み出す。


カンカンカン。

私を、置いていくな。

地面を踏み締める強さは、進むごとにぐっと大きくなる。


君と駅で別れてから家まで帰るこの光景は、三年前と何も変わっていない。

少し古びたアパートが並ぶ、住宅街。道路沿いの木の隙間から、木枯らしが吹く。


そして、君と私の関係も、何も変わっていない。


変わってないよ。変わったのは、名前だけ。

そう、この気持ちの名前が、「愛情」から「友情」になっただけ。


君が東京で誰とどんな時間を過ごそうとも、少しずつ変わっていこうとも、君という人間は存在していて、私はその変化を眺めることしかできない。私には、君の人生に干渉する資格がない。私はこれまで通り君と仲良しで、会ったら学生時代の話や今の仕事の話なんかして。「今度、結婚するんだ」って報告を受けたりして。それで良いんだ。それが、友達というものだから。


カンカンカン、グシャ。

軽快な足音に混じって、右肩にかけたカバンの中で鈍い音がした。

つぶれたヨーデルンを気にすることなく、私は一人ぼっちで歩き続けた。


【完】

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